国境を渡れ
第28話 ハープの音色
船宿を出た弦義たち三人は、その足で近くの山に入った。白慈を先頭に、斜面を凝視する。
「これは、傷薬になる。で、あっちの細い草は火傷に効くんだ。あ、あそこに珍しい草が!」
「あまり奥に入るなよ、白慈」
「わかってる」
あまりわかっていない返事をして、白慈は身軽に傾斜を登って行く。その後ろ姿に感心しながら、弦義は別のことを考えていた。
(どうしたら、和世どのの信頼を得ることが出来る? 下手な小細工は出来ないし、そもそも通用するはずもない)
生真面目な和世は、誰よりも早く目を覚まして暗い内から剣を振っている。その自主鍛錬を見習い、その時間を借りて稽古をつけてもらっているが、まだまだ遠く及ばない。
少しでも早く、と気が急くほど、体の使い方は雑になる。それを指摘されてから、弦義は丁寧に素早く動くことを心掛けていた。
「弦義、何か考えているのか?」
無意識に剣の軌道をなぞっていた弦義に、近くにしゃがんでいた那由他が声をかける。彼の手には、打ち身に効くという紫色の小さな花が握られている。
「うん。どうすれば、和世どのの信頼を得られるかと思って」
「……俺には答えられない。でも」
「でも?」
弦義は、続きを聞こうと那由他の傍に膝を折った。何気なく草抜きをしていた那由他は、ふっと口元を緩めた。
「小細工しても仕方がない。お前はお前のままで向き合うしかないんじゃないか?」
俺に対してしていたように。那由他はそう言うと、立ち上がった。白慈の行方を確認し、右手を丸めて口にあてる。
「白慈、そろそろ下りて来い!」
「わかった」
滑り降りるように下山する白慈を見守りながら、弦義は那由他の言葉を心の中で繰り返した。
(僕は僕のままで、か)
確かに、取り繕ってもボロが出る。そうなれば、確実に人の信頼は得られない。
だから、弦義は決意を籠めて拳を握り締めた。必ず、悲願を叶えてみせると。
弦義たちが宿に戻ると、何故かアレシスがハープの準備をしていた。服もくつろいだものではなく、あの食事処で見た演奏者の衣装だ。
「ただいま帰りました。アレシスさん、何処かで演奏するんですか?」
「ああ、お帰り。そうなんだ。ここの宿の主人が、ぼくが調律していたのを聞いていてね。是非にと頼まれてしまった」
宿代半額と引き換えにね、とアレシスが笑う。弦義が和世の方を見ると、鎧を脱いだ騎士も苦笑気味に頷いた。
「これから、夕食の時間だ。きみたちもおいで。ここの魚介料理はおいしいらしい」
「魚か! 山暮らしが長かったから食べたい!」
「白慈は欲に忠実だな」
「素直だと言え!」
反論しながらもニコニコと嬉しそうな白慈を先頭に、弦義たちは食堂へと向かう。
食堂は広く、五十人程の宿泊客が賑やかに語らいながら食事をしていた。テーブル席が幾つも設けられており、その端の窓際の席につく。するとそれを見ていたのか、宿の主人がこちらへとやって来た。
「いやいや、突然お頼みして申し訳ございません」
「いえ、よくあることですから大丈夫ですよ。便宜も図って頂きましたし」
宿代半額のことをそう言って、アレシスは席を離れた。そして、宿の主人に促されて食堂の前寄りの空きスペースに設けられた席へと腰掛けた。
長い金髪は結わえていた紐を解かれ、照明に輝いている。アレシスは五人の中でも特に眉目秀麗なため、食事をしていた何人かの女性客が頬を染めた。
「皆様、お食事をお楽しみの所、申し訳ございません。今日はスペシャルなゲストをお呼びしました!」
嬉々とした主人のトークに、熱心に聞き入る宿泊客たち。しかし弦義たちの目は、優雅にハープの準備をするアレシスに注がれていた。
「そういえば、オレたち一回しか演奏聞いたことなかったね」
「二度目は、聞く暇なんてなかったから」
海鮮丼をかき込みながら言う白慈に、弦義は応じた。弦義の手元には白身魚のフライがあり、箸でそれを味わっているところだ。
弦義の斜め向かいで鮭の炊き込みご飯を食べていた和世が、不意に思い出したのか口を開く。
「前回も見事なものでしたが、殿下はお気に召さなかったようですね」
「ああ、そうでしたね」
和世の言葉に、弦義は頷く。
前回、弦義はアレシスの演奏に心が籠っていないと称した。彼本来の音ではないと断じた弦義に、アレシスは腹を立てずにいてくれたのだ。
「演奏するということは、殿下の言葉に答えを見付けたのでしょうか?」
「それはわかりませんが……。僕は、とても楽しみです」
フライにソースをつけ、一口頬張る。淡泊な魚に濃厚なソースが絡んでとてもおいしい。
隣では、天丼を半分ほど食べた那由他が漬物に手を出していた。黙々と食事をしているが、美味しいのか頬が緩んでいるように見える。
その時、アレシスの演奏が始まった。
小さな囁くような音から、徐々に流れる大河へと成長を遂げるハープの音。その過程は風のようで、一気に観客を自分の世界に巻き込んだ。
「――大地を旅する運命の風。途切れることなき宿命を抱き、ただ前だけを見て進め」
男性にしては高い声で、アレシスは歌を紡ぐ。それは決して耳障りでなく、むしろ心地良いオルゴールのように響き渡る。
「……前回と、違う?」
天ぷらを食べ終えた那由他が、ぼそっと呟く。彼の気付きに、弦義も首肯した。
「ああ。……音が、変わった」
和世と白慈も気付いたのか、手を止めて耳を澄ませている。
アレシスの声は、天に伸びる。それは変わらないのだが、わずかに歌い方が変わった。そして、爪弾くハープも。
明確に何がと断言することは出来ないが、何処か硬さが失われて柔らかく強い音に変化している。大きな変化ではないが、弦義たちだからこそ気付いた微細なものだ。
「――ただ、ぼくらは歩いて行く。仲間と共に、未来を掴み取るために」
ポロンと爪弾かれ、演奏が終わる。
その瞬間、食堂内が静かになり、すぐに沸いた。口笛や指笛、歓声が席巻する。
「兄ちゃん、すげえな!」
「感動しちゃった」
「こんな音、初めて聞いたぜ……」
「すごかったぁ」
ふくよかな男性の声を皮切りに、老婆も若者も子どもも、年齢も性別も問わずに皆一様にアレシスの音色を褒めそやした。その歓声を受けて微笑んだアレシスは、客たちに囲まれてしまった。
まるでアイドルを囲うファンの如く、食事をしていたはずの滞在客らによって賑やかさを増す。その群がる人々を離れた所で見ながら、白慈はぼそりと呟いた。
「アレシスさん、戻って来られるかな?」
「もう少し、かかりそうだね」
「食事を部屋に持ち帰らせてもらったらどうでしょうか?」
和世の提案に、弦義は「そうしましょう」と応じた。近くにいたスタッフにその旨を伝えると、心得たとばかりに蓋が出来る容器を持って戻って来る。そしてきちんと盛り付けると、弦義に手渡してくれた。
「あの方は、私が後でご案内しましょう。皆さまは先に」
「はい、お願いします」
容器を受け取り、弦義たちは部屋へ戻った。
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