第四拾弐話 決意と後悔と想いと意志哉

 からもも汐璃しおり


 5月中旬。徐々に春の陽気さが梅雨の湿り気のある空気へ移り変わりをほのかに感じるようになった。

 6時間の授業を終えた私たちは市長との緊急の打ち合わせのため多賀城たがじょう文化センターに来ている。


 1120人を収容することのできる大ホールをはじめ、多賀城の歴史的な資料を展示しているブースや会議室などが備わっている。大ホールでは多賀城市の成人式、多賀城市やほか周辺市町村の中学校の合唱コンクールや吹奏楽部の定期演奏会が開催され、ときたま全国でも著名な俳優さんや女優さんが出演している舞台なども行われている。


 文化センターは多賀城市役所の道路を挟んで隣に位置しているということで今日はここで打ち合わせが行われることになり、私たちは一足早く会議室に待機しているということだ。


「アオ君ファイル忘れてませんか?」

「あーうん。生徒会室に忘れてきたな。さっき捺希なつきからも<ファイル忘れてるけど大丈夫なのか>ってLINE来てた。」


 今日の打ち合わせに参加するのは私とあおいくんとなぎさんの3人。

 鈴望れみさん、白藍しらあいくん、時雨しぐれくんは生徒会室で留守番――というよりはやるべき仕事が沢山あるということと今回の打ち合わせは碧くんの考えのみを伝えるという趣旨のため全員で行く必要はないという結論に昨日至った。


「プレゼン大丈夫そう?」

「大丈夫大丈夫。全部頭の中に入っているし、そんな長くないから」


 碧くんは私たちを安心させるように笑顔を浮かべる。

 目線を顔から少しだけ下に落とすと机の下に隠すように足の上に置いた手をぎゅっと強く握っていた。

 きっと碧くんの言葉に嘘はない。

 けれどきっと自分の本心を、夢を伝えることへの不安があるのであろう。


 昨日碧くんから簡単にだが今日伝えることを教えてもらった。

 それはこの前多賀城政庁跡で碧くんに告げられた夢だった。

 そして、恐らく前回の打ち合わせの最後に伝えようとして直前で断念したものだった。


 この数週間のうちに心のうちに変化があったのかもしれない。

 撮影会でいなくなったときに凪さんと何かあったのかな。


 私には碧くんから胸のうちを曝け出してもらってから引っかかっていることがある。


 ――これって俺の夢というより俺が憧れていた人の夢なんだ


 憧れていた人。

 誰のことなんだろう……

 なぜだかその言葉が私の頭と心を掴んで離してくれない。


「そういえばまだあの写真ってファイルに挟んであるんですか?」

 凪さんがファイル関連でそんな質問をする。

「うん、入れてるよ。まぁ……お守りみたいなもんだし」

「お守り……ですか。ってそれ今日忘れてるじゃないですか!?」

「ははは、確かに。でも、大丈夫だよ。別のところから見守っててくれてるだろうし」

 そう答える碧くんの横顔は嬉しさと物憂げさを両方を含んでいるように見える。


「写真?」

「中学校で生徒会入ったときにファイルに挟んだんだよね。だからなんかお守りみたいなもんなんだよね」

 何かを思い浮かべるように、懐かしむように。


 私のなかで何かが繋がった気がした。

「それってこの前言ってた憧――」

 私が言い終わるのよりもさきに扉が開く。


「お待たせして申し訳ない」

 そう言って浅山あさやま市長は頭を下げる。

 空気が変わったことを感じる。

 決して重苦しいわけではないが、思わず体が強張る感覚が自分でもわかる。


「こちらこそお忙しいなか急な申し出にも関わらずお時間を取っていただきありがとうございます」

 碧くんはその空気に押しのけるように立ち上がる。

 私と凪さんも碧くんに合わせ立ち上がり、頭を下げる。


「そんなにかしこまらないでくれ。私たちは一緒にあやめ祭りを作り上げる協力関係なんだ。より良いものにできるのであれば自然と優先順位は上がる。それに今回は千坂くんが何やら伝えたいことがあるとか」

 長机に肘を立て両手を顎の下で組んで若干の含みを持たせながらこちらに問う。


「はい。その通りです」

「私はそれがとても楽しみでね。この前の打ち合わせでは何か言い淀んでいた様子が見受けられたからね。それじゃあ早速だけど聞かせてもらってもいいかな?」


 その言葉を合図に碧くんはふっと小さく息を吐き出し、口を開く。


「あやめの花言葉はご存じでしょうか?」

「勉強不足ですまない。わからないな」

 碧くんの問いの真意を図りかねているのか市長の眉間に少ししわがよる。


「希望・メッセージ。これがあやめの花言葉です」

 強く澄んだ声が室内にこだまする。



「この花言葉をモチーフにあやめ園に訪れた人が自分の胸の内に秘めた想いを大切な人へ伝えたい人へ伝えることができる。きっかけでもいい。そんな場所にしたいというのが私の考えです」

 市長は目を一瞬見開く。


「なるほど。面白いね」

 短く応える。続きを聞かせてくれということを暗に知らせる。


「まずあやめ園に来場してくださった方々にあやめの花を渡します。さらに何かしらのSNSなどであやめ祭りに関することを投稿してくださった方々には多賀城市の特産品である古代米を無料で提供します。また、トークイベントに出演される多賀城市出身の女優である一枝牡丹いちえぼたんさんと多宰府たざいふ高校の卒業生で声優の谷社たにやしろあまねさんにトークイベント中にあやめの花とともに各々が伝えたいことを伝えていただきたいと考えています。その後はその舞台上で一般の方々にもあやめの花とともに自分の大切な人、想いを伝えたい人にご自身の想いを伝えてもらおうと思っています」


 碧くんは昨日私たちに話した内容と同じことを口にしている。

 原稿などは準備されておらず、全て碧くんの心のうちにある想いをそのままぶつけている。


 浅山市長は顎の下で組んでいた両手をほどき、前かがみになっていた姿勢を正す。


「この案自体は採用でいいだろう。たとえ今回のあやめ祭りでうまくいかなかったとしてもこれからのことを考えると良いPRになりそうだ。とここまでは多賀城市長としての発言だ」


 浅山市長はほどいた両手をもう一度顎の下組みなおす。

「これは浅山みなととして千坂ちさか君、君に1つだけ聞きたい。なぜ君はあやめ園を想いを伝えることができる場所にしたいんだい?」


 市長の眼差しは真っすぐに碧くんを射貫いている。


 碧くんは少しだけ逡巡して、目を閉じて一息つく。

 そして、もう一度目を開く。その双眸そうぼうには明確な意志が滲んでいる。

 ゆっくりと語り始める。


「自分の想いを伝えるということはとても怖くて、人を臆病にさせる。その想いを伝えたらお互いの関係が変わる決定打になってしまうことを無意識に理解しているから臆病になるんだ、と自分は思っています。そして今じゃなくてもいい、いつでも伝えれると色々な理由を探して、逃げ道を作るんです」


 言葉の意味を、重さを噛みしめるように、私たちに伝えるように言葉に生を宿している。


「でも、それじゃあダメなんです。未来なんて不確定なものに頼ってはいけない。未来は未だ来ないことなんて言いますけど、自分は違うと思います。未来なんてのはんですよ」


 碧くんはこぶしをぐっと力強く握り、喉を震わしながら声を絞りだしている。そこには私では到底言葉にすることもできない、想像もつかないほどの後悔が滲んでいるような気がする。


「だから伝えたいことは伝えるべきです。それが自分にとって大切な人なら尚更です。恋人でも、友達でも、家族でも自分にとってかけがえのない人への想いを。伝えることのできなかった後悔は一生残って、一生重りとなって尾を引きます。それはもう一生届かないかもしれない。口にして、言葉にして相手に届けないといけないんです」


 決意と悔恨。

 碧くんはきっと自分に同じような経験があるのだろう。


「そうは言ってもやっぱり自分の想いを伝えることは難しいし、怖いです。自分の心の鎧を剥いで曝け出すんですから。だからそんな場所を創ることができたらいいなと漠然と思っていました。だから1か月前は自分で押しとどめてしまいました。でも、今は違います。こんないち高校生が考えたことでそんな場所になるのかどうかはわかりません。それでもやってみたいんです」


 碧くんはきっと今自分の本心をさらけだした。たとえそれが不格好だとしてもその姿からあふれ出す何かは周囲に確実に伝播し、影響を与える。


 きっとなんでもそうなんだ。何かが上手くいくときはきっと誰かが勇気を出して自分の本心を曝け出すんだ。そしてその弱さと脆さと、本気に周囲はあてられて、影響されて、魅せられて形を成していく。


 決意があふれる横顔に。

 後悔の滲む言葉に。

 想いのこもる拳に。

 現在を見据える瑠璃色の瞳に。


 正真正銘私は碧くんに見惚れていた。


「それは君の後悔かい?」

 それまで黙って碧くんの言葉をじっと聞いていた浅山市長がそれだけを問う。


「そうですね。これは自分の後悔です。ですが、決意でもあります」

 碧くんは力強く答える。そこには迷いは微塵も感じない。


 市長はその答えを聞いて少しだけ口角を上げ、立ち上がる。

「やはり君たちに協力を仰いで正解だったようだ。千坂君、君の考えはそのまま採用させてもらおうと思う。私も君が思い描くあやめ園が見たくなった」

 そう言って私たちに笑顔を見せる。


「ありがとうございます……!」

「この後まだ時間はあるかな? 早速準備をしていこうか」


 ―――

 時刻は17時30分を回ったところ。

 協力を依頼する団体への連絡やこれからの宣伝に関する確認をあらかた済ませたところで今日は解散となった。


「うまくいって良かったです。本当に……」

 凪さんの声には安堵が込められている。

 それだけ凪さんも碧くんのことを心配していたのだろう。


「まず一安心だね。でも、ここから本当のスタートだよ。あやめ祭りまでもう1ヵ月をきったわけだし、ここからさらに忙しくなるだろうなー」

 碧くんもほっとしたのか安堵の表情を浮かべる。しかし、その瞳はすでにこれからを見据えていた。


「でも、今日はもう帰って休もう! そうですよね、玲先生」

 碧くんは私たちの後ろを歩く玲先生に聞く。

「そうね。私も今日はもう帰りたいわ。偉い大人と話すのは疲れるわね。ほら早く車乗った乗った」

「あ、俺と凪はここから直接家に帰った方が早いのでここで失礼しますね」

 そっか。碧くんと凪さんって家がとても近いんだっけ。

「あ、そうなのね。汐璃さんは? どうする?」

「私は学校までお願いしてもいいですか? 生徒会室でやりたいこともあるので」

「わかりました。それじゃあ碧くんと凪さん。くれぐれも気を付けて帰りなさいね。ではまた明日」


 2人が並んで帰っていくのを確認してから玲先生は車を出す。

 空には墨色の雲が漂い始める。

 雨が降る。

 そう思った。

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