聖母子像 / 苫津そまり

追手門学院大学文芸部

第1話

 町の外れの教会に、聖母子像というのがある。この聖母子像が、なんとも摩訶不思議な物品なのである。

 そも、聖母子像というのは聖母マリアが幼児期のキリストを抱いた像であるからして、教会にあるのはまったくもって不可思議なことではない。けれどこの町の教会にある聖母子像は、いつまで経っても真白まっちろなままなのである。

 こういった真白な像といえば素材は大理石と目されるが、それにしたって数十年もの間、くすみ汚れ傷欠け埃ひとつなく柔和な笑みを湛え続けているのは、ルーヴル美術館のダビデ像ならまだしも、この小さな教会にあっては些か手入れが行き届きすぎているというものであろう。血色のない肌とは対照的に、生きているかのような柔らかい微笑みとまろみのある輪郭線は、教会に通わなくなってもう二十年は経った今でも鮮明に思い出されるのである。


 閑話休題ところで。教会があるからといって、この町のキリスト教徒数はそう多くはない。というより、ゼロと言っても差し支えないのではないか。私の知る限り、教会を管理しているしかいないのだから。


 かれはやや大柄で、男か女か老人か若人かの判別のつかない、髪も肌も真白な人物であった。

 記憶にある限り、私が小学校低学年の時分には今と同じ姿で立っていて、当時から人魚の肉を食べて不老不死になったのだとか、人肉を食べているのだとか、子供たちの間では不吉な噂がまことしやかに囁かれていた。

 ちょうどその頃、町外れに出向いた人間がひとり、行方を眩ますなんて事件があったものだから、そんな出鱈目が出来上がったのだろう。

 人魚肉にしたって、町に残る伝説を信じるのなら、我々の先祖もそれを食べたはずなのだ。人魚の肉を食べると不老不死になる。そしてその者の心臓は肉体を離れても動き続ける。人魚は骨と内臓を海に還せば身体が再生するから、先祖たちは飢饉が起こる度、その白い人魚に救われた。けれど現実、先祖たちは墓で眠っているのだから、不老不死なんてものも真っ赤な嘘なのである。


 とかく、そんな噂が流れていたものだから教会に近寄るものは少なかったし、子供たちは親や教師から、町外れには行くなと言い含められた。しかし人間、行くなと言われれば行きたくなるのがさがというものである。三年生にもなる頃には、友人の習い事のために遊べない日など、帰路の途中で方向転換し、かれに宿題を見てもらったものだ。かれの物腰は柔らかく、宗教の「し」の字も知らない子供にも敬語を使い、頭ふたつ分ほど違う私のために、膝を折って目線を合せてくれた。

 小学校も高学年になった私は聖母子像をいたく気に入っていて、しばしばじっと見つめたり周囲をぐるぐる回ったりして放課後の何時間かを過ごすこともあった。かれが秘密ですよと笑って、一般には公開していない奥の部屋を見せてくれたのは、何度目かの「きれいだなぁ」の後であった。

 部屋には表に出ているのと同様に真白な像が十数体は並んであり、その中にいくつか真黒まっくろな像が混じっていた。曰く加工手順が異なるのだそうで、制作当時は白いものの方が簡単であったから、そちらが沢山できてしまったのだという。

――もう十年もすれば、黒いものの方が作りやすくなりますかねえ。かれはそう言って像を撫ぜた。私も触ってみようとしたが、美しいものへの畏怖か、母親の背丈ほどもある像の威圧感からか、なんとなく触ってはいけないように感ぜられて、結局触れることのできないまま、卒業と共に教会への足も遠のいてしまった。


 しかしながら、こうも回想に耽っていると、そこに還りたくなるものだ。かつて歩いた――今はもう滅多に通らない――道を遡ってゆけば、記憶よりも更に小さな教会に辿り着く。懐かしさにひとしきり浸り、いつも通り開いてある戸から中に入った。聖母子像はあの時と変わらぬ微笑で私を出迎えてくれる。

 かれは不在のようで、私と像はしばらく見つめ合った。


 そして私は、不意に像に触れた。


 かたくつめたいはずの像は、ぐにと柔らかく、そして、たしかに、脈動していた。


 あたたかかった。


 ハッとして手を離し、それからまた指先でなぞっても、今度は見た目どおりの硬度と温度をもって、私を更に混乱させる。


 ようく観察すればマリアの首筋にはあるはずのない鱗が彫られていて、耳の付け根には魚のえらのような裂け目があった。果たしてこれは聖母子像と呼んでよいものなのか。そうでないとすれば、かれの信仰するものは一体なんだというのか。

 ――そもそも、かれが信仰を捧げる姿を見たことがあっただろうか。



 錆びた鉄のようなすえた臭いがした。




 町の外れの教会に、聖母子像というのがある。幼児期のキリストを抱く聖母マリアは真白な素材で、亡骸を抱く聖母マリアは真黒な素材でできている。


「こちらの像ですか。こちらの方はつい最近完成しまして。美しいでしょう」


 かれはそう言って亡骸を撫ぜた。

 しろく、きれいな指先だった。





 あとがき


 苫津そまりと申します。大学生になってからは二作目(けれど前回のは高校時代のもののリライトだから、実質一作目!)です。

 前回が青春ものだったので、今回は色々ガラッと変えて奇妙な物語で。ちなみに着想元の、実在する黒い聖母像はこんな不気味な代物ではありませんのでご安心を。

 実は語り部の把握していない部分を六百字ほど、ついでに町の人魚伝説を二百字ほど書いてみていたのですが、どこまで語っていいものか悩みますね。

 それでは私はここいらで失礼します。また次があれば、その時に。

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