一人快晴世界奇譚

片桐 椿

第1話


 カンカンと響く警報機の音。遠くから聞こえるパンザマスト。目の前にはどこにでもあるような郊外の風景。高校に入ってからもう二年も使っている馴染みの駅前のロータリーに僕は立っていた。少し強い風に擽られてくしゃみをひとつする。夕方特有の柔らかな光に包まれながら、何故自分がここにいるのだろうと首を傾げた。確か電車に乗って家に帰ったはずなのに、どうしてまだ駅にいるんだろう。何も思い出せない。


 電車がホームを通り過ぎる。空気が緩く振動して静かになり、それでようやく我に返った。とにかく情報が欲しくて改めて自分の格好を見る。紺のブレザーに黒のリュック。肩から提げているのは数学の問題集が入ったトートバッグだ。手で持っていた傘が地面と当たってこつんと音を立てる。つまりはなんてことない学校帰りの装いだ。やっぱり帰宅したような気はするのだけれど、それ以上は分からない。自分の記憶力に自信がないからもしかしたら登校中だったのかもしれないとすら思えてきた。


 ここから僕はどうすればよいのだろう。振り向いて見ると改札は何故か暗く、人気が無い。改札のゲートもすべて閉じている。腕時計の短針は四と五の間を指している。この時間だったらそれなりに人がいるはずなのに、まるでホラーゲームのように物音ひとつしない。普段見ない様相が空恐ろしかった。とりあえず、駅に戻ることはできなそうだ。振り返らずにまっすぐ進むしかない。意を決して足を踏み出す。



 背筋を伸ばして夕暮れの街をのんびりと闊歩する。見慣れた学校までの道なのに次第に違和感を覚えた。誰もいない、というわけではない。むしろ駅の中とは違って歩道には人がたくさん歩いている。その道行く人々が、皆傘をさしているのだ。肌寒いとはいえども雨は降っていないし、日傘をさすほど陽光が強いわけでもない。もし日傘だとしても、老若男女問わず誰もがさしているという状況になることはないだろう。それなのに、誰も彼もが花を咲かせて窮屈そうに道を譲りあっている。頭上には雲一つもない青天が広がっているのに、傘をささずに歩いているのは僕だけだった。不躾な視線が向けられているのを感じて身を縮こませる。


 妙な居心地の悪さを覚える。途絶えた記憶、薄暗い駅、快晴の中の傘の群れ。見慣れた制服と通学路がまた違和感を増長させている。まるで夢のように支離滅裂で、それでも夢とは思えないほど鮮明な感覚があった。僕は何もおかしいことはしていないはずなのに。だって、晴れているのに傘をさすなんておかしいじゃないか。一体どういうことなのだろう。状況がうまく飲み込めない。


「あれ、お前もう大丈夫なのか?」


 俯いて歩いていると不意に前から話しかけられた。向こうから歩いてきたのは一年の頃から同じクラスだった新田だ。彼も他の人と同じように傘をさして驚いたように僕を見ている。


「大変だったって聞いたけど……。いやそんなことより、傘させよ。こんなに土砂降りなんだから風邪ひくぞ」


 傘を渡されて反射的に断る。新田はあっさりと引き下がって自分の傘さしなよ、とだけ忠告した。その何気ない様子につられて思わず傘を広げる。ビニールで陽光を遮ってから、ずっと抱えていた疑問を投げかける。


「新田。どうして傘なんてさすんだ? こんなに晴れているのに」

「は? お前、何言ってるんだ? 今日は朝から雨だろ」


そう聞くと朝は雨が降っていたような記憶がある。手に持った傘だって濡れているしそれは間違いない。それでもわかることは、今は雨が降っていないということと夕方から晴れる予報だったことだけだ。


 では新田が嘘をついているのか? それは考えづらい。新田はこんな分かりづらい冗談を言うような人間ではない。そもそも道行く人々もすべて傘をさしているわけだし、こんな手のかかるドッキリはできるわけがないのだ。


「確かに朝は雨だったけど、今は僕にはどうみても晴れているようにしか見えないんだ」


 新田は怪訝そうに眼を瞬かせた。


「つまり、実際には雨が降っているけどお前には晴れているように見えている、ということか? でも服濡れてるから雨なのは分かるだろ?」

「いや、乾いたままだよ。僕からすれば、晴れているのに傘を広げている人たちの方がおかしく見えるよ」


 必死に主張するが新田には響いていないようだ。あまり納得のいってない様子で息を吐いた。


「よくわからないけど……。とりあえず、道には気をつけろよ?」

「どうして?」

「お前、昨日この辺りで事故にあっただろ? 確か車が水溜りで滑ったとかで」


 覚えてないのか、なんて言われても全く身に覚えがない。 事故? そんなものに遭っていたら忘れられるはずがないのに。身体だって痛まないし怪我をしているところも目視できる限りはない。


「事故? そんな覚えないんだけど……」


 言葉に詰まる。音が消えたように視界が狭まった。道路の先、目に入ったのは白い少し汚れた軽トラック。麻袋をたくさん積んだそれが、交差点の向こうから猛スピードで迫ってくる。周りの人たちは我関せずといった調子で歩いているが僕はそれどころじゃない。早く、どうにかしないと。


「新田、目の前! ……って、あれ?」


 隣の新田に声ようとして顔を向けると、そこには誰もいなかった。


「は? 嘘だろ、さっきまでいたのに」


 動揺して思わず足を止める。その間にもトラックは速度を緩めることはなかった。タイヤとアスファルトが擦れる嫌な音を立てて、巨体がぶつかってくる。避けることもできずにその衝撃を受けながら、同じ痛みを以前に享受したことがあると思い出した。



 妙な出来事があった。ザーザーと降りしきる雨の中、一人だけ傘もささずにゆっくりと歩いている人影が目についた。その人は俺の高校の制服を着ていて、更によく見ると入学以来仲のいい友人だった。話しかけるとどうにも話が嚙み合わない。どうやら彼には俺と違う世界が見えているらしい。遂には雨なんて降っていないだとか言い出した。状況を整理したくて目を閉じる。次に目を開けた時にはもう誰の姿もなくなっていた。今のは一体何だったのだろう。こんなところに彼がいるはずもないのに。だって、あいつは今入院しているなずなのだ。昨日の事故で車に跳ね飛ばされたあいつは、肋骨が数本折れるほどの重傷で一晩経った今でも意識不明らしいと聞いた。当然病室から動けるはずもない。ならば今目の前にいたあいつは一体何だったのだろう。

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