ずっと傍にいるから

朽縄ロ忌

第1話

 首がそこにあった。炊飯釜に張った水に浮いている。触れると冷たくて、フヤけているのに収縮したように硬いのだろう。血は不思議と思ったより出ていない。血抜きが終わっているのだろうか。目は開かれたまま濁り始めていて睫毛が作り物のようだ。ざんばらになって濡れている髪に皮脂を感じて気持ち悪いなと思った。果たしていつからあったのだろうか。誰のものだろうか。解らないがどうにかしないといけない。長雨の湿気を感じて冷房の温度をぐっと下げた。

 まず手袋を買って、それからミキサーか。ちょうど処分しようとしていた年代物がある。それより先に加熱だろうか。第三者に発見されるのは決まって臭いからだ。肉は煮てしまえば案外臭いがきつくない。骨は溶かしてすかすかにしてしまえば案外簡単に砕ける。問題は髪の毛。これはやっかいだ。独特の臭いがする。悶々と考えを巡らせ、まず自分で秘密裏に処分しようとしているところを鑑みると、きっとこれは無関係な遺棄ではないのだろう。やってしまった記憶はないし、この顔に見覚えもないのだが。でもそれなら尚まずいな。独りごちながら冷蔵庫を開ける。

 もしこれに何かしら関与しているとして、残りの部分はどこにあるのだろうか。庫内は期限の過ぎたもやしと二個の卵しかない。冷凍庫もうどんと何かについてきた保冷剤だけ。もしかしてこの部屋にはないのかやはり然るべき場所へ連絡するほうが賢明なのかもしれない。三桁の緊急連絡先、しかし躊躇する。記憶ではないどこかの脳がそれはいけないと警鐘を鳴らしているのだ。混乱した頭で炊飯釜の頭を見つめる。インターホンが鳴った。オートロックなんて洒落たものはない。玄関越しに勢いの良い若い男の声が宅配を告げている。こんな時に宅配とは。ジーパンの腰元を後ろ手に撫でながら応答へ向かう。そこに差し込まれた硬いハンマーの感触を確かめ、玄関に向かいながら三桁の番号を消して財布を持つ。確か荷物を頼んだとすれば代引きだった筈だ。手癖で読めるか読めないかの適当な名字を書き込み、言われた金額にあわせようと小銭を漁る。よかった。この代金を払っても、手袋は買いに行ける。後は解体しながら考えよう。宅配業者が和やかに荷物の控えを切った。


 -R18Gシーン省略-


 念の為台所から玄関へ粘着テープで不自然にならない程度に毛髪を取りながら移動する。自身は入ってきた時のまま帽子を被っているから、通路の髪だけ取れていたら問題ないだろう。ゴミを丸め、ジップロック五袋と一緒にリュックへ。外へ出ると施錠したのをしっかり確認し、職場へと向かうことにした。

 家から近いからという安易な理由で決めた町工場は、今となっては便利な場所で。溶剤から工具まで業者でしか買えないものが大手に比べて杜撰な管理で転がっている。棚卸しは勿論やるが、消耗品は正確に測れるものばかりでもない。買う為の資格こそいるが、大きく減らなければ多少拝借したって気付かれない。更衣室でジーパンを脱ごうとしてゴトリと音がした。隠し持ったままだったハンマーが床に転がっていて、うっかりそのまま外に出てしまった事にひやりとした。上着で隠れていたから問題はないだろうが、そんな事にも気が回らないというのはやはり生首に動揺しているのだろう。あってないようなタイムカードに打刻し、普段通りに働く。社交的な方ではないがそれなりに人とは関わりがあるもので、会社で一人になれるタイミングが中々ない。有難くも普段から残業を強いられている部門にいるお陰で残っても何ら疑われない。苦労はいざという時の為に買っておくものだと誰になく説き、人が少なくなっていくのを待つ。

 定時の休憩に必要な工具を腰袋に忍ばせているのを確認していると、声をかけられているのに気付くのが遅れた。最近よく話しかけてくる年若い事務員が大丈夫ですかと心配そうに見上げてきていた。適当に返答しているが、先程めくり上げた皮膚はこれくらいの年齢の女のものだったかもしれないなと色のついた粉が厚くのった頬を見て思う。これも、あの炊飯釜に浮かべてやれば見比べられるのに。じっと皮膚を見ながら話していると、段々と赤みを増していく。それが生生しくて鬱陶しい。

 適当に話を切り上げると、タイムカードに終業の打刻をした。暫くは普通に残業に勤しむ。小一時間経った頃を見計らって更衣室を経由し、喫煙所へ。昨今はこんなうらぶれた町工場でさえ禁煙やら分煙やらの声が煩い。大きめの備品等がある裏手口に行ってコンクリの階段に腰掛けた。工場は粉塵や音を防止するのに塀が高く設けられており、外からはこちらが見えないようになっていた。職場の人間が来たとしても曲がり角までに敷かれた砂利で誰か来たかすぐにわかる。防犯のための玉砂利は、内側にいると便利な警報装置だ。今残っているであろう事務方や役職付きは室内に設けられた喫煙室があるのでそちらを使う。本来そちらが正式に設けられた喫煙室だが、そこまで行くのが面倒な現場の人間はもっぱらこちらしか使わない。

 ガラムに火を付ける。別に嫌いではないが、甘い煙草は唇に粘質の糖がのっている気がしてつい一口毎に舐めてしまう。味蕾に届く作り物の甘味が疲労した体に心地いい。濃い煙を吐き出すと、ポケットに捩じ込んだ一袋のジップロックを取り出す。

 小さな二十九本の歯が収まっている。腰袋から鉄製のやっとこを取り出し、歯にあてがうとゆっくりと力を込めた。抵抗感のあと軋む音がして砕けていく。厚手のポリエチレン越しに一本ずつ丁寧に粉砕した歯は、多少の欠片はあるもののざらざらと粒子になった。

 永久歯は二十八本、親知らずを足しても三十二本が通常だ。二十九の歯があるということは、幼少期以降に歯科へ行った可能性がある。歯列は個人を特定する上で重要な情報だから念を押して処理をしなければならない。袋に穴が空いていないかを確認し、ロッカーにしまうと残業へと戻った。

 メインフロアにもう数人しか残っていない時間になって、少し奥まった場所に陳列された一斗缶の中からもう封の開いているものを傾けて事前に持ってきていた瓶に溶剤を入れる。化粧水が入っていたそれに無色の中身が満たされても違和感がない。男性用の基礎化粧品が一般に流布している現代に感謝しつつ、本日の業務を終えた。家に帰ると、手に入れた溶剤に砕いた歯を流し込む。これで一日も経てば砕けなかった欠片もほぼ溶けるだろう。

 歯は問題なくなった。肉片は深夜の川へでも撒いて鯉の餌にと思ったが、量が思ったより多い。残される危険を考慮して可燃ごみに混ぜることにした。住んでいるマンションはいつでもごみを捨てていいのは有難いが、収集日は勿論曜日が決まっている。確か次に収集車が来るのは明後日の午前中。その日の朝に出そう。適当にジップロックを中身も乏しい冷蔵庫に放り込む。そういえばもう何も食材がなかった。明日の夕飯はカレーにしよう。残る問題は頭髪と頭蓋骨だが、隠蔽するのは面倒であることを除けば頭蓋骨はそんなに問題ない。これだけでは個人の特定は難しいからだ。遺棄して見つかっても犯人の特定に強く響かない。それに比べ髪には情報が詰まっている。生首が誰か解っていない以上、第三者に発見されたとして調べられると自分より多くの事を先んじて理解されてしまう。追われる側は全てを掌握しているくらいでないと立ち回れない。死体がある事の意味は解らないのに、やましい部分があるのは感覚で解っている上、通報せずに隠滅しようとしてしまった時点でより完璧に処理をするしか道はない。既に損壊はしてしまっている。例え元から生首に責任がなかったとしても既に加害者だ。

 洗面台の下から買い置きのパイプ洗浄剤を取り出して洗面器に中身を全て出した。濡れたまま袋詰した髪が気持ち悪い。手袋をして一本残さず洗面器に移す。このままでは髪の量に対して液体の溶かす効果が追いつかない。溶けなくなったのを確認する度にザルにとって、新しく洗浄剤で溶かす。異常な量の溶剤や血は排水溝に流すと気付かれる。あくまで家庭で掃除をした程度の量を定期的に流す必要があった。ある程度の期間が必要だと見越して頭皮がつかないよう丁寧に毛を抜いた甲斐があって腐敗はしない。普段湯船に浸からないから浴槽にでもおいておけばいいだろう。手袋を外しながら居間に戻ると冷蔵庫から冷えた水を取り出してパキリと栓を開ける。ソファに腰掛け、リュックからいくつかに分けられた頭蓋骨の入った袋を眺める。後はこれをなんとかしなければ。明日は休みなのだし、そういえば丁度棚が欲しかった。飾り気のない部屋だが、写真なんか飾ってもいいと思っていた。最近買った一眼レフにも少し熟れたのか、人に見せるものではないが自分で楽しむくらいは撮れるようになった。少なくともぼやけたり真っ暗に写すことはなくなったのでよしとする。家で写真を加工からプリントまでできる手軽さも有難い。休日にやる事が増えると少し気分があがる気がする。明日は朝一でホームセンターに行こう。流し込んだ水が喉の内側を通るのを感じ、骨になった顎を撫でる。

「お前の喉から下はどこにあるの」

 返事はない。

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