第四拾伍話 水面鏡が映すこころ哉

 千坂ちさかあおい


「よかったら話してくれないかな。みおさんのこと。碧くんと澪さんの2人のことを」

 そう告げた汐璃しおりさんは何を考えているのだろうか。

 俺には皆目見当もつかない。


 けれど、無性に話したくなった。話す必要があるとそう思った。


 澪とは物心をつく前から一緒にいたこと。

 幼稚園に入園したあとは遊ばない日がないほど毎日一緒にいたこと。

 小学校6年生のころに初めて夢について語られたこと。

 中学2年生の春にそれが俺と澪の2人の夢になったこと。


「今思えば、澪はとても不思議な人だったなって思うよ」

「不思議?」

「うん。普段はまるで希望を擬人化したような感じだった。澪がいるだけで周囲が明るくなるし、自然と澪のもとに人も集まってきてたしね。でも、時折儚くて不安そうな表情をしてたんだ。滅多に見せなかったし、本人は俺に見せるつもりはなかっただろうけどね。あれは確かに俺と2人でいるときにしか見せなかった表情だった」


 汐璃さんは俺の話をじっと俺の横顔を見つめながら聞いている。


「俺はそんな澪のことが好きなんだ。心の底から」


「でも、俺はそれを伝えなかった。いや、伝えられなかったっていうのが正しいかな。今までの関係性と告白を天びんにかけたときにどうしても告白が傾くことはなかった。それにいつでも伝えられるなんて幻想を抱いてたんだ。そんなはずないのにね……。そして、澪が亡くなって、もう俺が澪に想いを伝えることは叶わなくなった」


「それが碧くんの後悔……?」

「後悔、後悔なのかな……。自分で自分に呆れているといったほうが正しいかもしれない」

「でも、その感情が碧くんを突き動かす力であることにはきっと変わりないよ」


 汐璃さんは毅然と俺に言葉に届ける。

 それはまるで澪がいつも俺の心の奥底を見透かしていた姿を重なった。


「碧くん……?」

 汐璃さんを見つめたまま固まった俺に声をかける。

「あ、いや……ごめん。今の汐璃さんの言葉と言い方が澪と重なって……」

 一呼吸おいて、汐璃さんは俺に聞く。


「そんなに似てる?」

「え?」

「私と澪さんそんなに似てる?」


「いや、写真見たからわかるでしょ? 似てるとかそういう次元の話じゃないって。双子でもドッペルゲンガーでもここまで瓜二つなことないよ」

 思わぬことを聞かれたため、思わず食い気味に答えてしまった。

「外見はそうだけど、中身はどうなの?」


「うん、そういう俺を少しからかうような言動もそっくりだよ」

「ふふふ、そうなんだ。初めて私を見たときはどう思った?」

「あーその話してなかったね……」

「うん」

「しないとだめ?」

「うん」

 じーっと汐璃さんの圧力を感じる。

「もうこの際1年前に思ってたこと率直に言っていいよ。というより言ってもらいたい」

 こういう頑固なところというかそういうところもそっくりだ。


 俺がここでいくら言葉を並べて逃げようとしても汐璃さんが引き下がることはないだろう。

 澪も俺が自分の気持ちを言うまで逃がしてくれなかったしな……。


 俺は多宰府高校入学してからのことを頭の中で再生する。


 **

 からもも汐璃しおり


 碧くんはこれまでの日々を思い出すように雲の隙間に月が浮かぶ夜空を見上げて、口を開く。


「1年前の入学式で汐璃さんを校門で見たときはどんな言葉を使っても表現することのできない驚きがあったよ。本気で幽霊が年を取っていつまでも前を向けないでいる俺を澪が然りに来たんじゃないかってそう思った。そんな風に錯覚してしまうほどに俺は混乱してたし、語弊を恐れず言うと汐璃さんは澪そのものだった」


 碧くんの語り口は静かなものだった。


「それでも汐璃さんは俺にとって澪がこの世にいない現実を突きつける存在だった。俺は澪がいない現実を意識しないように澪のことを考えないようにしてたんだ。でも、汐璃さんを見てしまうと脳裏にその笑顔が浮かび上がってくるんだ。だから君と関わらないように最大限の努力をしたんだ。今思えばそれが汐璃さんを意識しないことでかえって意識していただけだったと思うけどね。でも、1年前の俺は余裕がなかったし、澪の死を受け入れようともしてなかった」


 それは後悔、自責なのか。それともそれらとはまた違ったものなのか。碧くんの気持ちを推し量ることは私にはできなかった。

 今は碧くんの話を聞くこと。

 それが私にできる最大限できることであり、しなければならないことだった。


「実際に生徒会執行部で一緒に活動していく上で一緒にいる時間が長くなればなるほど澪との共通点が沢山見つかっていくから最初は汐璃さんとどう関わっていけばいいのかわからなかった。それに澪と汐璃さんを重ねてしまうのは澪にも汐璃さんにも失礼だと思ったし、俺がどこか汐璃さんを澪の代わりだと思ってしまう気持ちから目を逸らすためにも距離を取っていた。だから余計な不安を汐璃さんに感じさせてしまったときもあったしね。本当にごめん」

「いやいや、謝らないで。こんな事情があったなら誰だって戸惑うよ。それでも碧くんは私と関わろうとしてくれたじゃない。やろうと思えば関わらない選択肢だってあったはずなのに」


「ありがとう。本当にありがとう……」

 感情を裸のまま吐露するように碧くんは言葉をつぶやく。


「1か月前に政庁跡で汐璃さんと話したとき、ものすごい安心感というか心地よさみたいなのがあったんだ。まるで澪と一緒にいるときみたいだった。でも、それは澪と一緒にいたときに感じるものとはまた違うものでもあった気がするんだよね」

 碧くんは一見すると矛盾しているようなことを言い放った。


「今もさ汐璃さんと話すときは不思議と緊張しない。それに真っすぐに自分の心のうちをさらけだせている気がするんだ」

 確かに碧くんと関わり始めてからまだ2か月弱だが、こうやって隣にいても変に緊張することもないし、むしろ安心感を覚える。

 なんでなんだろう。


「そのときに俺のなかで改めて澪は澪、汐璃さんは汐璃さんって思えることができるようになった。これまで俺は何かをするとき『澪なら』っていつも澪の判断基準に無意識に従っていた。そこには俺の気持ちももちろんあったけど、それは積極的なものではなかった。俺はそれまで自分を信じてなかったし、信じるに足るものでもないって思ってたんだよ。でも、あのとき汐璃さんに『千坂君の想いは本物』って言ってもらえて本当に嬉しかった。今までなかった自信が少し芽生えたそんな感じがしたんだ。だから本当に感謝してるんだよ、汐璃さんにはね」


 碧くんは私にやわらかい微笑みを見せてくれる。

 それは白い街灯に照らされてより優しさを際立たせる。

 私の瞳が、心がその表情から離れることができなくなっている。

 同時に私の胸がトクンっと脈打つ音がした。


 まただ。


 今度は無意識ではない。

 私の全身がそれを私に伝えてくる。


 目を離さないといけない気持ちと今私にだけ向けられている表情をもう少し目に焼き付けていたい気持ちがせめぎ合っている。


 この2人だけの空間を終わらせたくない。

 もう少しだけ……。


 私は私の気持ちに蓋をすることはもうできない。

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