第35話

 おっと、これは効いたみたいだぞ。

 彼女はぽかんと口をあけて、からかわれた女の子みたいに顔を真っ赤に染めていった。


 あー、すっきりした。

 かつて花のように可愛かったころを思い出すぜ。

 酔っ払ったルイーズが思わず口を滑らせたこの一言のお陰で、賞金稼ぎの俺は一時期ビジューのイカサマ師の道に走ったんだっけ。


 正義感の強い彼女は、自分の手で犯罪者を増やしてしまった事を一生の不覚と考えたらしい。

 それまで以上に仕事に熱を入れるようになってしまった。

 何しろあの日から十年間酒を断ったぐらいだからな。


 そうだったな、あの時から俺たちはすれ違い始めたんだ。

 なあ、ルイーズ。

 俺たちは今からでもやり直しは利かないんだろうか?


 ルイーズは不服そうにうつむいて、かじりかけのリンゴに目を落とした。


「お前、どうして分かった?」


 とでも言いたそうな顔だな。


 ふふん、種明かしすればなんてことはない。

 帰郷したとき仲間たちに


「ごめんなさい、もう2度と嘘はつきません」


 と100回土下座した後、西軍にも出頭して、完璧な真人間になって戻ってきたんだ。


 そしてあるとき酒の席で、どうして俺の記者会見を嘘と見破ったか、とアルドスに尋ねてみた。

 そうしたら、あいつはあっさりと口を滑らせたのさ。


「そうか、幼馴染みがいたか……」


 お前は根っからの嘘つきだな。

 彼女は忌々しそうに呟いた。


 ははは、やはり持つべきものは友だな。


 どうやら魔力に敏感な俺の右手は、感情が高ぶると無意識のうちに筋肉が痙攣してしまうらしいんだ。

 ルイーズみたいな鋭い洞察力を持った女でなければなかなか気づかない、ごく僅かな動作だろうが、危うく永遠に嘘がつけなくなるところだったぜ。


「同じ日に同じ教会で同じ産湯を浴びた仲だ。俺の事を誰よりもよく知っている。ちなみに男か、女か、気にならないか?」


「ばか言え、そう言って欲しいだけだろ。それよりも、そいつが教えたのは右手の癖だけなのか?」


 俺はきょとんとして、


「どういう事?」


 と尋ね返した。


 彼女は


「ああ、なんだ」


 と安心した風で、大きく頷いた。

 ルイーズは広報誌を取って、リンゴをかじりながらそ知らぬ顔でそれを読み始めた。


「よかった、なら安心だ」


 俺は、ぎょっと目をむいた。

 右手の癖『だけ』、とはいったいどういう事だ。

 彼女のその態度は、まるで冗談を言っているようには見えなかった。


「どういうことだ……まさか……」


 まさか、右手の他にも、まだ俺に何か癖があったっていうのか?


「ひょっとして、それもビジューの時と同じ癖……じゃないだろうな?」


 ルイーズは、それには答えず、軽く咳払いをしただけだった。

 ……ああ、そうかちくしょう、あいつらッ!

 やたらとカードが強いと思ったら、そういう事だったのかッ!


 あわてて洗面台の鏡をのぞいてみたが、それらしい癖がどこにあるかは分からない。

 どこだ、俺の一体どこに、どんな癖がある。

 俺はダメ元で、ベッドの憲兵団中佐にすがりついた。


「な、なあ、頼むよ、それって、どんな癖なんだ? 今後、世の中の治安を守っていくと決意をした俺の為に、ぜひとも教えてくれないかな?」


「ダメだ、絶対に教えるものか」


「そんなこと言わないで教えてくださいくれよ。俺の今後のビジュー生命に関わる問題じゃないか!」


「いい加減、賭け事から足を洗え。さっき治安を守ると誓ったばかりだろ?」


「それとこれとは話が別じゃないか。というか、詐称能力は俺の特殊能力のひとつだぞ? 相棒の特殊能力に弱点を残してどうするんだよ?」


「お前みたいな碌でもない輩は枷のひとつぐらいはめておかないとな、治安が乱れる」


 俺たちが言い争っているうちに、やがてドアが軽くノックされる音が聞こえた。

 どうやら楽しい面会の時間は、あっという間に過ぎてしまったようだな。

 俺は息をついて立ち上がった。


「わかったよ、相変わらず、頭の固い中佐殿だな……」


 軽く両手を広げて、観念する仕草をした。

 ベッドの上のルイーズの目を見つめながら、ゆっくりと少しずつ遠ざかっていった。


「じゃあな」


「あ、リゲル」


 彼女は俺に向けてリンゴを持ち上げて、外に聞こえないよう小声で言った。


「ありがとう」


 俺はにっと笑って、無言でそれを指差した。

 せかすように、ドアは再びノックされた。


 俺はそのままドアのそばまで近寄っていって、ドアの外がルイーズにも見えるように、わざと大きく開けてやった。


 廊下に立っていたのは、緑色の縁なし帽を被った、細身の憲兵だった。

 彼は俺に軽く敬礼を返して、こっそりと時間を告げた。


「リゲル様、そろそろお時間です」


「ああ、分かっている」


 ルイーズは、眉根を寄せていた。

 俺は軽く返答すると、着ているコートを脱いでその憲兵に持たせた。


 コートの下に着ていたのは、憲兵と同じ緑色の軍服だった。

 憲兵のシンボルである緑の軍帽をきゅっと被って振りむくと、ルイーズはリンゴを丸呑みしそうなくらい口を大きく開けて俺を見ていた。


 ふふん、どうやら俺の憲兵姿があまりにも様になっていて、言葉に詰まっているらしいな。

 そういえば、まだその後の俺の事を話してなかったか。


 西軍への出頭を終えて、無事に故郷の仲間達の元に戻った俺は、その後、アイズマール一家と繋がりを持った組織の根絶のために、ミッドスフィア憲兵旅団に捜査協力を要請されたんだ。


 仲間とビジューをしているところに突然憲兵達がなだれ込んできたので大いに焦ったが、見事アイズマールの逮捕に貢献した俺は、過去に連合軍に所属していた経歴なんかも考慮されて、賢者の塔からそのまま憲兵団の佐官候補に推薦されていたのである。

 まったく、世の中何が起こるか分かったもんじゃないな。


「リゲル……お前は」


 ルイーズが、目に涙を溜めて俺を見つめていた。

 これ以上は気まずいので、何かを言い出す前に、俺はばっと手を広げた。


「あ、そうそう。第五憲兵旅団が大佐の代役を探しているとか言っていたから、代わりに俺がなってやったから。じゃ、よろしくー♪」


 ルイーザ中佐はとどめを刺されたように両手を広げ、ばったりとベッドに倒れてしまった。


 これは当分起き上がれないだろうな。

 なんせ今日からお前の上司だ。

 ふっふっふ。

 これは復帰するのが今から楽しみだぜ。

 俺は、堪えきれない笑いをかみ殺して部屋を退出した。


 ドアを閉めようとしたそのとき、向こうで彼女が力なく呟いたのが聞こえたような気がして、俺は足を止めた。


「ま、まて、貴様、一体、どんな手口を使った……」


「ふふん、知りたいか? 知りたくば、今月発売される俺様の自伝第2巻、『リゲル=シーライトはいかにして憲兵旅団大佐になったか』を読むがいい!」


「絶対買うか……馬鹿者」


 ルイーズは額に手を当てて、やれやれ、と力なく笑ったのだった。


「どうせ、とんでもない大ウソばかり書いてあるんだろう? このウソツキめ……」


 さあ? それは神のみぞ知るだ。

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リゲル=シーライトとは一体何者だったのか 桜山うす @mouce

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