最終話

「えっ……私を……成敗?」


 カンナは、勇者が何を言っているのかさっぱり理解できなかった。

 ギラついた目とその剣だけが、その場の全てを物語っている様な気がしてならなかった。


「勇者様! 誤解です! 私はあなたをずっと待ってました! あなたにこの暗闇から出してもらう為に! あなたと結婚する事を夢にみて……ずっと……ずっと! 待っていたんです!」

「そんな訳のわからんものをお前なんかとするわけなかろう! お前のせいで、お前がみんなを苦しめた!」


 カンナの言葉は届く気配がない。それどころか火に油を注いでいる様に感じる。


「ビブル! どうなっているんだ!? なぜ私は勇者様から命を狙われているんだ! 答えてくれ! それに、さっきから微妙に話が噛み合わない! 何なんだ!」

「本人に聞いてみなよ」


 ビブルはそれだけで何も教えてくれなかった。


「ねぇ! 勇者様! この子が何をしたか教えてくれる?」

「うるさい! お前みたいなやつは知らん! 黙ってそこに這いつくばっていろ!」


 ビブルは勇者に問いかけるが、まるで相手にすることなく一蹴した。


「やっぱり届かないかー、カンナ、おんなじ事聞いてみて」


 何が何だか分からないカンナはひとまずビブルの言う通りに動いてみることにした。


「勇者様! 私はあなたに何かしてしまったのでしょうか? 何かをしてしまったのなら謝りたいのです!」

「謝る……? そんなものは要らない! 俺は、大切な人が待ってるんだ! その人に絶対に帰ってくると誓いを立てた、向こうも待っていると誓ってくれた! 俺たちの間には今までちゃんとあったんだ! 国だって、今までちゃんとあったはずのものを信じ仰いで上手く成り立っていたのに! 私は、何になろうとも、この刃をお前に振り抜く!」


 カンナが一言喋る度に、勇者の心についた火は燃え上がっていった。


「ビブル……私はあの方が言っている意味が本当に分からない。これじゃあ、本当に誤解が解けないまま私は勇者様に殺されてしまう! 外の世界も見れないままだ! それに、勇者様が言っているのは、きちんと存在しているものじゃないか! 何であんな曖昧な言い方をするんだ! あれは――」


 カンナの動きが一瞬止まった。

 脳内に電流が流れるように、今までの全ての要素が頭に入り込んできた。


「ビブル、念の為確認するが、今まで私に一度でも嘘をついたことはあるか?」

「……ははは、無いよ。僕は、全てを知っている。君に教えた事は全て正しいし、君はいつか必ず外に出て、僕と一緒に外の世界を見ることが出来る。例え、君の望んだ形じゃなかったとしても、ね」


 カンナは、今の一言で、厳密に言えばたったの一文字だけで全てを悟った。悟ってしまったのだ。

 そして、全てを理解したカンナは、頭に入り込んできたもの吐き出す様に、大きく自嘲した。


「ふふふふっ、ふははっ! あーーっはっはっは! そういうことか! なるほどなるほど! あー! おかしいなぁ!」


 綯交ぜにされた、土石流の様な感情一気に流れ出し、爆発した。


「おい! やめろ! これ以上訳のわからんことをするな!」


 勇者の怒鳴り声など、もう届かない。カンナは、完全に闇の底へと落ちていった。


「ビブル、最初の物語を語ってくれた時のこと、覚えているか?」


 小さく手が震えている。カンナは、深いため息をつきながら、ビブルからの返事を待つ。


「もちろん」

「君の言わんとしていたこと、今分かったよ。正義の反対は別の正義。守りたいものの対極にも、必ず守りたい何かがある。そういう話だろう?」


 ビブルは何も話さない。沈黙の肯定と受け取ったカンナはそのまま続ける。


「だが、私はこう思う。正義の反対は絶対悪だ。理由がどうであれ、言い訳も、自己を正当化するこじつけも通じない。私達は物語の読み手じゃない。反対側の事情なんて知らないし知りたくもないだろう? ビブルがあの時に私に言っていたのはそういうことだろう? あの時の私は勇者の側にいて、読み手の側にはいなかった。幼い私は、淡い恋心と共に残酷な期待をしていた。だから悪の事情を話さなかった。けれどビブル、君が小さな私にそうしたように、自分が受け持った側から見た悪の事情なんて知ったことではないんだ。本当はそれが別の大義を持った純朴な意思でも、見て見ぬ振りをして、気づかないふりをして踏み潰すんだ。己の側の利益の為に」

「それは悪い人だね」

「それが正義というものだ」


 カンナの手の震えはもう、収まっていた。


「ビブルよ、そう考えた私がやるべきことは何だろうな?」


 カンナは、独り言の様に呟いた。

 勇者のギラついた瞳が常にカンナの首筋へと向けられているのが伝わってくる。 それを見る度に胸が締め付けられる思いだった。


「……君は本当に賢いね。でも、本当にいいの?」

「いいさ、それに相応の見返りは貰っていく。何せ私は……」


 カンナは口をつぐんだ。


「えぇい! 遊びは終わりだ! 覚悟しろ!」


 刹那、勇者の持った刃がギラリと光る。

 一足飛びで、勇者はカンナの首元目掛けて飛びかかった。


「ビブル、私はなんだ?」


 カンナはすっと目を閉じる。己を深く深く顧みながら、刃を向けられているとは思えないほどに凪のような静かな心持ちで、見えない時の流れをじっと感じていた。

 幼い頃の純粋な意思を、楽しかったビブルとの日々を、そしてこれから歩んでいくであろう、修羅の道を。


「知欲の魔人カンナ、魔本ビブルから教わり、体内に取り込んだものをこの世から抹消し、我が物とする魔力を持った悪い人だ」


 ビブルの声が光に響いた次の瞬間、勇者の動きが止まり、硬い金属が床にぶつかった音が響いた。


「ぐっ……俺は……何を……」


 勇者の力無い声が暗闇に弱々しく響いていく。

 カンナは、瞳を閉じたまま集中力を保ちながら続け様にビブルに、声をかける。


「ビブル……勇者とは誰だ」


 目の前に立ちすくんでいる、初恋の相手を思い浮かべる。

 憧れだった殿方が目の前にいるというのに、心は全く弾まない。それどころか、どす黒い何かが内側から侵食している様な不快な感覚がカンナを支配していた。


「ふふふ……勇者レギオン、世界の平和の為、魔人カンナを討伐を目的として立ち上がった若き青年。婚約者のヘレナと二年前に愛を誓い合うが、カンナの力により結婚することが叶わなかった悲運の青年。好きな食べ物はりんご」


 カンナはゆっくりと瞳を開いた。愛しい人は目の前にいた。

 呆然と立ち尽くし、まるで廃人のようになってしまった、ただの青年がそこにはいた。


「あの……私は……一体……」


 カンナは、満面の笑みを浮かべ、両手を広げて、青年を強く抱きしめた。


「あなたは、レギオン。私の婚約者よ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

暗闇の中 雨後の筍 @ugonotakenoko

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ