第四拾七話 いずれ菖蒲か杜若哉
幼いころから友達ができなかった。
いや、この言い方は語弊があるかな。
だから友達の家に行った回数なんてたかが知れている。
理由はわかっている。
そんな関係を築く前に私が離れてしまうから。
もともと私はそんな性格が明るいほうではないから、自分から話しかけたりなどのアクションを起こすことがない。
そんな性格もそれを後押ししてしまっているのかもしれない。
でも、私はどこかで気づいていたのかもしれない。
どうせすぐに転校してしまうなら、離れてしまうならわざわざそんな深い関係を築く必要ないんじゃないのか。
それは私とその人の足枷になってしまう。
私はまだしも相手に悲しい想いをさせたくない。
悲しむ顔を見たくない。
大切な何かが離れてしまうことを私はわかっているつもりだったから。
確か中学3年生の夏あたりだったろうか。
両親から来年の4月から宮城県に過ごすことを告げられた。
私の父は所謂転勤族。
これまでは奈良県内をずっと転々としていた。
だが、今回は違う。
県外。
父が単身赴任するという手ももちろんあったのだろう。
だが、今回の宮城県の転勤を受け入れれば、転勤はしばらくいやそれどころか退職するまでないと会社側から告げられたそうだ。
それに母の実家は宮城県にある。
きっと両親も私にあまり友達がいないことは気づいていたのだろうし、心配してくれていたんだと思う。
だから高校生活だけでも友人と楽しく謳歌してほしいなんてことを考えてくれていたはずだ。
何の因果か様々なことがうまく噛み合ったのだ。
私は勉強にかなり力を入れて頑張っていたこともあって、高校はある程度選べる立場にあった。そこで宮城県内でも偏差値が比較的高く、家からも通いやすい
そして、無事に合格をすることができた。
今回は今までとは違って、離れる可能性はない。だから友達を作ろうとそう意気込んでいた。
でも、そんな簡単にいくものでもない。
今まで関係を作ろうとしてこなかった人間が急に人間関係をうまく形成できないことは火を見るより明らか。
私からうまくアクションができなくても向こうから話しかけたりはしてくれるから、友達はできた。それでも親友と呼べるような深い関係を築くことはできなかった。
そうして高校1年生の時間が過ぎていった2月辺り。
「杏さん、生徒会とか興味ある?」
担任の先生から4月から始動する新生徒会に入ってみないかと誘われた。
「どうして私なんですか?」
「杏さんって部活入っていないし、成績もいいからどうかなって」
そんな私じゃなくても当てはまるような言葉を並べられても……。
「人、足りてないんですか?」
「実はそうなんだよね。会長の方は立候補者決まっているんだけど、副会長のほうがね……。それ以外のメンバーは会長が指名するからどうとでもなるんだけどなー」
「会長に立候補している人って誰ですか?」
「あれ、知らない? 1組の
千坂碧。
話したことはないけれど、何回か名前を耳にしたり、目にしたことはある。
そんな私のもとにまで名前が届いてくるということは有名な生徒には違いないだろう。
先生の話を聞く限り千坂碧という生徒は成績優秀で人望も厚い人物だという。
当選は確実で生徒会長になった際に指名する4人のうち2人は決まっていて、残りの2人は4月から入学する1年生から選ぶみたい。
――断ろう。
いつもの癖で消極的で否定的な感情が先行する。。
私はこれまで心のどこかで『自分の置かれた環境が不運だから』
この言葉でずっと自分を無意識のうちに守ってきたんだ。
でも、そんなのは言い訳でしかなくて、ただ単に臆病で弱い自分から目を逸らすためのスケープゴートだった。
今は違う。
環境も変わって、もうどこかに離れるという心配もない。
ここでも逃げてしまったら、それは自分の弱さの証明になる。
これまでの自分の弱さは認めるよ。
でもさ、これからの自分を弱いままに、臆病のままにしたくない。
そんなことは絶対に証明したくない。
「……ます」
「え?」
「やります。いや、やらせてください。副会長立候補したいです」
気付いたら私は口を開いていた。
ただ生徒会に入ってからはもっと大変だった。
なぜなら私以外の人間関係が完璧に近いほど出来上がっていたからである。
碧くんと
そして、碧くん、白藍くん、鈴望さんは同じ中学校出身で学年が違えど凪さんもそうである。
私と
時雨くんも同じような境遇だと思っていたのだが、碧くんとは顔見知りのようだし、良い意味でそういう既存の人間関係を気にせずに懐に飛び込むことができる人であった。
1年生で碧くんから指名されるだけはある。
まさに碧くん、凪さん、白藍くん、鈴望さんは私がこれまで避けてきたと同時に憧れていたお互いがお互いの深いところまで踏み込んだ関係性だった。
既に完成している関係に異分子が入っていくことはお互いに気を遣ってしまいがちで難しい。
私この空間にいきなり入ってやっていけるの……かな……
そんなことを思っていた。
そう自分が思い込んでいただけだった。
まだ始動したばかりの頃でも皆気さくに話しかけてくれて、まるで私まで昔から知り合いだったんじゃないかって錯覚するほど生徒会執行部で過ごす時間と空間は特別なものになった。
碧くんは私のこと最初は避けていたみたいだけど。
もう今はないから許してあげる
執行部全体でそんな雰囲気を作ってくれるから私も自分の素を段々曝け出せるようになった。
鈴望さんと白藍くんをいじってからかったり。
凪さんと一緒に帰ったり。
時雨くんは仕事のことばかりだけど話したり。
碧くんとはお互いの過去を伝え合うことができた。
私は今まで勘違いしていた。
相手の心の領域に踏み入るためには自分も心の領域を開かなきゃいけない。
でも、私はそれを怖がっていた。
その勇気と自信がこれまでの自分にはなかった。
きっとこれまでも心の領域を開いてくれていた子はいたんだ。
私がそれを見ようとしていなかっただけなんだ。
それに気が付けた。気付かせてくれた。
生徒会執行部の皆には感謝してもしきれない。
だから私は私にできることをしていくんだ。
**
汐璃さんは一息ついてホットココアを飲む。
そして、もう一度今までの話をまとめるように言葉を紡ぐ。
「私はずっと学校はあまり好きじゃなかったんだ。ただ授業を受ける場所くらいにしか思ってなかった。どうせすぐにいなくなるしって。でも、今は違うよ。今は学校が楽しい。執行部の活動は忙しいけど、苦じゃないし、むしろ楽しんでる自分がいるの」
楽しいか……。
やっぱり間違いじゃなかった。
「……そっか。そう思ってくれていて本当によかったよ」
ずっと心配だった。
汐璃さんが言ったように俺たちはもうすでに関係が完成されていたから。
でも、違った。
完成なんてされていなくて、むしろ欠けていた。
だって、俺たちの輪のなかにずっと
ぽっかり空いた穴を俺は見ていなかった。
けれど汐璃さんがそこを澪とはまた違った形で埋めてくれた。
だから俺たちにとっても汐璃さんにとっても生徒会はそういう存在になったんだろう。
「だからね絶対にあやめ祭りを成功させたい」
そう笑顔で言い切った。
「それ言うの2回目」
「もうっ。こういうのは何回言ってもいいでしょっ!」
汐璃さんがぷくっと頬を膨らます。
「それで碧くん」
「何?」
俺はコーヒーを飲みながら汐璃さんの方に顔を向ける。
「さっきから見すぎ……」
そう言って汐璃さんはTシャツの裾をグイッと引っ張る。
「――ぷぶーー」
思わず口に含んだコーヒーを吹き出してしまった。
今汐璃さんは俺のTシャツと太ももの真ん中あたりまでしか裾がないハーフパンツを履いている。そのため、Tシャツはダボダボで袖が七分丈のようになっている。
いわゆる『彼シャツ』状態!!
だからハーフパンツがTシャツの裾で隠れ、程よく細く、白くきめ細かな太ももが少しだけ露出している。
「汚い……」
「ご、ごめん……」
俺は顔が少しあつくなっていることを自覚して、慌てて目を逸らす。
汐璃さんはそんな俺の反応に味を占めてたのかさらに畳みかけてくる。
「碧くんはこういう『彼・シャツ』というものが好きなのかな?」
「ぐっ……。ま、まぁ? 人並みには……」
嫌いな男がこの世にいるだろうか。いや、いない。
なんて完璧な反語表現なのだろうか。
そんなことお構いなしに汐璃さんは続ける。
「ふーん? 碧くんはこういう女の子がダボっとした上着を着て、ハーフパンツが見えなくなって、太ももが露わになるような恰好が好きなんだねー?」
どうして人は弱みを握られるとこんなにも何もできなくなるんだろうか……
「ほれほれー。今なら特別に見てもいいよ?」
汐璃さんはTシャツの裾をパタパタと仰いでいる。
「ちょっ! 何やってんの!?」
ハーフパンツを履いていることは承知しているが見てはいけないと思い、強く目を閉じて顔を逸らす。
見てはいけない。見てしまったら完全敗北だ。
「碧くんのスケベ」
「ぐっ……」
「えっち」
「……」
どうして馬鹿にされているのに嫌な気持ちにならないんだろう……
そんなことを思っている場合ではない。汐璃さんを一刻も早く止めなければ……
俺が汐璃さんを止める術を考えていると――
コンコンと扉をノックする音が部屋に響いたの同時に扉が開かれる。
「そろそろ送って――って、あら、もうそんなに仲良くなってたのね」
ニヤニヤしている母がそこに立っていた。
俺と汐璃さんは口を開けて固まってしまった。
何食わぬ顔で入ってきたけど、絶対扉の前で一部始終聞いてだろ……。
「なんなら汐璃ちゃん今日うちに泊まる?」
「「帰ります!!」」
2人の声がぴったりと重なってしまった。
「ふふ、やっぱり仲が良いのね。それじゃあ送っていくから帰る準備して頂戴ね」
**
一悶着あったが俺と汐璃さんは母さんが運転する車に乗って、汐璃さんの家へ向かう。
俺と汐璃さんは並んで後部座席に座る。
空にはもう雨雲はなく、星と月がきれいに輝いている。
「ねぇ碧くん」
「ん?」
「『いずれ
「……知らない」
杜若はアヤメ科の植物で菖蒲と花の形がとても似ていることで知られている。
「これはねどちらも素晴らしく優劣がつけがたいっていう意味だよ」
汐璃さんは窓の外を見ながら意味を教えてくれた。
「平安時代の末期、
汐璃さんは窓の外を見るのをやめて、こちらを見る。
瑠璃色の瞳が薄暗い車内でも印象的である。
「碧くんはどうかな?」
「ど、どうって言われても……」
強く綺麗な瞳に見つめられて目を逸らすことができない。
「まぁ12人は流石に多すぎだけどねー」
そうして汐璃さんは視線を外して正面に向き直す。
「……汐璃さんって意地悪だよね」
「ふふ、心外だなー。心を開いてるって言ってほしいよ。それにこういうところも澪さんに似ているんでしょ?」
俺は溜息をつきながら肘をドアに立て掛け、頬杖をつく。
どちらも魅力的。
それでは片づけられないことがこの世にはあるってことらしい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます