第三章
一 『異世界召喚』
あまりにも暑すぎて鎧なんか着ていられなくて、我慢できずに涼やかな衣装を纏っていた。
ギルドを訪れたとき受付にいたマリさんが私を見た瞬間、嘘、あの陰湿な子が!? みたいな視線を投げてきた(気がした)が許してやろう。私は慈愛の精神を持ち合わせているからそんな視線を投げてきても寛大な心で赦してやるのである。
吸収性がある下着に、上は防具ではなく薄手のノースリーブを身に着けていた。鉄の
黒地のノースリーブは狩りにおいて防御力が心もとないが、というよりほぼ防具として役に立たないわけだが、それよりもこの気候をやり過ごす為に考え抜いた結果、防御力を捨てるに至った。よく考えればすぐに狩りにいくわけでもなし、ここで自分に牙を剥けているものがいたとしたら。私の肌に触れた瞬間もれなくあの世行きだ。わざと触れようとしなければ肌に触れてしまうという事故がないと判断してから私は少し開き直っていた。
髪も二つ結びではなく、髪を一つに纏めて首元を少しでも涼しくしていた。首に触れる馬鹿がいたら以下略――なのでフードも今は降ろしている。肌からは相変わらず私を蝕もうと金色の文様が蠢いたが無視すれば何ら問題ない。つまりそれほど『夏』というものは呪い以上に厄介なものである。
「あらぁ、『黒』のヨルちゃんでもこの夏は堪えるのかしらぁ? でもまぁ――貴方、ずっと寒いところで働いていた気がするしねぇ、暑がるのも仕方ないわぁ」
そういうマリさんも髪を一つに纏めて薄手の衣服を着用している。普段から露出は激しいと思っていたが、何よりふくよかな大胸筋を見せつけられると、何故か落ち込んでしまいそうになる。マリさんの身体は男性なので、性差による筋肉の付き方にはどうしても差があるが、それでも私は相当鍛えていると思えば、外見に全く反映されないのも悩みものである。
それより、そうだ。マリさんがこんなに意気揚々と話しかけてくるのは――正直に言ってとても怪しい。きっとまたろくでもないことを持ってくるのだろうと――気付いたときには時すでに遅し。
「……マリさんがこんなに饒舌だと、何か嫌な予感がするんだよなぁ」
「あら、大当たりよぉ」
「逃げていい?」
「だめぇ」
怪訝な表情をすればマリさんは首を傾げて相槌を打つ。そして私はどこからともなく悪寒を感じた。
いつもこうだった。何やら嫌な予感がすればそれは必ず的中する。しかも悪寒の度合いからいってかなり厄介な――下手をすれば自分が深く巻き込まれてしまう、そんな確信めいたる予感がするのだ。
彼女は颯爽と立ち去ろうとした私の肩をがっちりと掴んでは、そのままカウンター越しにずるずつと引きずっていく。力技も程がないか? と呆れたかったが反抗したところでどうしようもないので、大人しく引きずられるしかないのである。
「行方不明事件?」
配られた資料を眺める。そのどれもこれもが、恐らく行方不明になった人間たちの
「そうなのよぉ。最近近隣国で頻発していてねぇ、とある国の魔術省が現場に残された魔力の残滓を調べたら、どうやら異世界が係わっているみたいなのぉ」
私は読み終えた
異世界の獣が係わっているのなら喜んで調査(という名の食事)に勤しむが、どこを捲っても獣が係わっている様子はない。ならばどうして私が呼ばれたのか見当もつかない。
れっきとした理由はあるのだろう。だけれども――私は一応否定する。これに興味津々であると誤解されたらもっと悲惨な状況を呼ぶに決まっている。
「……興味ない」
「そんなこと言わないでぇ、貴方しかもう便りになる人がいないのよぉ」
「シスがいるでしょう! セイも未然に防げるとなれば私が受け持つべき任務でもない筈だ! 私は獣狩りが専門であって人探しには興味ない!」
異世界
どう考えても私の出番はない。そう――思っていたのだけれど。
「それがぁ……今回ギルドでは異世界に赴いての討伐もありってなってぇ――……行方不明事件に携わったものの処罰は全て貴方が請け負ってくれたら貴方に任せるってぇ言ったからぁ、もう断るとかそういう段階じゃないんだけれどぉ、どうかお願いよぉ」
「……」
それはつまり――異世界に赴いてというのだろうか。通常なら、正気の沙汰ではない注文。けれどギルドから不問と処されたら仕方ない。
どうせ断れない仕事なら最大限生かすしかない。予めギルドは分かっていたのだろう。どうせやるなら私が『黒』たらしめる理由を以て大暴れしろと――そう宣言しているに等しい。
「資料……」
「?」
「資料、全部ちょうだい。解決できるか分からないけれど。言っておくけど、行方不明事件に係わったものは『異世界の獣』と判断しても構わないよね?」
「! えぇ、もちろん! この件は貴方が請け負うなら、ギルドはすべて現場判断でいいって言っているわぁ!」
「わかった」
異世界の獣が相手だとしたら私の出番だ。私ほど彼らをうまく解体できる人間はいまい。ならば、たとえ人間が相手だとしても異世界にいればその時点で私の殺害の対象になる。
獣が相手なら正義はこちらにある。ギルドからの免罪符も貰えれば、向こう側で何をしても罪に問われることもなく、また出頭する必要もないということだ。
私は資料をもう一度確認することにした。私が担当になるなら、しっかり読んでおいても何一つ損はない。
「……被害者は全員うら若き乙女――成人したばかりの外見が幼い女性だけが選ばれている」
これに異世界が係わっているとしたら結論は一つ。これは過去にもあった事例で、私も実際事件に立ち会ったことがあった。
「……異世界召喚、かもしれない。この人数となると恐らく国家ぐるみ。――聖女伝説を信じたものの仕業か?」
その時は何というか――恐らく今回望まれている方法で解決した。力技に等しい方法。暴力は時に強引にでも事件を解決に導くことができる。あまりやりたくないが仕方ない。正直に言えば、今回もきっと、私はあちら側に行くのだろう。
「この項目通りなら、私も候補に入る」
そう、資料を通して出した結論。本当に異世界召喚がされていたとならば、私も候補のうちに入るのだ。希望ではない。きっとその召喚された対象の国に入国すれば私が選ばれるという確信がある。何故か? それは全て、この
「資料をみると、魔力抵抗値がかなり高い子女ばかりが選ばれている。つまり――」
そう、全員が魔力抵抗値が高いのだ。魔力抵抗値とは体内にある他者から影響を受ける数値であり、高ければ高いほど自身の魔力は高いとされる。自身の魔力が高ければ、魂の器は満たされて他者が介入する余地はないのだそうだ。
ちなみに私は魔力の塊で呪いをぶつけられてもこうして生存していることから、恐らくこの世界の中でも群を抜いて魔力抵抗値が高いのだろう。
けれど異世界召喚になると、魔力抵抗値が高かろうが関係ない。彼らはこちらの常識を考慮せずに召喚するものだから――異世界召喚は召喚する人間の常識が宛がわれる。向こうはどう考えているが知らないが、魔力抵抗値の数値が高い人間を召喚することを誉れとしているようだった。
異世界召喚は簡単にいうほど楽ではない。世界を跨げば通行料として何かを奪われるように――特定の人間を召喚するには多大な犠牲を払わなければならない。
そんな犠牲を払ってまで何をしたがるのか。世界を救ってほしいのか。馬鹿な。そんなこと、自身の世界の人間だけで対処すればいいのに。
しかし実際、私が異世界に召喚された人間を救出したときの魔力を、世界を救うために使えばいいのに若者一人に全てを背負わせるために充てるものだから――馬鹿の極みとしか言いようがない。救世主? そんなもの、自国の国から創ればいいのであって、異世界召喚という不確かなものに頼るべきではないのである。
ところで、この資料から照らし合わせると――マリさん、貴方もしかして――いいえ、この結論に至ったから、この件の担当になるのは『月蝕のヨル』が相応しいと確信を得ていたのだろう。
しかし一応聞いてみる。狩りのついでに事件を解決に導く為には、少しの疑念も解消するべきだ。
「……マリさん、中身はともかく身体が年若い子女――人身御供に丁度いい人間がいるわぁってことで私に声かけなかった?」
「うふふ、気のせいよぉ」
「……」
やはりマリさんは一筋縄ではいかない人のようだ。恐らくは最初に推薦したのもこの御仁だろう。
まぁ異議を唱えても今更ことは覆らないので私は開き直って、一番件の異世界に近い国を見定める。最近消えた子女の出身国と行方不明になった日時、魔力抵抗値を照らし合わせれば――次に召喚が行われる国は、間違いなくここだった。
「仕方ない、いくかぁ」
召喚までの時間を計算するとそこまで余裕はない。けれども全く余地がないというわけではない。私は立ち上がり、必要な経費と物資をマリさんに口頭で伝える。既に彼女は私が言っていることを予測していたらしく、既に必要なものは揃えてあると返答した。
「任せてちょうだい! 既に準備はばっちしよ!」
「そっかー、やっぱり拒否権なかったんだね」
◇
「ふむ……美味しい……」
舌鼓を打てば目の前の店主は満足げに頷いている。ついでだから『月蝕のヨル』が絶賛していたと伝えれば感動のあまり泣いてしまったようだ。
『月蝕のヨル』は悪名高き虐殺者でもあるが、美食家としても有名である。獣を狩らないと手に入らない珍味を齎すものとしてその界隈では名が知られている。たぶん。
けれど色々な背景を抜きにしても、この鶏肉の串焼きはとても美味しい。恐らく食べた部位は砂肝だろう。砂肝とは鳥の部位でいうと胃である。鳥は歯がないため、餌を丸呑みにしている。一緒に口の中に入れた砂や石によって餌をすりつぶしていく必要があるため、ほぼ筋肉でできているからこりこりとした触感が生まれるのだ。
しかも触感の上に調味料に拘っているようで露店にしては上出来すぎる出来栄え。これに三ツ星を送らんとして何を送ろう。願わくば目の前の店主は泣き止んでほしいが。もしかして恐怖で泣いているのだろうか?
「中々の美味しさだな。これなら他国でもやっていけるだろう」
ちなみに今言ったのは私ではない。残念ながら、私の他にもう一人の人間がギルドから派遣されていた。
冬の空みたいな涼やかな眼差しは婦女子に人気があるのだそうだ。しかし本人は全くその気がないのだから面白い。男性にその手の人間と思われるのが苦痛だと本人が零していた。
その彼は今は私と同じ髪を一つに束ねている。とても研究者とは思えないいつもの重苦しい衣装ではなく、白い半袖のシャツに黒ズボンを穿き、同じく黒色の革靴を履いていた。とても敵地に視察にきたとは思えないほどの軽装は、しかし何故だろう。私と似たようなものと指摘されたら否定できなかった。
「何故お前がいるのだろうねぇ、シス」
「何も二人で調査をするなとは言われていまい」
「……奢ってくれたからいいけれど。あ、おじさん、もう四本ぐらいちょうだい。美味しいからもっと食べたい。もちろん、このお兄さんが払ってくれるから安心していいよ」
「堂々と人の財布にたかるんじゃない」
そう言いながらシスは財布から幾つか小銭を出して店主に支払ってくれた。私は両手に串を持ってにこにこしていた。このぐらい太っ腹なら、たとえ傍に他人がいてもまぁ許してやろうかなと考えている。
「お前も暑そうだから、随分と薄着じゃないか。いつもの白衣と
「一応潜入捜査だからな。置いてきた。それに――」
彼はきっと
「貴方が召喚されるまで時間はまだある。それまでにどう過ごそうが、こちらの自由の筈だ」
「ふーん……まぁ満月の夜までまだ時間はあるし、のんびりと観光しようじゃないか」
満月の夜はおおよそ一週間であった。異世界が召喚が行うなら恐らく満月の夜。月は異界を繋ぎやすい側面を持つ。行方不明者もそろって満月に、まるで攫われるように消えていた。
法則性を持つなら予測しやすい。絶対とは言えないが、前兆があればそれに備えるだけだ。まぁ準備したとしても、異世界に何も持っていけない場合もある。消えた人間の中には、その者が着ていた服がその場に残っていた事例もあった。もし私も同じく召喚されるとなれば、衣服すらこの世界に置いていかれる可能性もある。羞恥心がなくなったわけではないが年ごろの娘よりは感性は鈍いので他のものが召喚されるよりまだいいだろう。もし、本当に何も身に着けていなかった場合でも、その辺の人間あるいはそれに近しい者から衣服を剥ぎ取ればいいだけの話であるので、そこいらの女性より剥ぎ取る力がある私の方が適任である。
何故かシスは向こうに召喚されたとき全裸になる可能性を提示したときに渋い顔をしたが、彼の愛しいものでもないのだ。別に目に入ったからって毒にでもなるわけではないし、触らなければ何てこともない。私を害そうと触れてきたものは全て溶けてしまうし、結局のところ、何も問題はないのだ。
ということで、私たちは潜入捜査という名のその国の郷土の調査に勤しむことにした。無論、費用は(シスの)私財となれば、誰にも文句は言われない筈である。
しかし調査という名の食べ歩きをしていたらどうしても喉は乾くもので、屋台にある大人の飲み物に目を付けてしまったら手を伸ばさずにはいられなかった。
けれど結局、伸ばした手は大人の飲み物を掴むことはなく。
「……」
「やめておけ。貴方は一応、外見だけならば未だに成人していない少女だからな」
「麦酒……」
「諦めろ。酒は一目のつかないところで飲め」
代わりに手渡されたのは
気温は正直に言って、ギルドがある中立地帯よりも暑くて、しかも湿気がある。虫がそこら中に存在して、こんなにも鳴くとは思わなかったし、肌もべとつくとは思わなかった。正直甲冑なんて着ていられない。脱いだのは正解だったと考えられよう。
けれどこの国の空だけは恐らく透き通っていて綺麗だ。真昼には蜃気楼があるとは思えないほどの美しい空。夜になればきっと満点の夜空が拝めることだろう。
「そういえば、夕方から花火があるらしいね、この国。特に今はそういう季節らしい」
「そうか」
「楽しみだなぁ。何気に花火ってもの、見たことないんだよね」
信号弾や光弾といった類は何度も見たことあるが、純粋に芸術といった火薬の使われ方をしたものは目にしたことがなかった。となれば、心が逸るのも仕方ない。
「どうせ潜入調査なら、楽しんだ方がいい。そうは思わないか?」
「?」
と、ここでシスが珍しく提案をしてきた。こいつが私に対して何かをさせようなんて滅多にない。けれど今は――特に戦闘が起こるとか緊急時でもないから了承することにした。結局のところ、私は存分に今の状況を楽しんでいるのである。
◇
「おぉ……これは」
露店街から少し離れた、
ちなみにこの衣装は全てシスが払ってくれた。何とまぁ珍しいことでもあるのだと感心した。
「中々似合うじゃないか」
シスは更衣室から出てきた私を見て一言だけ感想を呟いた。もしかしたら今夜、槍が降るかもしれない。それほど普段の彼とは何か違うような――まるで親のような眼差しで見つめられれば、雛鳥のようになった気分にもなる。
「これが俗にいう、民族衣装というものか。面白い。涼しいし、肌も隠れられる」
「人込みに入らなければ問題はないだろう。その金色の蔦は隠しきれないが、わざと触れられなければ肌に接触する事故もない筈だ」
「ありがとう、シス。たまにはいいことをするんだな」
本当なら特にこんなことする必要もない筈だ。けれども彼は、わざわざ時間と金を掛けて思い出を作ってくれた。彼がそこまでしてくれる理由は知らないし、興味もない。しかし気遣いを無下にするほど私は外道でもなければ、素直にお礼も言えた。
シスは私の言葉に返事をすることはなかった。でもまぁ聴こえてはいただろうから、特段気にする必要もないだろう。
そして共に外を出てこの国の気温を、空気を感じる。一歩外に出ればふわりと、涼しい風が首元を撫でた気がした。
そのとき、目の前が発光した。火薬と金属を混ぜて包んだものが発火し破裂したときに見える光景がこれだと、どこか他人事のようなのんびりとした感想を抱いた。
これが噂に聞く、あの花火だと思えば。
何て綺麗だろうと、そう感想を抱いてしまって。
「あ。花火」
「なに? まだ時間は――」
シスはこのとき疑念を抱いた。未だその時間ではない筈だった。
けれど振り向けば、楽し気にこの国独特の衣装を着ていた彼女の姿はどこにもなく。
服は散らばって落ちていた。服を押さえていた帯も解けて散らばっている。あれほど楽しみにしていた花火は、結局彼女は見ることなかった。
「……ッ」
慌てて辺りを見渡せども、やはり彼女の姿はない。けれども――あまりにも早すぎたのだ。予測は絶対的なものではない。未来であるからこそ、不確定な要素も含まれている。
しかし満月を待たずして、実際に彼女は異世界召喚された。
この世界のどこにも、彼女は存在されることなく――取り残されたのは、シス一人であった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます