空想の幽霊(4)

 三十階を優に超えるその高層ビルは中央が吹き抜けになっており、天井はガラスでフタをされ、暖かい屋内から夜空を見上げることができた。地下一階から三階の商業施設を中心にクリスマスの装飾が施され、一階中央には三階建ての高さの巨大クリスマスツリー。十五階辺りには白く大きな垂れ幕が雲のように吹き抜けに浮いていた。


 ツリーの下に集まる群衆の中に少年はいた。不快感を煮詰めたような顔をする幽霊を引き連れ、エスカレーターで五階に上がる。各階に吹き抜けを覗き込むために人々が集まっていた。ツリーを見下ろす高さにある五階は、比較的人が少ない。


 まあ、ここでいっか。


 少年は柱の近くに寄り、足元に荷物を置いてさりげなく柱と自分の間に荊雨宸用のスペースを確保する。スマホで時間を確認。


 あと十分。


「いったい何を待っている」


「それは見てのお楽しみだ」


 あと五分。


 人が増える。荊雨宸の後ろには鉢植えがあるので誰かが入り込むことはない。その代わり、少年との距離が肩が重なりそうになるほど近くなる。


 あと一分。


「もうすぐだ」


 パッと一斉に周囲の明かりが消え、吹き抜けは暗闇に満ちた。背後に並ぶ店の電灯もギリギリまで落としている。壁にかけられた時計がオルゴールを奏で始めるとクリスマスツリーの根本から青い光が生まれ、ツリーを回りながら駆け上がった。天辺の星が灯り、上空に向かって光が打ち上げられる。点滅する青く小さな星の海が広がり、輝き揺らめく虹色の帯が出現した。


「これは……」


「お、なかなかいい感じじゃないか!」


 装飾を利用し、都会にオーロラを生み出したプロジェクションマッピング。SNSで知ってから荊雨宸に見せようと思っていたのだ。


 本物ではないけれど、呆然と見上げている様子は悪い反応ではない。


 最後にクリスマスイルミネーションが一斉点灯して十分間のショーは終わる。固まっていた人々が動き出し、少年はもう少し捌けるのを待った。


「——なぜここへ来た」


 疑念いっぱいの問いかけに、悪戯が成功した悪ガキのような表情になる。


 こんな対応ができるようになったのは、三ヶ月近く共にいてある程度慣れたからだろう。


 先週のことだ。


 その日、少年はリモコンのボタンを押し間違え、うっかりバラエティ番組を出してしまった。


 やべっ!


 慌てて切り替えようとして、荊雨宸がテレビを凝視していることに気づく。いったい何が、と見るとその番組では、芸人が北極で感動的光景に遭遇した映像が流れていた。芸人の姿をカットし、静かなBGMと共に夜空に揺らめく虹色の光のカーテン。


 画面が芸人のアップに切り替わった途端、荊雨宸は顔を逸らした。思い違いでなければ、彼はあの光景に目を奪われていた。それはとても珍しい反応だ。彼の故郷では見られない現象だからだろうか。


「どうしてって、そりゃ見たかったからに決まってる」


 おかーさぁん、と泣く声に振り向けば、流れる人混みの中にぽつんと立ち止まっている女の子。人々は横目に通り過ぎて行く。


 しばらくすると警備員の人がやって来て、その子を連れて行った。


「お前は、ああいうのに真っ先に向かって行くと思ったんだが」


「いやいや。あの状況で声をかけるのは結構、勇気いるって」


「この間は躊躇なく小僧に声をかけていただろう」


「あれは……勢いだよ」


 自分は、遠巻きから様子を伺う人間だ。周囲に溶け込む一般人。この間の迷子が特別だったのだ。言いなりになってばかりの状況に対する反抗心で、やるなと言われたからやっただけで純粋な人助けとは言い難い。


「あんたがいなかったら、声をかけるなんてできなかったさ」


 苦虫を噛み潰したような、口に入れた物が呑み込めないような。怒っているのか困っているのか。初めの頃よりだいぶ豊かに見えるようになったけれど、まだまだ荊雨宸の感情は読み切れない。


 人がだいぶ減ったので、少年は移動する。せっかくここまで来たのだし、何かお土産でも買って帰ろうか。下りる前にエスカレーター近くのチョコレート店にできた行列の最後尾を探すついでに、後ろにいた荊雨宸を見た。


「————え?」


 急に立ち止まり驚愕する少年を周囲が訝しげに見るのも気にせず、瞬きも忘れ惚けた。


 人混みに押されて前も向かずに進んで、少年は足を踏み外してしまった。


 運の悪いことに、壁になる人もいないエスカレーターの左側から、少年の体は誰に止められることもなく下へ落ちて行く。荊雨宸はらしくなく目と口を大きく開き、手を伸ばしたけれど、すり抜けてしまう彼に掴めるはずなどなかった。


 やけにゆっくりとした世界で、激怒する荊雨宸を見ながら少年は願った。


 なあ、もう一度————




 恐ろしいと泣き、呻き、悲観に暮れる。馬車の荷台の中は鬱々としていた。


 そんな中で目覚めて、大きな欠伸をしながら起き上がると、隣に座っていた少年が声を荒げる。


「呑気なもんだ。俺たちはこれからあの荊家に送られるっていうのに!」


 馬車の中には十歳前後の男女の子どもが数十人。別の馬車には大人の男女数十人を乗せていて、大量の「商品」を一つの家に運んでいるところである。


 奴隷商が盛んとはいえ、一度にこれほど大量に購入するところはなかなかない。それも、同じ量を年で十数回も買うなど荊家ぐらいなものである。かの家は、近年の奴隷購入数、断トツ一位らしい。その分、消費数と速さも断トツのようだ。


「荊家では殺された奴隷が今もさまよっているんだ。主人が恐ろしくて復讐もできず、未練があるからあの世にもいけない」


 怖いのならよせばいいのに、隅で膝を抱え震えながら少年が語ったのは、よく耳にする話。嘘か誠か不明だが、要は、一度買われたら死んでも出られない、ということだ。


 荊家は殺すために奴隷を買う。


 そんな言葉が流行るくらい、奴隷たちは荊家に買われることを恐れていた。しかし商品に買い手を選ぶ権利などない。商人に選ばれたら、黙って運ばれて行くしかない。望んでこの馬車に乗り込む者など普通はいない。


 自ら手を上げて買われた子皓ズーハオという十二歳ほどの少年のような奇特な存在は。


 子皓はまた欠伸をして、眠気を払うために目元を強く擦った。馬車の中で寝ていたせいで、体のあちこちが痛む。


 懐かしい夢を見ていた。遠い過去、あるいは未来の、子皓の魂に根付いた記憶


 未練ねぇ……。


 未練があるから彷徨っているなら、未練を持ったまま生まれてしまった自分も幽霊と同じなのだろうか。この身は、あの美しい幽霊と違って透けてはいないけれど。

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雨を照らす 花見川港 @hanamigawaminato

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