二 『聖女』
荘厳で美しい教会の礼拝堂の中で、魔術師たちは心を一つとして聖女召喚の呪文を唱えました。そして、青く光り輝く魔方陣の中で<聖女>は召喚されました。
「――……」
聖女は地面まで届くほど長い黒髪を棚引かせ黄金の瞳を宿した、美しい<人>のようでありました。
聖女は自身の瞳と同じ、黄金の蔦で象られた杖を持っています。杖はとても長く重そうで、けれど聖女はしっかりと持っています。聖女は白く美しい衣装を纏っていました。何重もの包まれた一枚布は聖女降誕を象徴しているかのようです。
此の国の、聖女降誕の儀は間もなく成功しました。聖女は瞳を少し細めてから、やがて彼等に宣言します。
「――聖女召喚は成り立ちました。そして――私が救うべきものは、どこにいますか?」
彼女は杖を持ち、威風堂々と立っていました。まるで自分の定めを予め分かっていたかのように、彼女は宣います。誰かが叫ぶように返事をしました。自分たちを救ってほしいと――この世界を救ってほしいと、聖女に願いました。これは彼らの命を懸けていました。だからこそ、世界を救うぐらいしてもらわないと、割に合わないのです。
「そう――貴方たちの望むべくは、世界の救済ですね、なれば私は、これから世界の救世主として振る舞いましょう」
そうして彼女は救世主として振る舞いました。彼らの祈りに応え彼女<聖女>となりました。
けれども召喚した彼等は知らなかったのです。彼女こそが、<魔王>だと。この世の地獄を創り上げてしまう張本人だと。
今となっては前回に召喚された彼女こそ本物の聖女だと思われたかもしれません。
けれど、今更知ったところで何もかも遅いのです。
彼女は召喚されました。悪名高き彼女の名前は『ヨル』といいます。けれどその名前を最後まで憶えているものは誰もいませんでした。彼女の悪名なんて、亡びた国のどこにも遺ることなんてないのだから、誰も憶えている筈がなかったのです。
彼女は謳います。
「自身はこの世界を滅ぼす獣」だと。
彼女は宣います。
「異世界召喚なんて、しなければ助かったのにねぇ」と。
しかし一言だけ付け足すならば、彼らは自身の世界を救う方法なんてこれ一つしか覚えていなかったのです。少しは学べば良かったのに。無垢な少女を犠牲にしなければ、<魔王>なんて召喚されずに済んだのに。
けれど結局、彼らは救われる道なんて元からなかったのです。
だって世界が滅びるなんてそんなこと、初めから決まっていたことなのですから。
今更足掻いたって、どうにもならなかったのです。
◇
荘厳な教会の
「……」
視界の端から手を見ると、驚くべきことに自分がよく見知っているものではなかった。恐らく自分の身体ではないような倦怠感。いや、黒子の位置からして正しく自分の身体であれば、恐らく成長しているのだろう。ならば、関節に感じるこれは所謂成長痛というものであろうか。
着ている服も私のものではなかった。視線をあまり動かせなかったのはここが敵地であるからと、人目があるから。私は大勢の人間に囲まれていた。今のところ敵意はないが、いきなり剣を突きつけられたら、衝動で全員殺してしまいそうになる。救うべき人間のことを考えれば、これはあまり良策とはいえないだろう。
「――おぉ、聖女召喚は成り立った!」
大勢の人間の後ろのにいる誰かが、私のことを聖女だと断言した。馬鹿な。本物の聖女ならもう少しまともな人間が応じる筈だ。私は聖女の真反対の存在――魔女と言われた方がまだ私の本質を突いている気がする。
思わずその人間対して冷めた視線を投げよこしそうになった。いや、殺意すら篭もりそうであった視線で睨みつけようとし――我慢した。この者たちの思い込みを利用しようと考えれば、所作一つも見られている前では下手なこともできない。
けれども――こんな状況、想定していた内に入っていたが、本当にこんな愚かなことをするものがいるなんて思いもしなかった。
まず私がするべきことは、虐殺ではなく、様子見。
しかしてまるでこの状況を予見していたように、私が演じるのに相応しい杖を持っている。
こんな杖、私が知っている筈がなかった。私が持つならばもっと即物的な――刃、あるいは殺傷性のある武器である。けれど見るからに禍々しい黄金の蔦が絡まっていれば、また別の世界にあるかもしれない私の剣なのだろう。
身体が倦怠感に苛まれているのは恐らく成長痛だけではあるまい。身に付けている服もいつもより重かった。けれど、視界の端から見えるそれは、どう見ても豪華絢爛な「聖女」らしい衣装である。
ならば私の役目は一つしかあるまい。手段と目的を入れ替えるな。まずは演者になりきれ。己を騙せ。彼らにとって都合良い存在だと思われろ。
息を吸って、吐く。既に演技は始まっている。大仰ではなく、細やかな動作で。
私は虐殺者ではなく、聖女。この国を救済するべく異世界召喚に応じた、清廉潔白の聖女。
「――聖女召喚は成り立ちました。そして――私が救うべきものは、どこにいますか?」
軽やかやな涼やかに。小鳥が歌うように奏でてみせろ。
私は聖女。すでに戦端の幕は、切って落とされているのだ――
聴こえてきた言語は幸い、私が知っている内の言語であった。。
異世界は、私たちが暮らしている世界とまるで鏡のようなものなものも存在している。神代から生きる獣は絶滅し、代わりに人間同士が争いをする愚かな世界も存在していた。
言語も耳に聴こえる限りであるが、私が知っているとある国で国語とそれているものと恐らく相違ない。たまにイントネーションや単語が違うこともあるが、恐らくそれは誤差として片付けられるだろう。
生きてきた世界が違うのだ。どうせならば、彼らより高次元から舞い降りた女神だと思わせればいい。大事なのは、私は彼らと対等ではないと思わせること。舐められた時点で考えている計画は瓦解する。それだけは絶対にあり得ないこと。
「しかして聖女よ」
「はい、何でしょうか」
「どうか貴方が――本物の<聖女>と、矮小な我らに信じてくれないでしょうか」
「……――」
この愚かな人間――いや、獣たちは私が見た目だけで本物の聖女だと判断できなかったらしい。つまりは、奇跡を起こせということか。
良いだろう。その挑戦、しかと受け取った。
「――いいでしょう」
私はなるべく鈴の鳴るような声で返答する。表情も勿論慈愛を含めて、柔らかく皆が望む聖女らしく。これが実際の私を知っているものが見たら恐怖に陥るだろう。実際に過去、何人か何もしていないのに命乞いをするものも続出していた。
「なんでもいい。家畜を一匹、連れてきなさい。出来る限り生きて、一匹いなくなっても大丈夫だというような、そんな家畜」
本当ならこの辺にある人間でも構わないが、ここに集まっているものはどれもが国の重役を任されていそうであれば、手を出すのは得策ではない。
私の要求はすんなりと通った。すぐに小さな子山羊が連れてこられた。とても美味しそうな家畜であるがここで涎を垂らすわけにはいかない。
「その子山羊を私の元へ」
私はどこかの貴族の従僕に子山羊を私の手元に置くよう命じる。子山羊はこれから運命を知ることもなく、ただ視界に私を映していただけ。
「……」
子山羊から見た私の顔はどう見ても私の面影が残った、きっと大人になったらこんな風に成長するのだろうと言わんばかりの顔立ちで。身長も体重も何一つ想像の域を出ない、あれほど求めて止まなかった成長がそこにあった。
しかし感慨に耽ていることを悟られてはならない。私は手袋を外して屈み、子山羊の頬に触れる。
『呪い』は異世界でも遺憾なく発揮した。
子山羊は触れた瞬間、皮が溶け、筋肉が溶け、内臓も溶けて、最後は灰のように燃え尽きて何もなくなってしまった。子山羊だったものがそこにあったと証明するものもない。ただ呆然と、その瞬間を目撃してしまった者は子山羊が消える瞬間を眺めることしか出来ず。
「私に許可なく触れたものは皆、こうなります――この杖同様、私に宿した祝福は天上におわすものから与えられしもの。私は天のみ使い。決して、手荒に扱わないように願います」
折角なのでこの身に宿す呪いを利用した。呪いが発揮するたびに私の身体は軋み悲痛を訴えているけれど。そんなこと、知るものか。痛覚遮断という便利な機能なんて持っていないけれどこれはまだ我慢できる領域。私が我慢できなかったらそれは――死を意味する。
「おお! これぞ正しく、聖女の奇跡!」
これは誰かが言ったのだろうか。私の思惑通りに、呪いを聖女の<祝福>だと勘違いしてくれた。これで自分の思った通りに事を運びやすくなる。
私は歓声を上げる彼らに笑顔を向けた。こんなの本当に『月蝕のヨル』には相応しくない微笑みだけれど。私の本性を知っている人間が誰もいなければ、こんなこと羞恥心で頬が染まるまでもないのだ。
「我が聖女よ! お願いがある!」
「?」
そのとき、声が教会に響いた。直後にどよめきが上がったことから、きっとこれは召喚の儀に参加した者たちの総意ではないのだろう。
一歩飛び出したのは美麗な偉丈夫。私の嫌いな白金の髪の青い空を連想させる碧眼をしていた。まるであの『天使』だと――あの姿が脳裏をかすめたのは私の思い過ごしだろうか。
服装からして、此の国の王族か、それに準ずる地位の人間だろう。隣には可憐な令嬢もいた。令嬢は何故か涙を溜めて瞳を震わせている。一体何が怖いのだろう。私には何一つ理解できない光景だ。
「私は聖女召喚の儀を代表する、此の国の王太子、レオである!」
どうやら彼は王太子であるようだった。レオと名乗った人間は可憐な令嬢の肩を掴み侍らせている。一人でものも言えないのか――この甘ったれ小僧が――というのが私の正直な感想であった。しかし顔には出さない。私はただ傍観するのみ。
しかし、彼は聖女の役に徹する私の心とは裏腹に少し――いや、かなり度肝を抜かすことを願ってくる。きっとこれは彼の最後の賭けだったのだろう。そうでなければこんな空気を読まない真似、こんな大事な場面でする筈がないのだ。
「どうか聖女よ、私と、彼女との婚姻を認めてほしい――!」
「……」
しかしまぁ、実際にその場面に遭遇すると人は絶句するものだと思い知った。彼の決意は十分に伝わる。それと此の国が召喚した思惑が少し読み取れた。
国の恐らく重鎮たちであろう顔は青ざめている。恐らくであるが、この美麗の青年を私の伴侶に宛がうつもりだったのだろうか。
けれど私は、誰にも触れられる筈がなく、また此の国の奸計に乗る義務もない。こんなどうしようもない男を貰ってやらなくても世界を救ってやる。それがどちらの世界を救うなんて、言うまでもないけれど。
「いいでしょう」
私はこの王太子の願い通りに宣言してやる。聖女の演技ついでだ。私は神父らしく神に仕えるふりでもしてやろうじゃないか。
「聖女の御名によって宣言しましょう。此の国の王太子と彼女に、祝福があらんことを」
瞬間、周りの者は動揺が広がり、此の国の王太子と令嬢は周りの空気を一切読まずに喜び合っていた。私は若干呆れつつ、まぁ此の国の王太子を押し付けられなかっただけましだと考え直した。
「本当に全く……」
異様な光景だった。魔術師たちは疲れ果てて昏倒して、此の国の人間によって外へ運び出されていた。残るのは魔方陣の上に未だ乗っている私と、国を代表する貴族たち――それと王族。
私は小さく呟く。本当に誰にも聞こえることなく呟くそれは。誰か個人に対して言ったわけでも、指摘するわけでもないけれど。聖女らしからぬ言葉だとあいつが見ていたら注意されたかもしれないけれど。
でも私は呟かずにはいられなかった。こんな愚かな光景。
きっと私のことを知っているものが一人でもいたら、私にこんな目に遭わせるな忠告していただろう。しかしこれは既に狩りの一環だ。既に手遅れなのだ。私の邪魔をするものがいたら、須く殺す。それがたとえ私の知人だろうが例外なく。勿論、この場にいるものも全てが対象だ。
「自分たちのことしか考えられない、愚かな獣たちめ」
しかし此の国の獣たちはいっとう愚かであった。私なんて死に神を召喚しなければ、未だ生き永らえたかもしれないのに。
けれど召喚してしまった。私は世界を救うと約束してしまった。ならば聖女らしく、答えてあげるというものが道理ってものでしょう?
呪え獣よ、夜よ蝕め 藍砂 @fuyuhime
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