07. 時雨瑞姫はときめきを知りたい

 容姿は完璧。勉強も運動も、なんだって人並み以上にできた。

 それが私、時雨瑞姫という人間だ。

 告白を受けるのだって、以前は日常茶飯事だった。……けれど、一度も『ときめき』を感じたことはない。


 ときめきってきっと、キラキラしていて幸せなもの。

 心の中の宝箱にそうっとしまって、見返しては笑顔になれるもの。それがあると思うだけで、毎日が楽しくなって、世界が鮮やかになるもの。


 だっては、本当に幸せそうだったから。


 それは正確には、『ときめき』ではなくて『恋』というものなんだろう。

 でも『恋』ができる気はしないから、それならせめてと、『ときめき』を求めた。求めても、感じられたことは一度もなかった。


 きっと、ほぼ完璧な代わりに与えられた欠陥がそれだった。

 なだけであとは完璧なのだから、誰にもときめくことができないくらいのハンデがなければ不公平すぎる。


 ハンデかもわからない、人によってはくだらないことだけれど。

 だけど私は『ときめき』というものに憧れていて、焦がれていて、それでも経験できないことが悔しいのだから、私にとってはハンデなのだ。


 ――もうそんなものに憧れる資格もないというのに、未練がましい。





 長谷くんの告白は、ときめきはまったくなかったけど面白かった。不器用でへんてこながらも、真っ直ぐな言葉だった。

 私の好きなところとして挙げられた答えは、そんなこと? と思うようなものばかり。


『消しゴムで尊敬もおかしいよねえ』……そうは言ったものの、本当におかしいと思っているわけではない。そういうところを尊敬する人もいるんだな、と驚いただけだ。

 仮に思っていたとしても、本来なら口にしてはいけない言葉だった。


 作ってもらったお菓子を美味しくないと言うのだって、言語道断。

 甘いものは嘘じゃなく苦手だから、美味しくないと感じてしまったのは事実ではある。

 ……だけど、私のために作ってくれた手作りのお菓子なんだから、それだけで本来百点以上の味のはずで。甘いものが苦手という点を差し引いたって、最低でも百点なのだ。

 二個目だってちゃんと自分で食べた。



 口に出しては駄目なことを、色々と口にした。口に出したほうがいいことを、何も言わなかった。

 傷つけようという、明確な意志を持って。


 そういうことをあえてしても、長谷くんはムッとした様子さえ見せない。

 一方的にいじめているようでやりにくかった。『よう』ではなくて、それが紛うことなき事実なのだけど。

 でも本当に、ちょっとやりづらすぎて時々ボロが出そうになるのが自分でもわかる。


 ――長谷くんといるときの私は、の私らしくない。


 なのに。

 飽きていないから、という理由だけで、私は今日も長谷くんとの時間を過ごすのだ。



     * * *



 今日の長谷くんはあくびが多く、目がしょぼしょぼとしていた。明らかに寝不足。

 教室でそのことに気づいたとき、今日は放課後に会うのをやめておこう、と言うべきか少し悩んだ。

 でも、そこまで私のほうから気を遣う必要もないし。本当に無理なら、向こうから言い出すべきことだし。

 だからいつもどおり、普通に公園に向かった、のだけど。



「……眠そうだね?」

「……んえっ!? あ、ご、ごめん、一瞬寝てた」


 隣のベンチに座った瞬間うつらと舟をこいだ長谷くんに、つい呆れた声が出る。


「別に謝る必要はないけど。昨日寝られなかったの?」

「テスト勉強してて、ちょっと。気づいたら朝になってたんだよな。もういいやって徹夜しちゃった」


 それはちょっとじゃない。

 確かにテストは来週に迫っていた。私はテスト前だからといって特別張り切ったりなんかはしないから、あまり意識していなかったけれど。


「普段からコツコツ勉強してれば、そんなに根詰めなくても平気でしょ?」

「コツコツやってはいるけど、それでもやっぱ直前の追い込みはいるんだよ……」

「……コツコツしてるんだ?」

「俺こう見えても、現国以外の成績はいいんだ」

「あー、現国駄目なのわかるなあ。人の気持ち、あんまりわかんなそうだもんね」

「反論できねぇ……」


 うなだれる長谷くんに、くすりと笑ってしまう。今のもムッとしてほしかったところなんだけどなあ。

 全部するっと流されてしまって、なんとなく立つ瀬がない。


 ……こんなどうでもいい話を誰かとする日が、こんなにすぐ来るなんて思わなかった、と。ちょっと複雑な気持ちになる。

 まあでも、長谷くんは友達ではない。私に告白してきたクラスメイトで、ただの他人だ。それなら私としては、ぎりぎり許容範囲だった。



 少しの沈黙の隙に、また長谷くんの目が眠そうにとろんとなる。

 ……相当だなぁ、これ。


「今日はもう帰ろっか。そんなんじゃ話しても無駄でしょ」


 私と話してる時間があるなら睡眠を取るべきだし、それか勉強をして、少しでも後を楽にするべきだ。たかだか十分や二十分のことだけど、それでも確実に違うだろう。

 つまりは君のことが心配だ、ということを素直に伝えたほうが長谷くんも言うことを聞いてくれるのだろうけど、あいにくそれは、今の私にはできないことだ。


「いやでも……そりぇは……」

「呂律も回らなくなってきてるのに意地張らないの。授業中寝ないように頑張ってたんでしょ。だから放課後になって一気に気が抜けたんだよ」

「……授業ちゅー、おれのこと、見ててくれたの?」

「見てない」


 即答しすぎたかもしれない、と内心冷や汗をかいたが、眠い長谷くんは特に不審に思わなかったようだ。


 見ていたわけじゃない。

 ただ、いつもと違うから勝手に視界に映ってきただけ。

 ……長谷くんのほうが私より後ろの席だから、振り返らないと見えないけど。でも、わざわざ見たわけじゃない。


「せっかく付き合ってくれてんのに、なんもしないで帰るのは……」

「いいよ、今頭も回らないでしょ。ただでさえいっつもそうなのに」

「うぅん……でも……」


 今にもくっつきそうなまぶたをしてるくせに、こっちに気を遣わないでほしい。こうやって話してる間にも時間は過ぎていって、結局いつもと何も変わらなくなってしまうのに。

 せめていつもより簡単な作戦を考えてあげるか、と思考を巡らせていると、「じゃあこれだけでも」と長谷くんが口を開く。



「時雨さん、すき」



 ――ふわふわとした笑顔で、ふわふわとした声で伝えられる、真っ直ぐな好意。



「すっげぇ好きです……」



 ……やっぱり長谷くん、何にも考えてないときのほうがマシな気がするなあ。私の作戦が悪いのかもしれない、とすら思えてくる。

 ときめきはしなかったけど、悪い気もしなかった。とはいえ、悪い気がしないのはいつものことだ。

 きっと長谷くんは、人に好意を伝えるのが上手なんだろう。失礼なときは失礼だけど。


 ありがとう、と言いかけた口を一度閉じて、代わりに「そっか」とうなずく。


「……帰ろっか、長谷くん。歩ける?」

「さすがに歩けるよー」


 そんなふわふわした声のまま言われても。

 信用ならないので、普段は時間をずらすところを今日は駅まで一緒に歩いてあげることにした。


「先行かねぇの?」

「おねむの人はそういうこと気にしないでいいの」

「ふーん?」


 首を傾げながらも、長谷くんは前を向いてあくびをする。目がほぼ閉じてるし、足取りも少しおぼつかない。

 一日徹夜しただけでこんなになるとか……普段はよっぽどちゃんと寝てたのかな。

 授業中に意識を保っていたのは、そこで寝てしまったら本末転倒だからだろう。意外と真面目というか、なんというか。

 ……意外じゃなく、長谷くんは結構真面目か。


 特に会話もなく駅に着く。たぶん長谷くんには、私と一緒に帰っているという意識すらない。

 駅を通り過ぎようとした長谷くんに、やっぱりついてきてよかった、と思いながら「こっち!」と声で誘導してあげる。


「……あれ、時雨さん?」

「はいはい、時雨さんですよ。ちゃんと改札行こうね」

「うん」

「階段だよ。転ばないでね」

「うん」

「なんか不安だから、黄色い線のめちゃくちゃ内側で待っててね」

「うん」


 ……あまりにもいい子に言うことを聞いてくれるので、ちょっと面白くなってきた。

 明日の長谷くん、これ覚えてるかな。覚えてたらからかっ……嫌な感じにからかってやろう。


 間もなく来た電車に一緒に乗り込む。

 私のほうが後で降りるから、長谷くんが寝ちゃっても長谷くんの駅で起こせばいいか。

 二つ連続で空いている席があったので、二人で座った。この前の長谷くんは見てるこっちまで緊張しそうになるくらいガチガチだったのに、今日はふにゃふにゃだ。


 シートが温かいのも相まって眠さが増したのか、すぐにすやっと寝てしまう長谷くん。

 が、私とは反対側の人のほうにふらーっと頭が傾いたので、慌てて手を伸ばしてキャッチする。


 ……どうしよう、これ。


 車両内に目を走らせる。

 同じ学校の制服はなし。もしいたら現時点でアウトだけれど。


 他人に迷惑をかけるわけにもいかないので、仕方なく長谷くんの頭を私の肩へ誘導する。

 異性とのこの距離感に対して何も感じない人間でよかった、と思うと同時に、感じないのが駄目なんだよな、とも思う。普段だったら気をつけるところだけど……まあ、今なら平気だろう。


 意外とふわっとした髪の毛のせいで、首がくすぐったかった。

 スマホを出して、ソシャゲのイベントの周回を始める。


 ……起きないなあ、長谷くん。

 君、好きな女の子の肩に頭載せてるんだけど。たぶん普通なら嬉しいところなのに、寝てるせいで全然覚えてられなくてかわいそ。




 最寄り駅で起こしたら、長谷くんは顔を青くしたり赤くしたりで忙しなかった。


「もう徹夜しないほうがいいよ」

「そっ、そうする!!」


 ごめんあとありがとうよく寝れた!! と早口で言って、長谷くんは慌てて電車を降りていった。

 肩がちょっと、寒い。



 ……優しくしすぎちゃったかなあ。


 長谷くんの記憶に残りそうになかったからって、気を緩めすぎた。気をつけなきゃ。




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