08. ランチの時間に、ただのおしゃべりを
テストは無事に終わった。テスト前の醜態については思い出したくない。っていうか思い出したくても記憶がねぇ!
俺はなんとも贅沢なことに、時雨さんの肩に頭を置いて寝ていたらしい。
覚えてないが。本当にまったく、記憶にない……くそっ……。
なんで今でも生きてるのか不思議なくらいだ。普通、あんなラッキーなことが起きたら死ぬだろ。収支取れてないぞ、世界。
「湊本、俺なんで生きてるんだと思う?」
「哲学の話?」
「いや……めちゃくちゃラッキーなことがあったから……」
「それで死ぬなら俺はかおちゃんと会った時点で死んでたよ」
さらっと怖えことを言う。
春宮さんが関わると頭のネジ外れるの、そこも湊本のある種の美点ではあるのだろうが、いかんせんちょっとだけ怖い。
話はそれで終わり? とでも言いたげな視線を向けられたので、「それもそうだな……」と納得しておいた。
「じゃあ俺、かおちゃん迎えにい――」
「ユーキ!」
くから、という声が飲み込まれる。
教室のドアのほうから聞こえてきたのは、湊本の彼女、春宮さんだった。
春宮さんを認めた瞬間に、湊本の顔が嘘だろってくらい優しいものになった。
とととっ、と駆け足でこちらにやってきた春宮さんに、やわらかい微笑みを向ける。
「かおちゃん、迎えにきてくれたの? ありがとう」
「ううん! 今日午前で終わりだし、自習室で勉強もしなくていいから長い時間一緒にいれるの嬉しくて! うきうきしてたら、すっごい早く帰る支度できちゃったから来ちゃった」
えへへ、と恥ずかしそうに笑う春宮さん。
下のほうで二つ結びにしたふわふわの髪の毛に、小さな体。ころころと変わる表情。
名は体を表すとは言うが、春とか花とかが似合いすぎてびっくりする人だ。
「ふふ、俺も嬉しいよ。今日はドーナツ作るつもりなんだけど、揚げたての、帰ったら食べる?」
ふふ、って笑うんだよな、こいつ。春宮さんの前じゃ。
別にこれが猫被りというわけでもなく、対春宮さん仕様の素なのだ。人っていろんな顔持ってるよなぁ、と見るたびに毎回面白くなる。
「食べる!」と目を輝かせた春宮さんは、ようやく俺の存在に気づいたらしく、はっとした顔をした。
「あっ、ごめんね、もしかしてまだお話中だった?」
「ちょうど終わったところだったよ。じゃあまた、長谷」
「おー、じゃあな」
立ち上がった湊本の後ろにちょっと隠れるようにして、「さよなら……!」と春宮さんも挨拶をくれる。割と人見知りする子らしく、何回か会っても毎回こんな感じだ。
近くに知り合いもいたらしく、「し、椎名さん、またね!」と少し緊張したように手を振っていた。
仲良く連れ立って出て行く二人を、なんとなくほっこりした気持ちで見送る。
男側が重くてちょっと怖いにしても、仲のいいカップルというのはいいものだ。
たぶんあの二人なら喧嘩とかもせず、お互いの気持ちを疑ったりもせず、誰か他の人を巻き込んで騒動を起こしたりもせず、ずっと仲良くやっていくんだろう。
いいな。末長く幸せでいてほしいものだ。
さて、テスト週間は時雨さんともまったく話さなかったわけだが、今日はどうだろうか。
これ以降一切お呼ばれがなくても俺は驚かない。ちょっと期間が空くとやりづらくなることって結構あるし。
だけど少し、ほんの少しだけ期待して時雨さんをちらりと見る。視線に気づいたらしく、時雨さんはこちらを見ないままにスマホを指先でとんとん、と叩いた。
スマホ確認しろってことか?
見てみれば、数分前に時雨さんからRINEが届いていた。
『よければ一緒にお昼ご飯食べない?』
――やっぱり俺、そろそろ死んでなきゃおかしくね!?
* * *
二人とも昼ごはんは持ってきていなかったので、二駅隣のファミレスに来た。もちろん時間はずらして。今日は乗る電車すらずらした。
正直、そこまでして俺と昼を共にしてくれる理由がわからない。
あと関係ないけど時雨さん、綺麗すぎて浮いてるな……。こんなにファミレス似合わない人、初めて見た。
「なんで昼誘ってくれたの?」
注文を済ませた後、素直に訊いてみる。
「テスト期間中、長谷くんと全然話さなかったから」
「……それって俺と話したかったってこと?」
「飽きる可能性を上げちゃったお詫び」
うわーっハズい! 自惚れた質問しちゃった!
表情に出さないように悶えていたら、全部わかっているように時雨さんはくすっと笑った。
旗色が悪いので、「きょ、今日の作戦は?」と強引に話題を変える。
「とうとう自分から私に訊くようになったね?」
「う、ごめん……」
「あはは、いいよ。長谷くんにそういう才能ないのはもうわかりきってるし」
うーん、と少し考えた時雨さんは。
「今日は普通におしゃべりしよっか」
――突拍子もないことを言い出した。
いや、普通の、本当に普通のことではあるけど、普通のことすぎるからこそ突拍子がない。
だってそれはたぶん、俺たちには必要のないものだ。……俺はあったほうが嬉しいけど、時雨さんにとってはどうでもいいものだろう。
さすがに話題の提供は俺に任せるらしく、時雨さんはにこやかに待っている。
……テ、テストどうだった、とか? いやそれはめちゃくちゃつまんなすぎるよな。俺ですらセンスないって事前にわかるレベルだ。
もっと仲良くなればそのくらいのどうでもいい話題を出すことも許されるんだろうが、俺と時雨さんはそんな仲ではない。
だとしたら、えっと、あー、ええっと……。
「……俺、高校での友達一人しかいねぇんだけどさ」
「ちょっとって一人のことだったんだ」
結構前の会話なのに、覚えてくれてたのか。なんか嬉しいな……内容は情けないけど……。
微妙すぎる見栄を張ったのが今更恥ずかしくなってくる。
「それが前にお菓子作り教えてくれた湊本って奴なんだ。九月くらいに幼馴染の子と付き合い始めて……俺はずっと付き合ってるもんだと思ってたんだけど、実はそれまではそういうんじゃなかったらしくて」
かおちゃんが彼女になってくれた、とめちゃくちゃ嬉しそうな顔で言ってきた湊本に、当時の俺は言葉を失った。
おまえら付き合ってなかったの!? と叫びたかったのを堪えて、「お、おめでと……」と祝福した俺を誰か褒めてほしい。
あんなに仲が良くて、春宮さんの前でだけあんなにわかりやすくて、それで付き合ってなかったなんてあまりにも衝撃的な事実だった。
「ああ、さっきの二人?」
「そう! あの彼女さん、春宮さんって言うんだけど、湊本と春宮さんってほんっっとに仲良くてさ」
「確かに仲良さそうだったねえ」
「だろ? ああいう二人って、たぶんずっと仲いいまま付き合ってけるんだろうなって、見てて嬉しくなる。二人ともいい奴だから……いや春宮さんのことはよく知らねぇけど、あの湊本があんなに好きなんだからめちゃくちゃいい子だろうし」
春宮さんの可愛いところは自分だけが知ってればいい、という勢いの湊本だが、付き合う前からちょくちょく俺に惚気てくるのだ。
それも俺が誤解してた原因の一つ。あんな惚気、付き合ってないのに出てくるとか思わんだろ。
ともかく、その惚気からだけでも春宮さんがひたすらにいい子なのがわかったし、そんな彼女のことを湊本がどれだけ可愛く思っているかもわかった。
「……ああいうの、ほんとにいいなって思う。俺の理想のカップル」
俺の言葉を聞いて、時雨さんは真顔で首を傾げた。
「それは、あんなふうに仲のいいカップルになりたいなっていう遠回しなアピール?」
「……? あ!? ち、違くて、そういうんじゃなく! 単純な話題提供で!!」
「ふぅん?」
「マジで違う! ごめん確かにそんな感じになったけど違う! ごめん!」
焦って平謝りしていると、時雨さんの顔がふわりと崩れ、くすくすと笑い出す。
「ふふ、わかってるよ。長谷くんにそんな器用なアピールできるとか思わないし」
その方向に信頼があるのは微妙な気持ちだが、とりあえず今回に限ってはよかった……。
「うん、でも、いいよね。わかる」
どこか噛み締めるような口調で、時雨さんは言う。
「――世の中のカップルがみんなああいう感じだったらいいよね」
続いた言葉は、俺が思っていたことと同じこと。
時雨さんなら仲のいいカップルにつまらない嫉妬をするわけもないだろう、と見越してこの話題を上げたのだが、そのうえで意見が一致するのは、なんだかすごく嬉しかった。
へへ、と笑みが溢れてしまった俺に、時雨さんは不思議そうに目を瞬く。
「どうしたの?」
「俺も同じこと思ってたから……時雨さんと同じなの、嬉しくなっちゃって」
「……そっか」
そううなずいてくれた時雨さんの表情は、気のせいでなければとても優しいものだった。
……いや気のせいかも。気のせいだな。
注文していたメニューが届く。
時雨さんは季節限定のクリームパスタ。
俺はハンバーグとごはん・スープのセット。これの後にはパンケーキも待っている。
よく食べるねぇ、とちょっと呆れた時雨さんに、逆に時雨さんはそんなんで平気なの? と心配したりして。
時雨さんとのランチは、普通に、平穏に過ぎていった。
まるで普通の友達のようで、何をやっているのかよくわからなくなった。いいのかな、こんなんで。時雨さんがいいならいいんだけど……。
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