盲目少女の暗転



♪♪♪




【明音】




音楽室での練習を始めて2ヶ月くらい。


曲のイメージを語り合いながら、ピアノを弾く日々は何よりも楽しかった。


学校なんて行きたくはなかったけど白崎君は他の人とは違う。わたしのやりたいことを優先してくれるし、困っていたら手を差し伸べてくれる。顔はどんな感じなのかな。丸っこい感じ? シャープでシュとしているのかな? どっちにしろ彼は良い人。この前なんて、


「頑張っているのは俺がちゃんと見てるから」


なんてキザなセリフを言われてしまった。本当にそういうのは本当に心臓に悪い。嬉しいのだけれども、ピアノに集中できなくなるのが傷かも。




「先ご飯食べるからそのまま座ってなさい」




家に帰るとわたしの面倒をお母さんが見ることになる。家ではこうしてリビングにいることが多くて不自由な暮らしだけど、料理を作ってくれる時の匂いが好きだからじっとしていられる。それで嗅覚が鋭くなって大体何のメニューか当てられるようになった。


例えば今日なら、トマトの匂いが煮ることで優しく充満している。




「やっぱりミネストローネだね。今日もお母さんの味だ」




「そうね。まだいっぱいあるから遠慮なく言ってね」




我が家のミネストローネは野菜多めでとてもボリューミー。それをスープんですくって自分で食べられる、これもまた至高のひと時。


白崎君がおすすめしてくれたオムライスも食べてみたいけどあっちはもうちょっと頑張らない食べられない。もちろん彼にあーん、とか頼めればしたいけどいくらなんでもそれは恥ずかしい。向こうだってお昼が遅くなって何も食べられないまま授業を迎えたくはないだろうし。もうしばらくはお弁当を持って行こう。




「最近は笑うことが多いわね。いつも送ってくれる彼が影響してるのかしら?」


「え、笑ってる?」


「なんだかとっても嬉しそうよ。もしかして彼のこと――」


「もう、何言ってんの。そうじゃないって」




そんなにニヤけていたのかわたし。自分では表情が見えないから気づかないものなんだなあ。……お母さんは家族だからなのかな? これがもし白崎君の前でもニヤついていたらと考えると、


「わたしって気持ち悪い?」


「いいえ、むしろ乙女の顔でとってもかわいらしいわよ。以前はモテモテなのに来る人全員の告白を断っていたのに……その子は相当なやり手ね」



「……彼は恋愛経験0らしいけどね。でも他の人より優しいの。移動教室の時も率先して誘導してくれるし、最近は点字も勉強してるみたいで。あ、そうそう。ピアノにも点字を貼ろうかって聴いてくれて、とにかく優しくて……」




とても心が温かくなる。


まだ失明する前はお母さんが言った通りモテていたんだと思う。髪からネイルやらオシャレに気を遣ってできるだけかわいくしていた。確かにイケメンな人もいた。少女漫画でよくあるサッカー部のキャプテンにも告白されたし、普通の女の子だったらきっとOKしてた。それでも何故かときめかなかった。今振り返ればそういう所が他の女の子には気に食わなかったのかもしれない。最終的にはそのキャプテンを振ったことでいじめられたから。




「ちょっと待って。明音、まだピアノやってるの?」




お母さんが箸を置いた音がした。空気を読むこともわたしの特技だったりするのですぐにわかった。


ピアノのことを口に出してしまった。


ほんの些細な会話で、浮かれて気が緩んでいた。そこに気づいてもらっては一番困る人の前での自白。




「お母さん言ったわよね? ピアノはもうしないで! 今のあなたは天才じゃないの! 障害者待遇がある職に就くべきなの!」




そう、お母さんはわたしに公務員になってほしいみたい。昔はコンクールに着る衣装を選んでくれていた。でも失明してからは勉強を強要してきた。親心子知らずではない。それはある意味安定した職場に就職してほしいのはわかる。一時期はその通りにピアノからは距離を置いていた。


目が見えなくてどうやってプロになれるのか? コンクールに出たら失敗して笑われる! ……常に頭には暗い言葉が浮かんでいた。


でも、彼がいてくれた。




「ピアノはやめない。わたしのピアノがすごいって言ってくれた人がいるから。まだわたしの『音』を必要としてくれる人がいるんだよ」


「やめなさい」


「……嫌だ」




お母さんが今すごく怒っているのが感じ取れる。それでも食い下がるつもりなんて全くない。


「勉強もやる。だからピアノは続けさせて!」


「ダメね。認められない。いくら頑張ったってできないものはできないの! その子だってきっと同情心でしかあなたのことを見てないわ!」


「……そんなことない。彼は……」




ドン、と鈍くて重い音を立て席から離れて横を通り過ぎると、後ろから「こんなものがあるから」と怒鳴り立てられた。




「こんなもの?」


「携帯とこのピアノのこと! 慣れもしないのに夢を見るのはそのお友達とここにピアノそのものがあるからよ。最近は弾かないから勉強熱心になってくれたと思っていたらコソコソとやっていたのね」




わたしの部屋にあるのは10歳の時に買ってくれたピアノが置いてある。コンクールに参加する時にはいつもそれを弾いていた。あの時はよく笑ってくれていた。




「嫌だよ。わたしから大切なものを奪わないで」


「わからない子ね。あなたのためを思って言ってるの!」




わかってる。散々聞いて、自分にはできないと思い込んだ。でもできるかもしれない。それを白崎君が教えてくれたからまた弾こうとしてる。




「……嫌だ。どっちも譲れない」




こっちも立ち上がって部屋に向かおうとするも途中で転んでしまう。ああ、こんなにもわたしは他人に依存していたんだ。白崎君にもたくさん迷惑かけている。1人では何もできないこんな自分も嫌になってくる。だけどひたすらにお母さんを説得しようとするのは最後の抵抗だったのかもしれない。




次の日の昼休み。白崎君はお弁当か学食どっちに行くか聞いてきた。その声は相変わらず優しくて、温かいものだった。




「お弁当だけど…………今日は」


「西山さん、一緒にご飯食べない?」




断るかどうか悩んでいたところに、見知らぬ声が聞こえた。「富田さんと約束していたのか?」「ええ、たまには食堂で一緒に食べたくて」と勝手に話が進んでいく。そんな約束をした覚えはないけど半ばラッキーだった。


自分を応援している人に悩みを打ち明けて、心配させるのが嫌だったのかもしれない。わたしは女の子ということしか声で判別できない富山さんとご飯することにした。




***




「あの、富山さん?」


食堂は1階にある。なのに階段を上がっていくばかり。それに手を引いてくれているけど、微かに震えているのが気がかりになった。


「大丈夫だから。ほんとに大丈夫だから」


それを繰り返し、明らかにドアを開けた彼女。そこはジメジメとしていて、ピタピタと水が流れていた。




「お疲れ様、富山。さすがはクラスで2番目の良い子ちゃんね。仕事ができて偉いわ」




正面から今度は聞き覚えのある声がした。前に移動教室で案内してくれた人だ。彼女はクラスのムードメーカーで授業中におちゃらけたことを言って場に笑いを起こしている。前のわたしよりもオシャレに気を遣っていて、流行を取り入れている子。教室内でもその高めで明るい声を聞かない日はないくらい。




でも今の声は違う。低く、ドスの効いた感じで恐ろしさがあった。




「さて、西山さん。あなたは転校したばかりで知らないと思うけど、うちの高校は髪色にうるさくてね。落ち着いた色じゃないと先生におこられちゃうの。だから事前に教えてあげようと思って」




校則なんてあまり気にしていなかったよ。でもそれを言うなら富山さんも派手にしているような? 

そう首を傾げると、横から2人に捕まれた。富山さんと歌音さんとも違う別人に両腕をがっちりとつかまれてまったく動けなくなった。




「ちゃんと掴んでいてね。大丈夫すぐ終わるから」




歌音ちゃんが耳元で囁いた声は優しくも、おぞましい気配が漏れ出ていた。その場で嫌な空気を感じとったのでにげようと手と足をじたばたさせるも手遅れみたい。


同じだ、あの時と。


脳裏にフラッシュバックするのは、前の学校のこと。恋愛ざたでいじめられた過去。


こうなったらもう、自己防衛に徹するのみ。


なされるままに時間が過ぎるのを待った。




「西山さん、その髪色」




「……えへへ、ごめんね」




「どうして謝るんだよ。無理矢理されたんじゃないのか?」




ボサボサの髪に、腕には食い込んだ痕が見受けられる。それに色が変わってれば心配されちゃうよね。


「いいから、職員室に行こう」


急かすように白崎君は手を掴んで引っ張ろうとする。それはありがたくもあり、辛くもあった。もしかして、わたしと関わるといじめられるんじゃないのかと。




「いいよ。黒髪にするのが校則なんだよね。わたし、それ知らなくて」


「いいわけあるか! 制服も体にも傷があるじゃないか」


「もういいんだよ!」


彼の手を振り払った。




「……白崎君にこれ以上迷惑はかけられないよ」


「迷惑だなんて思ってない――」


「嘘だよ! わかるもん。気持ち悪い顔で毎日毎日付き合わされて、もし逆の立場なら嫌になる!」




我慢できなかった。こんなに惨めな自分を支えてくれる人まで巻き込まれてしまう。その危機感から今の言葉が出た。だったら一掃彼にも嫌われた方が何倍も心が軽くなる。


「……」


戸惑う彼に追撃を入れた。さっき歌音さんから聞いた話。




「クラスで『〇〇係』って呼ばれてるんでしょ? 自己紹介の時に率先してやろうだなんで誰もいなかったでしょ? 普通やらないんだよ」




「俺は……」




「……じゃあね西山君。今までごめんね」




キッパリと断った。わたしは無力でどうしようもない。だからもう関わって欲しくない。自分なら何されても耐えられることはできるかもしれない。でも白崎君までも傷つく必要はない。




「大丈夫。わたしは一人で生きていける」




独り言を呟きながら、職員玄関まで行った。案の定お母さんにも心配されたことは言うまでない。




「学校行きたくない」




お母さんは何も言わなかった。

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