第伍拾伍話 あやめ祭り~千坂碧・水無月澪の場合~
「ここだな……」
あやめ園から少し歩いたところにある墓地へ来た。
「確かによく見えるな」
振り返るとライトアップされ光を放っているあやめ園を一望できる。
俺は『水無月家之墓』と彫られている墓石の正面に立つ。
持ってきたタオルで墓石や周辺を拭こうと思ったが、拭く必要がないくらい手入れが行き届いている。
凪がこまめに来て綺麗にしているんだろうな。
さっきほどの夕立で墓石に付着した雨粒を軽く拭き取る。
そして、その場にしゃがみ、澪が好きだったコーヒーロールを供える。
その後、チャッカマンと線香を取り出す。
チャッカマンの引き金を引き、朱色の炎が姿を現す。辺りは街灯が少しあるだけで月が空から照らす。
さすが墓地なだけあって夜はなかなかの迫力や雰囲気がある。
そんななか朱色の炎は安心感を与えてくれる。
線香にチャッカマンの先を近づけ、炎を灯す。
全体に火が付いたことを確認した後、手で仰いで火を消し、線香皿にそっと置く。
煙がふわふわと上昇し、線香独特の香りが辺りに漂う。
それを合図に目を閉じながら合掌する。
俺は目を開け、墓石を眼前に据えて言葉を投げかける。
「澪、久しぶり」
もちろん声が返ってくることはない。
「線香が燃え尽きるまで少し話してもいいかな? 澪に伝えたいことがいっぱいあるんだよ」
**
線香の先端が風に煽られ、朱く輝く。
「あやめ祭りどうだった? 初日にも関わらず想像していた以上に人がいっぱい来て驚いたよ。でも、これで俺と澪の夢も現実味を帯びてきたよな。とりあえずあと2週間頑張るよ」
「
「
線香皿に灰ができている。
線香は4分の1ほど燃えている。
その様子を視界の隅に捉えて、俺は続ける。
「澪が1番気になっているのは
1年前の4月。入学式を思い出す。
「汐璃さんとは関わらないようにしてたのにさ、まさか生徒会副会長に立候補するとは思ってなかった。まして同じ生徒会の一員として仕事も一緒にするなんて。神様は悪戯がすぎるよ。2か月一緒にいてさ、話し方も声も、ふと見せる仕草も全部澪の面影と重なるんだよ。俺は澪と汐璃さんを重ねてしまうのが本当に怖かった。俺のなかの澪がすべて汐璃さんに上書きされるんじゃないかって。でもそれは逆だった。汐璃さんが澪のことを思い出させてくれたんだよ。思い出も夢も。汐璃さんも澪に会ってみたかったって言ってたよ」
ここまで止まることなく話したので、一息つく。
周囲の空気が体にまとわりつき、そこに汗も混ざり、体をべたつく。
次、誰について話すか。それはもう決まっている。
だけどどう切り出すか。そこに少しだけ迷う。
唇に柔らかくて温かい感触が残っている。
俺は目を閉じ、息を吐き出して、意識を切り替える。
そして、再び目を開けて言葉を繋ぐ。
「さっき凪から告白されたんだ。返事は今しなくていいって言われたよ。凪は澪からどう映ってる? 凪はいつも俺と澪の後ろをついてきたし、澪が亡くなってからはきっと澪の代わりになろうとしてたんだ。でも、今の凪はもう違う。それは澪が1番よくわかっているだろ。俺は澪が亡くなってからずっと凪に支えてもらった。何にも表しきれないほど感謝している。告白も嬉しかったし、凪に好意がないかって聞かれたらそれはもちろんあるに決まっている。あんなに良い子なんてそうそういないしね」
「でも、俺の心のなかの席を独占している人がいるんだよ。全く困ったもんでさ、全然そこから動いてくれる気配がない。俺もそこに居座ることを許可しているんだけどな」
凪はこの事に気付いていたのかもしれない。
あのキスは一種の宣戦布告なのかもしれない。
「どうやら伝えそびれた想いってのはずっと内で燻って、拗らせて対処の仕様がなくなってしまうらしい」
もう遅いのか。それとも意味がないのか。
でも、言わないことには、伝えないことには何も残らないし、始まらない。
「澪。俺は――」
俺が意を決したその瞬間墓石が青い光が反射し、少し遅れて破裂音が轟く。
思わず光と音の正体が気になり、振り向く。
目の前に赤・青・黄色・紫・緑などの極彩色の花々が夜空に咲き誇る。
光の線が地上から一直線に上り、一気に爆ぜ可憐な模様が暗闇に浮かび上がる。
少し遅れて破裂音が心臓に響き、体を突き抜ける。
花火が上がるなんて聞いていない。
この迫力からして打ち上げ場所はかなり近い。
おそらくあやめ園の南側にある中央公園だろう。
まさに度肝を抜かされた。
こんなことをするのは俺の知る人ではたった一人――
あやめ園のほうから歓声が聞こえる。
碧い光が俺の身体と墓石を色鮮やかに照らし、輝かせる。
遠くの喧騒がここが今、2人だけの空間であることを一層強調する。
残り半分。
「覚えてる? 小学1年生から毎年花火大会一緒に行ってたな。中学1年のときに澪が初めて浴衣を着てきて、俺はそのとき恥ずかしくて何も言えなかったけどさ、綺麗だった。めちゃくちゃ似合ってたよ」
――もうアオー! 綺麗なら綺麗、似合っているなら似合ってるって言ってよね!
「覚えてる? サッカーの練習にいつも付き合ってくれてたよな。澪にばれたくなくて内緒で練習してたのにすぐばれっちゃってさ。たまに凪も付き合ってくれたな。
俺がゴールに向かってひたすら蹴って澪が何回もボール返してくれたんだよ。本当に助かったよ」
――すごい! アオ上手くなってるよ!
「覚えてる? 何回も政庁跡で桜見たよな。家族同士でも行ったし、2人でも行ったよね。一緒に行ったのは3年前の4月が最後かな。あの日は本当によく覚えてる。夢を認め合って、その後
――私たちの夢が叶うように神様にお祈りしよう!
「覚えてる? あやめ園めちゃくちゃ一緒に行ったよな。俺は一体何回澪に連れていかれたんだろうな。本当に数え切れないかも。最初は花なんて見て何が面白いのかってずっと思ってたけどさ、俺は澪が目を輝かせて嬉しそうに
――アオはあやめの花言葉知ってる?
「今日の夕立。あれ澪の仕業じゃないだろうな。中学2年のとき、ちょうど3年前。今思えばあれが澪と最後に行ったあやめ園だったな。急にあやめ園行こう! って言いだしてさ、雨降ってるのに!? 本気でそう思ったわ。何回も澪の場面行動に付いていったけどあれが1番澪の思惑がわからなかったよ。でも、雨が上がって、日が差し込んだあの景色を見て、全部わかった。澪が見たかったもの。本当に綺麗だった。あの時も、今日も。澪はもう1回あの景色を見せたかったんだろ。でも、ちゃんと見たのは今日が初めてだ。理由は……もうわかるだろ?」
――アオはさ、菖蒲の1番綺麗な瞬間ってわかる?
記憶、思い出、澪の笑顔が走馬灯のように頭をめぐり、とめどなく溢れてきて鮮明に思い出せる。
確かに
「今もさ、すぐに思い出せるよ。一緒にいる時間が多すぎたのかな。澪はどう? 俺との思い出すぐに思い出せる? 澪のことだから余計なことまで覚えていそうだな」
喉が締まり、胸の奥が熱くなる。
「でも……少し寂しくもなるよ。振り返ることはできても……、振り返れば振り返るほど実感する。これからを創り出すことはできないって。それがどうしようもないほど寂しくて……怖いんだ……」
「後悔だらけだよ。澪が近くに、隣にいることに俺はずっと甘えてた。いつでも伝えられるって勘違いしてたんだよ。伝えることの難しさ。ようやく澪が言っていた意味が最近わかったよ……。澪がこれからもそばにいるって無条件で本気で信じてた。
でも、そんな未来はただなかったんだな……」
痛いほどその事実が心臓を掴み、離さない。
生ぬるい雫が頬を伝って、落ちる。
風に灰が煽られる。最後を飾る様に朱く強く輝く。
最後の1つとなった菖蒲の花を取り出し、墓石にそっと置く。
菖蒲の花――澪が1番好きな花。
「澪。これまでもずっと好きだった。そして今も――大好きだよ」
線香が役割を全うし、静かに燃え尽きる。
それは同時にこの空間の終わりを告げる。
「じゃあ、そろそろ行くよ。あんまり遅くなると皆に心配されるしね」
腰を上げる。
墓石に背を向け、一歩、二歩と歩き出す。
「俺はあの約束覚えてるから」
――アオ、私が帰ってきたらあやめ祭りに一緒に行く約束ちゃんと覚えてる
もう聞こえていないかもしれない。
でも、確かに伝えておきたかった。
「じゃあ、またな。澪」
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