1-8 ほのかな灯火

 二階の和室は警察に明け渡し、前野家は全員、居間に集められた。それからひとりずつ別室に呼ばれて事情聴取を受けることとなった。


 前野家の周辺といったらほとんど田畑である。早朝ということもあり、村の人たちは、まだ麻友の怪死には気づいていない。

 いつも通りの静かな夜明けだった。

 だがこれだけ警察が出入りしていれば、なんらかの事件があったと知られるのは時間の問題だろう。


 最初は警察も前野家の面々に疑いの眼を向けていたが、遺体の様子を見て閉口した。麻友の死亡推定時刻が三時十分、死因が腹部切断によるショック死と断定されてからは、ますます困惑の様相を極めていった。

 亜瑚の部屋にはおよそ凶器となるものはなかった。にもかかわらず麻友の遺体は両腕と下半身、上半身は骨が砕けるまで無理やり後ろに折られたうえで完全に分離しているのだ。そこまで遺体を損壊させる方法は、亜瑚や星麗南はもちろん、素手で人間にできる所業ではない。

 検察官からしてもそれは一目瞭然の事実であり、だからこそ頭を捻るばかりなのだった。


 だけどそれなら。


 と亜瑚は虚ろな目で思う。

 軽率な行動のせいで化け物を怒らせて、その祟りで三人もの人間を死なせてしまった自分の罪は、いったいなにになるのだろう。


「亜瑚ちゃんのせいじゃないよ」

 星麗南はぎゅっと手を握ってきてくれた。

 星麗南の感じた恐怖と絶望を思うと計り知れない。母親の麻友があんなふうに目の前で凄惨な死に方をしたのにもかかわらず、星麗南は、気丈にも亜瑚のことを励ましてくれようとしていた。

「違うの、星麗南……私の……」

 口に出すとまた、どっと罪悪感が溢れてくる。


 すべては自分の軽率な行動が招いたことだった。


 怪談朗読は、大学の友人にはだれにも言ったことのない隠れた趣味だ。別に隠しているわけではないのだが、共通の趣味を持つ人もいないので、あえて話題にするには気恥ずかしさがあった。

 再生回数が伸びなくなっていることには、以前から気づいていた。

「バズりたい」とか、「収益を得たい」とか言うわけじゃないけれど、成長が見られないようですこし焦る。

 だからそろそろ、なにかいつもと違う趣向の話をと、思い巡らせた結果、実話怪談に行き当たったというわけだ。

「今回の話は面白い」と思われたかった。褒められたかった。

 ひとつでも多くコメントがもらえれば、それだけで嬉しかった。

 そうやってくだらない承認欲求を満たそうとした。

 これはその罰だ。

 胃液が喉の奥にせり上がってくる。亜瑚は歯を食いしばって、吐きそうになるのを耐えた。

 姪っ子の、大きな瞳がこちらを見上げている。

「亜瑚ちゃんはせれなのことを守ってくれたの」

 そこにはほんのわずかではあるが、さえ感じ取れて、亜瑚は耳を疑った。

「え?」

「星麗南わかるもん。亜瑚ちゃんが祈ってくれたから、鬼、いなくなった」

「星麗南……」

 あの状況で、この子はそこまで自分のことを信頼してくれていたのかと思うと、亜瑚は胸が詰まった。

 鼻をすすり、タオルで涙をぬぐうと、亜瑚は深呼吸した。

 いつまでも泣いてばかりいてはだめだ。

 しっかりしなくては。

「ご、ごめんね、亜瑚ちゃん泣いてばっかりで。星麗南はこんなに強いのに――」

 しかし星麗南が次に続けた言葉は、亜瑚をさらに愕然とさせるものだった。

「せれな、お母さんにいじわるされてたの」

「え……?」

 亜瑚はまたもや困惑して、思わず星麗南を凝視してしまった。星麗南はきょろきょろと、周りに亜瑚以外の人間がいないのを確かめるかのような素振りをみせ、それからおもむろに続けた。

「あのね、せれなが……笑わないからって。しゃべらないからって。お母さんに、たたかれたり、髪の毛引っ張られたり、してたの」

 ガラス玉のような瞳が、悲しげな翳りを見せる。

 にわかには信じがたく、理解しがたい話だった。しかしこの子は事実を誇張して訴えるような子ではない。ましてやいたずらに冗談を言うわけもなかった。

 亜瑚は言葉を失い、星麗南の手を握り返していた。

「目が悪くなったって言ったら、もっとおこられたし」

 なおも星麗南の告白は続く。それは衝撃的なものだったが、だんだんと麻友ならやりかねないかもしれないという思いが芽生えてきた。

 昨夜あの惨事が起きる前、麻友に首を締められかけたときのことを思い出したのだ。あのとき麻友は星麗南のことも、ためらいなく足蹴にしていたではないか。

 亜瑚の胸にふつふつと怒りが込み上げた。

 死んだ者を悪く言うのはご法度だが、それにしたって、あまりにもひどすぎる。


「でもね、亜瑚ちゃんはせれなを庇ってくれた。うれしかった。亜瑚ちゃん、せれなの味方なんだって……」


 星麗南が天使の微笑みを見せる。

 怒りの気持ちは薄れ、代わりに心のなかにほんのりと、あたたかな火が灯る。

「お母さんのこと、お父さんには内緒ね」

 星麗南は細い人差し指を立て、付け加えた。

「うん。うん、わかった」

 視界は涙で歪んでいた。亜瑚は、星麗南をぎゅっと抱きしめていた。

 小さな姪っ子の気遣いと優しさのなかに一春に似た一面を見たような気がして、胸がいっぱいになってしまった。

 それと、麻友への罪悪感が軽くなっていることにも気づいてしまった。


 ごめんね、星麗南。あなたのことは、かならず守ってあげるから。


 星麗南の存在が、思い出のなかにある小さな知景とも重なる。


 愛されるべき存在。

 弱い存在。

 だから絶対守り切らなければいけないのだ。

 知景のそばにいられなかったぶんも、せめて。


 亜瑚はやっとのことで、気を取り直しかけていた。

 しかし、それもつかのま。

 星麗南は無邪気に、ただ純粋に、最後に追い打ちとも取れる事実を亜瑚に突きつけてきた。


「あのね、鬼が来たのは亜瑚ちゃんのせいじゃない。きっと、お母さんが亜瑚ちゃんをいじめたから来たんだよ」


 えっ……?


「そんな……」

 鬼が麻友を襲った理由なんて、考えてもみなかった。

 だけど結果的に、亜瑚は

 知景や成美を殺した鬼が、なぜ亜瑚だけは襲わないのか。たしかに、考えてみれば奇妙だ。


 むしろ、亜瑚の危機に際して現れ、祈りに応じて消えている。顕現と潜伏は、亜瑚の都合に合わせておこなわれているようにも思える。まさか。


 鬼を呼んでいるのは私……?


 恐ろしい考えが浮かんでしまった。

 そうだとしたら、自分が彼女たちを殺したも同然ではないか。

 そんなわけない。

 亜瑚はその考えを、必死でなかったことにしようと首を振った。


 *


 その後、全員の事情聴取が終了したが、警察が得るものはほとんどなにもなかった。

 今後さらに近隣の住民に聞き込みをするらしいが、まったくもって無意味だろう。


 あっという間に西に日が傾いていた。

 前野家はしばらく立ち入り禁止となり、両親と一春、そして星麗南は、しばらく舘座鬼家の客間を借りることになったらしい。一春が頼み込んでくれたようだ。

「亜瑚は、どうする?」

 言いにくそうに、一春は尋ねた。

 時子には、亜瑚は数に入れずに交渉してしまったという。だからこそ了承を得られたのだろう。祟りの元凶の亜瑚が家に上がることを、時子が許すはずがない。一春の板挟みな状況を思うと責めることもできなかった。亜瑚としても正直なところ、舘座鬼家には足が向かなかったし、それでいいと思った。

 でもだからと言って、このまま東京へ帰るのも無責任だ。

「一応、役所のほうには宿泊できる場所もあるけど」

 一春が事情聴取から戻ってくるまで、亜瑚は自分がこれからどうするべきかを考えていた。

 自分なりにできることを探した結果。

 時子の言うを立てるとはどういうことなのかを聞くべきだと考えた。一度深呼吸してから、つとめて冷静に口を開く。

「一兄、私ね、これがもし鬼の祟りだとしたら、どうにかしてそれを鎮める方法を探したいと思うんだ」

「そうか……」

 とだけ、一春は答えた。その返事にあまり協力的ではない響きを感じた亜瑚は、すこし落胆したが、めげずに問う。

「一兄は、なにか知らない?」

 亜瑚は一春の口から、の話が出ることを期待していた。実際、一春がどこまで詳しく知っているかはわからないが、亜瑚としては時子に聞くよりも聞きやすいからだ。

 しかし一春の答えは、

「悪い。俺もどうすればいいかわからん」

 というすげないものだった。

 彼は自分からの話をする気はないらしい。

 妹には話せない、そんなに避けるべき話なのだろうか。

『忌避』という単語が、亜瑚の頭に一瞬浮かんだ。

 それとも、あのときの時子のの話を一春も実は理解してはいなかったのだろうか。

「そうだよね。ごめん。私のそばにいたら、鬼に殺されてしまうかもしれないもんね」

「違う、そんなわけないやろ!」

 思わず漏れた弱音に、一春は嗚咽のような切実な声を漏らした。やはり彼は彼でどうすれば良いのか最善策を探しているのだ。その想いが痛いほど伝わってくる叫びだった。

「いいの。ほんとにごめん、困らせて。一兄は星麗南を守ってあげて。私ひとりで行くから」

「行くって、どこへ」

「こういうときって、だいたい神社とか、お寺とかに相談するでしょ? 私もそうするよ」

 実話怪談において霊媒師や神職に頼るのは定石だ。まさか自分がこんな手を使うことになるとは思わなかったけれど。

「村の人たちは、私に鬼が取り憑いてるって言うからさ。お祓いしてもらう」

「なに言ってるんだ。そんなの……」

「あてにならない? だったら教えてよ。ほかにどうしたらいいのか」


 ――を立てるには、どうしたらいいのか。


 喉まで言葉が出かけたが、なぜか口にするのははばかられた。

 ここまで一春が自分から言うのを避けるのだ。それは奥の奥の手で、ほかに方法がないとわかるまで取っておいたほうがいいような気がした。

 なぜかはわからない。でも直感的に。


 一春が口を開いた。

「村の神社は舘座鬼と古いつきあいやし、亜瑚のこと良く思ってない。お寺は昨日今日とお葬式が立て続けで忙しい」

「市内まで行けば大きい神社があるでしょ」

 亜瑚は決意を固めるように拳を握りしめた。これも、ずっと考えていたことだった。

「そんな遠くまでどうやって……」

 歩いてでもなんでも。それはもう一春には関係のないことだ。半分は強がりだが、「心配ないよ」と亜瑚は言ってのけた。

 すると、

「せれなも亜瑚ちゃんと一緒に行きたい。お父さんも、一緒に行こ?」

 星麗南が一春の足元を、ぽんぽんとたたいて主張した。彼女が意見を挟むとは珍しい。もしかして、麻友がいなくなったからだろうか。さっきから星麗南は普段よりよく話す。

 星麗南の願いなら、一春も聞いてくれるかもしれない。と、亜瑚も少しだけ期待してしまった。

 しかしあわてておもいとどまる。

「星麗南、星麗南はみんなと一緒に、時子おばちゃんのおうちで待ってて。いい子だから」

「でも……」

「だめだ。星麗南。亜瑚と一緒には行けない」

 と一春もきっぱりと告げる。一春を見上げる大きなガラスの瞳が、涙の膜で揺らめく。普段感情を抑えたような星麗南の声が、切実に震えた。

「亜瑚ちゃんのことを、神社まで送ってあげるだけでいいの。それならいいでしょう? お願い、お父さん。お父さんは、助け合いがだいじってよく言ってるじゃない。せれなも、亜瑚ちゃんを助けてあげたいの」

 はぁ、と一春が疲れたようなため息をついた。

「……わかった。亜瑚、市内の神社まで送って行くよ」

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