第弐拾参話 朱と碧と紫と黒哉
今日見た夢、小学校6年生のときの記憶には続きがある。
**
「アオは
花言葉なんて1つもわからない。
まず花ごとに言葉が与えられていることを知ったのなんて最近だ。
「いや、わからない」
「ふふ、アオは素直だね」
どこか嬉しそうにほほ笑む。
ベンチから立ち上がり、そばのあやめに近づくように足を折って花弁に触れる。
「メッセージ・希望」
「これがあやめの花言葉」
メッセージ・希望。
文字だけの印象はとても明るく前向きである
でも、
澪はこちらを振り返ることなく続ける。
「あやめの花言葉とても素敵だと思わない? あやめ園にいるカップルや夫婦の人たちはみんな自分の気持ちを伝えて、希望を相手に与えて、希望を相手からもらっているんだなーって思うの」
澪の視線を追うとその先にはあやめ園を行き交う人々がいる。
「それはカップルには限らないよね。友達同士だって家族もそう。私と
笑顔でこちらを振り返る。
今まで何度もそばで見てきた澪の笑った顔。
西日で照らされてほのかに色づいた頬とくしゃっといつもは大きい目がきれいな山を描く。
その繕わない心がすべて現れたような笑顔。
また菖蒲の方に身体を向ける。
黒く艶やかな髪がなびく。
「でもさ伝えるって本当に難しいことなの。だから私にはできない……」
「そんなことないだろ……」
何の根拠もない空虚な否定の言葉しかかけられない。
澪は菖蒲から目をそらし、視線を落とす。
「ううん、1番大切な人に私の1番大切な想いを私は伝えられないの」
澪の声には自分へのやるせなさが滲んでいた。
「だから菖蒲の花言葉はきっと自分の伝えたいことを伝えた人、相手からも伝えらえれた人がつけたものじゃなくて、伝えられなかった人がつけたんだと思う」
「どういう……こと?」
俺には澪の言葉の真意が見えず、思わず聞き返してしまう。
「伝えられないから菖蒲にその願いを託したんだよ。きっとね」
澪は立ち上がり、くるりと回って日が沈みかけて
「私はこのあやめ園でたくさんの人が自分の想いを伝えられたら素敵だなって思う。みんなの希望が集まるそんな場所にしたい。そして、その希望に私は背中を押されないと自分の想いを伝えられそうにない。あーあ、私ってずるいね」
澪はこちらを振り返り、いつもと同じような笑顔を見せる。
けれどもその笑顔はこれから到来する梅雨を知らせるかのように寂しい。
「あぁ――ずるいかもね。でも、最後に伝えなきゃいけないのが澪本人ならそれでいいじゃん」
照れくさくて目をそらしてしまう。
少し澪はびっくりしている。気がする。
「ふふ、アオありがと。それがね私の夢。アオは何か夢ある?」
「それが澪の夢なら俺は澪を応援することが夢でいいよ」
「ダメ!!」
澪の声が反響する。こんなに大きな声を澪が出したのは俺の記憶のなかにはない。
雷に打たれたかのような衝撃だった。
「なんだよ……そんなに大きい声出して」
「ご、ごめん」
澪も自分で自分に驚いているような様子だ。
「俺は今がよければそれでいいって。それに澪のことをサポートできれば」
「いつもアオはそう。アオは私なんかよりもっともっとすごいのに」
澪は俺のことを高く評価してくれる。でもそれは違う。
俺は澪に置いていかれないように横にいてもいいように頑張っている。
いつもいつも先に行く君を。
追いかけて。
追いかけて。
いつまでも隣にいるために。
それだけだよ。
だから俺は澪の隣にいれたらそれでいい。澪が俺の隣にいてくれるだけでいい。
「私のことを応援してくれるのは嬉しいよ。それでも私はアオの夢が聞きたい。アオはアオの夢を追いかけてほしい」
俺の夢か……。
「俺の夢はいいよ。もう半分叶っているようなもんだからさ」
澪は不思議そうに顔を傾ける。
すっかり朱く染まった空を見上げる。
俺も大概ずるいな。
この想いを伝えられないんだから……。
**
俺は澪の夢を叶えたい。
あやめ園を希望があふれる場所に。
それが今自分の手で実現できそうなんだ。
あれ?
これは誰のだ?
俺の想い……?
澪の夢……?
「私はアオのだけの夢を応援したい、叶えるところを見たい」
この言葉を裏切ることだけはできないよ。
夢なんてそんな大層なもの俺にはないよ。
俺のあのときの夢は叶わない。
もう失われたんだ。
だって澪はもう……。
俺も伝えられなかった側の人間だよ。
今の
ごめんな澪。
呼び止められた
「千坂君どうしたんだい? 何か伝えたいことがあるんじゃないかい?」
こぶしをぎゅっと握りながら、全身に力を籠める。
誰にも悟られないように一気にこぶしをひらき――
「いえ、やっぱり大丈夫です」
俺は努めて明るく笑顔で返した。
じっと俺の顔を見つめる。
それは俺の表面ではなく、奥底を見極めているように鋭い眼光。
ふぅと市長は短く小さく息を吐く。
「……そうかい。でも私の勘違いではなければ君は何か伝えたそうにしていた。けれど千坂君。君が伝えようとしないなら私は無理には聞かないよ」
ドアノブに手をかけ、少しドアを開く。
外のまぶしい光が薄暗い部屋に降り注ぐ。
市長は振り向かずに続ける。
「4週間後また会議をしようと思う。そのときに君の考えがまとまったのなら聞こうか」
そして、振り向いて最後の確認をする。
「念のためにもう1度確認するけど、今日執行部の皆さんから共有してくれたものはほぼ実行するものと考えてくれ。関係するところにはこちらから連絡もいれておくよ。君たちもできる準備をしてくれると助かるよ。それじゃあ改めてよろしく」
最後の言葉は正直あまり頭に入ってくることはなかった。
この薄暗い
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