アオハル二重奏 ー盲目彼女と始まる青春ピアノー

藤宮 結人

盲目少女と輝く「青春」


人生なんてつまらない。

そう呆れ半分で、高校生の俺は惰性で生きてきた。常にフラットで感情を表に出すのもあまりない。

でも、だからこそ彼女の「音」に惹かれたんだ。大好きな想い。それが心の奥底に響いた。

西山明音。

青春の時計を動かしたのは夏休み明けの最初の登校日のことだ。



「……西山明音(にしやま あかね)です。よろしくお願いします」

8月25日。夏特有の日照りの中、新学期が始まった。聞き耳を立てるや「海行ってこんなに日焼けしちゃた!」「彼女といい感じなところまで行ったぜ!」などの浮かれた会話が飛び込んでくる。


まったく「学生の本文は勉強」みたいな時代錯誤なことを言うわけではないが、もう少し落ち着いて欲しいモノだ。夏休み気分が抜けなくて授業中に寝るだの、となりや後ろの席の人と喋って最終的に怒られる。このムーブはクラス全員が巻き込まれて怒鳴られる羽目になりかねない。というか絶対そうだ。特にうちの担任は女でありながら番長のようなオラオラ系だから余計うるさいし。


その点俺――白崎純(しろさき じゅん)は真面目な方だろう。自分で言うのは自信過剰で盛っている部分もあると見られてしまうが、少なくとも1ヶ月エンジョイしていた奴らとは一線を画す。


例えば、校則違反であることを知りながら「ネイルサロン行ったの。どうかわいい?」と入り口近くで話している女子と比べてもらえるとわかりやすい。


もうすぐで朝のホームルーム。

俺はきちんと席に付く&体育館ばきを用意して始業式の準備までしている。

さらに言えば彼女の前回の期末テストを言えばあちらが平均が40点だとして、こっちは80点。

冷静に見て、真面目なことは一目瞭然。そのことをクラスメイトたちが感じ取ってのことか、クラス委員長に推薦された。自分の実力を評価されることは悪くない。でも正直めんどくさいとは思った。なぜなら、

「彼女は目が見えないそうだ。だから学校生活で常にサポートしてくれる奴が欲しい。立候補いるか?」

「はい! それは委員長の白崎君に任せればいいと思いまーす♪」


このように何でもかんでも押し付けられるからだ。しかもそいつはネイルを自慢げに見せびらかしていたアホ女。一対一なら睨んでいたところだが、ここはノーリアクションを装う。


「他にいないようだな。じゃあ、白崎頼むな」

「はい」


返事をしたのち、転校生に目を向けた。

茶髪、それは校則違反だろう。

それがパッと見の感想。

けれど前髪で目を隠しているのは、オシャレに疎くても彼女のスタイル、髪色には合わないことぐらいわかった。身長は160センチを超えていて渋谷や原宿を歩いていたら読モにスカウトされるレベルなのであろう。


「西山明音です。……白崎さんよろしくお願いします」

「えーと、壁に挨拶されても」


先生に手を引かれて、西山が俺に向かってくるも頭を下げたのがうまくいかなった様子。

できるだけ優しい口調で自分の席まで誘導した。


「ごめんなさい。ごめんなさい」

俯きながら謝る彼女を横目に朝のホームルームが終わった。


♪♪♪


「放課後、学校を案内してやれ」

昼休み。職員室に担任の元ヤン(と噂されている)切島先生に呼び出され、何かと思えば西山のために校舎の中を案内してやれと言われた。放課後は駅の書店に寄ろうとしていたのに、スケジュールを埋められてしまった。


「あの……」

「あ、そういうのいいからな。お前が委員長になった時点で決まっていたんだよ」


朝のホームルームが終わってから、女子たちが西山に興味津々で、面倒見ることはなかった。でもそれは表向きの話にすぎない。


「明らかにクラス配置に問題があると思います」

「ほぉ、その心は?」

「歌音ですよ。はっきり言ってあいつと西山は最悪の組み合わせです」


東歌音(あづま かのん)はさっきのアホ女のこと。たしかに先生がなんで奴を選ぶのか、その理由はわかる。それは統率力だ。

クラスのムードメーカーとしてもそうだが、異常なのは女子たちを半ば手駒にしていること。彼女の前では逆らえないし、逆らったら最後何をされるかもわからない。

それをみんな噂として認識してるが、俺はそうは微塵も思わない。


ー-だって事実なんだもん。


奴が西山を階段から突き飛ばしたところに居合わせたことがある。

それで完全に東歌音という人間が嫌いになった。



「先生は見て見ぬ振りですか?」

「わかってる。だが、それを言葉にしてもしてこちらに伝えてもらえなくては、変な奥底で自分のかわいい生徒を疑うのはな」

「なるほど。それで俺を盾がわりに、と。まったく遠回しに先生が俺をいじめてますよね?」

「よろしく頼むぞ。委員長」


少しでも委員長になって喜んでいた自分を責めたい。

「まぁ、クラスが陰湿な空気になったら嫌なのでほどほどに対処します。それでは」

委員長の誇りでもなんでもない。ただ自分が通う学校が険悪な空気になって欲しくないから。

影で「西山係」と蔑まれる役目を受け入れたのは強いて言うならそれが理由だった。


「あ! これも持っていけ。許可はわたしが取っておくからピアノも弾いていいぞ」


投げ渡られたのは音楽室の鍵。何故これを持っていくのか理解できなかったが、ポッケに入れた。


***


「お待たせ、西山さん。約束通り学校を案内するよ」

「よろしくお願いします」


教室でたった一人席で存在感を放つ西山。

ほお。

窓際の席でまどろむ彼女。涼しい風がその茶髪をたなびかせる。日の当たりようも幻想的にモデルを際立たせている。

スケッチしたくなるほどの光景に息をのんだ。


「……絵になるな」

「絵に?」

「うん? ああ、なんでもない」


危ない。口から漏れてしまった。普段は女子を見て綺麗だと感嘆することもないのに。


「ところで西山さんって何か趣味とかある?」

「ピアノを少々というところです」

「ピアノ……なるほど。だから先生は音楽室の鍵を渡してきたのか」


……いや、目が見えないのにピアノって弾けるのか? 昔テレビで失明した人が弾いているところは見たが、半信半疑だ。そのようなことができるのだとしたらとてつもない才能を秘めていることになるが。


そんな話をしながら校舎を回る。いわば観光ツアーのガイドさんだ。入学してから1年と少しだけれども2年生の中じゃ誰よりも知り尽くしている自負がある……担任に手伝いや運ぶ時に色々と引っ掻き回されたからな。


「ここが食堂。弁当を持ってくる生徒もいるが大抵の人が利用するそうだ」

まずは食堂から案内。西山は目が見えないため何かを触らせて知覚するのが最善だ。道中も階段とかはなるべくスロープを使った。食堂では、触るもので必要不可欠なのは券売機。


「一番上の出っ張りのところから、下まであるが、みんながオススメするのはオムライスみたいだな」

「……オムライス。とっても美味しそうですね。それ食べてみたいです。どこにあるんですか?」

「え? ここに、って……」


言葉で説明するよりも手を掴んで教えてあげた方がいいかも。……でも、なんかいけないことをするみたいで戸惑う。


「わたしオムライス大好物で、学校のも食べたいです!」

「そうか……じゃあ、ちょっと手を貸してくれ」

「……はい。どうぞ」


失礼ながらお手を拝借して、オムライスの場所を触らせた。何か変な手汗が出てないか、そっちに気を遣って女子の柔らかくて繊細な手に喜ぶ暇はなかった。


「ここですね。わかりました」

「どう、注文できそう? 俺が毎回来てもいいが」

「いえ。自分で注文してみます。でも点字があった方がありがたいかも」


向こうはそれほど照れていないようで男心的には少し微妙な心持ち。

けど……点字か。

それは券売機に限らず、学校の至る所に付けた方がいいかもしれない。


「あ、今何時ですか?」

「今は、4時10分くらいだな。1時間ももう経っちゃったか」

「5時に職員玄関でお母さんと待ち合わせしているんです」


それはちょっと厳しいかもな。うちは生徒数も多く敷地が広い。急いでいくならまだしも一歩ずつリードするなら回れない。と、なると……音楽室に目的地を設定した。


「音楽室って最上階にあるんですね。皆さん登るの大変じゃないですか?」

「まあな。でも音楽の授業は必履修科目じゃないから。逆に採ってる人の方が珍しいよ」


立てかけられた時計を見るにやはりここに来て良かった。片道10分くらいだからまだ余裕はありそう。積み重ねられた椅子を一席出して、一旦西山を座らした。


「本当は使っちゃいけないんだけど、今日は特別だって」


そう言ってドの音を押してみる。すると体をびくんとさした彼女が椅子から立ち上がったので俺はとっさに体を支えた。


「ピアノ、ピアノですよね!」

「うん、時間は少ないけど弾いていいよ」


前髪で顔はよく見えなかったけど、でも体が飛び上がるくらい嬉しがっている。

……その姿がどこか羨ましく感じた。


「あ、引きますけど笑わないでくださいね。下手ですから」

「大丈夫。ユーモアがないロボットとも言われるくらい表情筋動かないから」

「え、でもさっき声は震えていたような?」

「少しだけ」

「ふふ。面白い人」


他愛無い会話からガラリと、ピアノに手を置いた瞬間空気が変わった。

聞いたことはないが、一音一音悲しさ、儚さがじんわりと伝わってきた。


引き終わって、手を挙げた彼女。その姿は神々しくて、美しいと感じた。息を呑むのも、唾を飲む混むことも瞬きをするのも忘れ、ただこの一瞬を瞳に焼き付けたかった。一音一音、強く押される。音もそうだが、必死にピアノと対峙する彼女の情熱たるや並々ならないものだった。


ドクン、と心臓が震えた。

それは低く、ずっしりとした感覚で自分の何かが変わろうとしているかのような衝撃。それが何なのかこの時はまだ理解し得なかった。

「お耳を汚してすみません」と謝る彼女に俺は拍手を送った。

すると今度は困った顔をした。


「本当に変な人ですね。こんなひどい音、雑音でしかないのに」


「そうかな? 俺には音が心に響いたけどな」


「え? でも目が見えないし」


「だからなんだ…俺はうまいと思ったよ。佇まいというかものすごい集中力だったよね」

「そんなに褒められると困ります……わたしピアノやめますから」

とても落ち着いた様子で鍵盤の蓋を閉めた。

「本当は年末のコンクールに応募したかったんですけど、お母さんに辞められているんです。プロになれないから時間の無駄ってだから良いんです。ピアノとはおさらばしたんです」

「でも、今弾いていた時今までで一番生き生きとしていたよ」

「それは……」


障害を負ってもなおピアノがやりたいということだろう。自分が好きなものってなかなか辞められないと思う。目が見えないのはプロになるどころか、ピアノが弾くこともままならない。

それでも目の前にいる少女はちゃんと弾き切った。

自分が好きなものに、こんなにも情熱をかけている人は初めて見た。だからこそ無色透明な世界に生きてきた俺には心に来たものがあった。

胸に強烈な重低音が響き渡った。いや、それだけではないかもしれないけど。彼女の必死な姿と「音」に一目惚れしたことは間違い無いのだから。


「もったいないよ。こんなに心に届くのに」


心に響く。今感じた気持ちを引き起こさせた「音」を失わせたくなくて俺は提案した。


「そのコンクール出たら? 目が見えないのなら俺がサポートするし」

「どうしてそこまでしてくれるの」


どうしてか? 「あなたに一目惚れしました」とは言えないよな。


「君といれば何かが明るくなれるから、かな」

「なにそれ、おかしい」


西山さんが笑顔を浮かべた。ああ、その顔もとっても魅力的だ。無邪気な表情はピアノを弾いている時とは逆で子供っぽい。

彼女の二つの顔に、心を弄ばれているようで少しもどかしかった。


「白崎君がそういうなら」


こうして俺と彼女のピアニ漬けの学校生活が始まったのだった。

同時に視覚障害者を補助する勉強も始めた。音楽に関して素人ではあるが、楽器店を回って店員に弾き方や楽譜の読み方なんかを教わった。かじった程度の知識だが、どこの音が間違っているのかという点は指摘できるようになった。


放課後の時間がまるまる潰れるのは最初は少しだけ勿体無いとも感じなくもなかった。が、続けていくうちにピアノも彼女の学校生活も充実した時間に様変わりした。閉鎖的な自分の部屋で閉じこもっている自分。そして学校で西山と関わる自分。その両方な決定的違いは、「心」が大きく揺れ動いたことに尽きる。


西山の手を握ったらドクンと心拍が跳ね上がる。ピアノを聞くとその曲にトリップする感覚に襲われる。

場所は音楽室なのに、大草原や大海原、宇宙にまで飛んでいく。

そんな感情の高鳴りを与えてくれた彼女に感謝する。


……と同時に、ドギマギとした鼓動を覚えるのだ。


例えば手を繋いだ時とか、横に座っているだけでも彼女の一挙手一投足に注視してしまう。女子とあまり深く関わったことがないから免疫がない俺が意識しているだけかもしれない。

けど明らかに、他の女子とは違う印象を持ちつつあった。



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