第四拾参話 恵みと奪う五月雨哉

 千坂ちさかあおい


 打ち合わせが無事終了し、文化センターからなぎと並んで歩きながら家路についている。


「雨、降りそうですね」

「そうだな」

 空を見上げると分厚い雲が空を覆いつくしている。いつもならば空が朱色に染まり出す時間帯だが、今日はその輝きも鳴りを潜めている。


「雨、好きだったよな」

「え?」

 凪は俺の顔を見る。


みおが雨好きだったなーってふと思い出した」

「そうでしたっけ……?」

 凪はあまりピンと来ていないようだった。


「凪は知らないの?」

 凪は顎に手を当てながら眉間にしわを寄せて記憶をたどる。

「少なくとも姉さんから雨が好きっていうのは聞いたことないですね」

 澪のことだからてっきり凪にも言っているのかと思った。

 水無月みなづき姉妹は本当に仲が良いからお互いの好きなことは当然把握しているものと思っていた。

「俺にはしょっちゅう言ってたくせに妹には言ってなかったのかよ」


「なんか妬けちゃいますね。アオ君にも姉さんにも」

 凪は一呼吸おいて灰色の空を見上げてつぶやく。

 俺が真意を求める目線をやると凪はその視線に気づいて続ける。

「2人だけの秘密みたいでいいじゃないですか。きっと姉さんにとって雨は特別だったんですよ」


「俺は雨が嫌いだよ」

 凪は一瞬目を見開いて、ほほ笑む。

「ふふ、だからかもしれませんね」

 凪は意味ありげな言葉を残して、目線を下に移す。


 特別……か。


 何か決定的なことがあったんだ。

 でも、それが思い出せない。

 これまで思い出そうとしてこなかったからだろうか。

 自分で鍵をかけてしまっていたからだろうか。


 薄くもやがかかって、その先を見ることを俺に許さない。

 さらに思考を邪魔するように雨粒が追い打ちをかけてくる。

 考えたことも思い出したこともすべて流れそうな感覚になる。


 だから雨は嫌いなんだ。


 これ以上そんなことを思わないように俺と凪は折り畳み傘をリュックから取り出し、家へと急いだ。


 ――

 からもも汐璃しおり


 れい先生に車で学校まで送ってもらい、生徒会室で作業をしている。

 留守番組の3人はもうすでに帰宅をしたようだ。


 窓の外を見ると私の予想が的中し、雨が降り出していた。


 視線を机の上に戻し、資料に目を通す。

 だが、その資料の内容なんてこれっぽっちも頭に入っていない。


 私は1つ気になっていたことがある。


 それは先ほどの打ち合わせでの碧くんの言葉。

 あれは正に心のうちに秘めた碧くんの裸の想いだった。


 そして、それはきっと碧くんの憧れていた人、元々あの夢を叶えようとしてた人へ向けられた想いだった。


 私の胸は碧くんのあの想いを聞いてからざわついている。

 心の中に風が吹き荒れ、ふわふわと所在なく漂っているような感じがして気持ち悪い。


 でも、認めざるを得ない。

 だって私はあの瞬間碧くんに見惚れてしまった。

 自分でもわかるほどに。それは無意識を超えた意識だ。


「ふぅ……」

 私はもう一度作業に集中することを言い聞かせるように大きく息を吐きながら立ちあがる。

 コーヒーでも飲んで切り替えよう。

 そう考え、ポットに向かうとしたそのとき。


 ドンっと鈍い音が静かな生徒会室に響く。

 太もものあたりを机の角にぶつけてしまった。

「いててて……何やってんだろーな……」

 思わずそんな独り言までこぼれる。

 あざにならないことを祈っていると視界の端にあるものが映った。


「ん? これって……」

 落とした視線のさきにあったのは緑色のA4のクリアブック。


 生徒会長の任命状がちらりと見えた。

 これは碧くんのファイルであった。

 生徒会室に忘れたって言ってたし。


 私はそれを拾いあげて、机に戻そうとした瞬間。


 クリアブックの中から1枚の89×127 L判の写真がひらりと宙を舞いながら落ちる。


 裏返しで床に舞い落ちた写真を拾い、興味本位で表側を見た。


 そこには中学生の碧くんとまるで中学生の頃の自分をトレースしたような水無月澪が写っていた。


 私は自分のなかに湧き上がる感情を捉えることができない。

 後悔?

 驚き?

 納得?


 うごめく感情を自分でも特定できなくて、困惑する。

 きっとどれでもなくて、全部なのかもしれない。


 外では雨脚がさらに強くなる。

 季節外れの大雨。これからやってくる梅雨を私たちに意識させるかのようだ。

 雨が校舎に打ち付けれる音が辺りに反響する。

 今はそれが心地よかった。

 抱いている感情も想いもすべて雨に洗い流してほしい。


 気付くと私は荷物をまとめ、校舎を飛び出していた。

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