Text 1. Initiator_二十歳の誕生日_3rd Dec.2024

「好きだ! 俺と付き合ってくれ!」

 冬も終わりをつげ、桜の木のつぼみが膨らみ始めたころ。校舎前、わずかに咲き始めた大きなソメイヨシノの木の下で、学ラン姿の赤松圭一郎あかまつけいいちろうは腰を直角に曲げては勢いよく、深々と頭を下げた。


 その目の前には彼よりも30cmは背の低い小柄な女子生徒。紺と深緑のデザインが施された制服姿の彼女は、自分よりも低く頭を下げている目の前の男から気まずそうに、しかし半ば呆れたように目をそらし、ひとつ息をつく。


「……ごめんなさい。そういうの本当に興味ないから。いい加減わかって」

 首にかけたヘッドホンをつけてその場から去ろうとしたとき、がばっと顔を上げた赤松は必死の形相になる。


「じゃ、じゃあ今晩デートするだけでもいいから! あのっ、先っぽ! 先っぽだけでも――」

「ちょっと勝手に脚色しないでくださいって!」


 笑いの渦が、客のほとんどいない小さな居酒屋「飛鳥」の中で起こる。赤松役を演じた佐久間さくまと女子生徒役を演じた勝俣かつまたも酔いに任せ、腹を抱えて笑い転げた。割って入った赤松本人は酒も手伝い、顔を赤くして膨れ顔だ。


「いやぁおまえの失恋話は何度聞いても飽きねぇな。バカまっすぐな奴ぁ俺は好きだぜ」


 そう堂本どうもとは赤松のベリーショートヘアにごつごつした手を押し付けてはがしがしと掻く。整えてはいるも坊主から伸びた赤茶色の頭はされるがままだ。


 笑い終えた勝俣も、座布団に座り麦焼酎のロックを手にしながら便乗する。細目に塩顔の彼も、普段の真面目なそぶりから翻って、年の近い赤松の方に手を置く。


「好きな女に振り向いてもらうために全国統一模試99位取った話とか、高校の体力テストで総合一位取ったって話とか好きだなー俺は。そんじょそこらの体力バカだったくせによくそこまで上ったもんだ」


 細い顎から伸び始めた無精ひげをさすりながら、赤松の対面へ座った佐久間も思い出したように赤松の高校エピソードを付け足す。


「てか成績優秀スポーツ万能で好きになる女なんて中学生までだろ。あとはあれだあれ、部活辞めて格闘技のジムにも通ったり、そいつの趣味合わせるためにギターとかゲーム極めたり、女の流行知るために化粧品やファッション誌買い漁ったり、その全力で空回りしているとこがマジで最高」

「だぁー! もういいですってその話! これでもめっちゃ恥ずかしいんすよ!?」

「だとしても13回おなじ相手に告白は狂ってるだろ。相手の女も迷惑だったろうに」


「うぐっ」と、藤宮ふじみやの冷静な正論に赤松の長身が単振動する。まさに一本の剣がドスッと胸に突き刺さったような挙動だ。


「やっぱそうっすよねぇ」

「一途すぎるのも困りもんだな」と勝俣は声を上げて笑った。酒の酔いか否か、赤松の顔と耳はますます赤くなる。

「だって好きなんですもん。しょうがないじゃないっすか」


 楽しそうに笑って返した佐久間は酒を一杯。お猪口を置いてからしみじみと話した。


「そんなおまえも今日で二十歳か。時間の流れってのは早いもんだ」

「ようやく」と背中をバンと強く叩く。「一人前だな!」

「あざっす!」と赤松は満面の笑み。


「バッカ、こいつはまだまだ半人前だ。二年経ってんのに未だに配線図読み間違えるんだからよ」

「すんません」

 厳かに言う堂本に、しゅんと大きい体を縮こませた。


「感電回数も群を抜いてるしな」と勝俣は追い打ちをかけてはけらけら笑う。

「先週の装置解体の依頼も、200V喰らって脚立からぶっ飛んだからなおまえ。しかも50mA。さすがにありゃあ死んだかと思ったよ」

「マジですんません」

「なんでもいいじゃねぇか。これでもっとにぎやかな飲み会がこれからも開けるってもんだ」


「おまえが飲みてぇだけだろ」と藤宮が佐久間に対し冷静に言うが、白い歯を微かに見せ、頬は緩んでいた。


 一口分残っていた麦焼酎のロックは氷で融けて薄まっている。それを飲み干した赤松は物憂げな顔を浮かべ、目の前の大根のけんだけが残っている大皿をぼーっと見つめた。


「そっかぁ、あれから二年経ったんすね」

 彼の思うことは大体同じ。自分で熱燗をお猪口に注ぎながら、佐久間はため息交じりに言う。


「どんだけ別嬪さんだったが知んねぇけどよ、いい加減その未練たらたらしいの卒業して、とっとと別の女作ったらどうだ。いつまでも引きずってちゃ大人になれねぇぞ」


 ついでに注いでもらった勝俣も便乗する。

「そうそう、同年代じゃなく年上のおねえさん狙ったらどうだ」

「えー俺は好きな人と付き合いたいんですって」と赤松は口をとがらせる。


「わかってねぇな、ものは試しだろ。こいつなんかクールぶっているくせして大学の間で20人経験してんだぜ? その上22で結婚もしている。今じゃすっかりママさんと娘にぞっこん中のパパさんだ」


 そう佐久間はいたずらな笑みを浮かべ、同期に等しい藤宮へと親指を指す。寡黙な彼は腕を組んだまま、佐久間を少し睨んでは、


「俺の話はやめろ」

「娘さん何歳でしたっけ」と勝俣。

「4つだ。今月の30日に5歳の誕生日を迎える」

「ほら見てみ。なんだかんだ写真見せようとしてるぞ」


 赤松の肩を叩いた佐久間はそう小耳に挟ませる。藤宮はムッとしつつも、手首のリング型ウエアラベルから手のひらへ投影された立体画面を指で操作し、電子アルバムを開く。


「いいだろ別に。たまには娘の自慢くらいさせろ」

「おめぇの『たまに』は週5日もあるのかよ」


 つっこむ堂本に構わず、5人を囲む卓の中央へ選んだ数枚の画像をスワイプして飛ばし、並んだそれらは拡大される。

 全員の目に映るそれは微笑ましい家庭環境の一場面であり、幼い女の子が母親とぬいぐるみで遊ぶ様子や遊び疲れて眠っている様子などが見られた。ただそれらはいつも全員が見せられているもので新鮮味はなかったが。


「いやそんでもかわいいっすよ。ほら、この写真のフジさんもすげぇ笑顔だし。俺が父親だったらこんなかわいいお子さん絶対手放したくないっすもん」

「だよなぁ! やっぱ赤松がいると話弾むよ」


 今までの中で一番声が大きくなった藤宮はハイボールのジョッキを赤松のそれと乾杯させる。先ほど飲み干して空になったことに気まずさを覚えつつも、赤松も空っぽのコップを取ってはグラスの音を鳴らした。


「よっし、藤宮の娘さんの誕生日と赤松の成人を、こいつで祝って乾杯だ!」

 ドン、と全員の前に置いたのは黒い一升瓶。誰もが目を輝かせ、そのラベルに食いつく。


「お! 出羽桜の一路じゃねぇか!」

「今さっきママさんからもらっちった」と佐久間はいたずらに笑う。かくいうエプロン姿の店主は忙しそうではあったが、ふと彼女の方へ赤松は顔を向けると、気前よくグッドサインを出してきた。もう60代半ばだというのに随分と元気だ。


「いいねぇ純米大吟醸! ほら赤松、おちょこ新しいの」

「うっそだろ、これで3本目っすよ」

 気分が上がった堂本の一言に赤松は驚く。すぐさま、堂本は大声を出した。


「ばっかやろ、純米大吟醸は別腹だ。今のうちにいい酒飲んでおいた方がいいぞ赤松。最高にいい奴とクソみてぇにわるい奴を味わっとかねぇと、モノの良し悪しの判別すらできねぇ。酒もサービスも女も一緒だ」


「あーはいはい、それ先週も聞きましたよ」と呆れる赤松。ガッと首を回した堂本の背に合わせ、赤松は首を落とし身をかがめざるを得なくなる。

「そんだけ大事ってことだ。俺が墓場に入るまで聞かせてやっから覚悟しとけ!」

「えぇ~、堂本モトさん冗談きついっすよ」

「そんじゃ、かんぱーい!」


 飲み交わし、帰宅したときにはとうに深夜を迎えていた。

 一緒に住む母は眠っていることだろう、ふらつく頭と体をなんとか支え、壁を伝いながら暗くなったリビングをそろりと抜ける。


 一歩ずつ階段を上り、そのたびに頭痛がする。どうにか自室へとたどり着くことができた赤松はドアを閉めた途端、気持ちのゆるみが一気に起きた。


「はぁ……あぁクソッタレ。うぇぇ、飲みすぎた」


 明日が休日でよかったと彼は心の底から安堵する。急な設備依頼が入らなければの話だが、と付け足して。


 ダウンコートとスーツを脱ぎ、机によりかかりながらネクタイを外したとき、何かが落ちたような音を耳にする。足元にノートを落としたようだ。


 それを拾おうと手を伸ばしたとき、ふらつく足が体を支えられず、そのまま崩れるように床に倒れ込む。


「あ~やべぇおきれねぇ」

 呂律もまともに回らない。いっそこのまま眠ってしまいたい気分だった。


 手に取った一冊の使い古された紙媒体のノート。電子媒体ひとつでほとんどのことが為せるにもかかわらず、かさばるだけのそれをつまんでは、ぱらぱらとめくった。床に倒れて頬を潰していながらも、その目だけはしっかりと動かし、記憶を想起させていた。

 

 そのノートにボールペンで書かれていたのは数多くの連絡先、失踪に関するニュースの記録、脳と電波の相関と影響する心理について勉強した痕跡……統一性があるとは言えなくとも、それはひとつの疑問へと集結している。


「二年……。もう二年経ったのか」

 眠る寸前にも思える呟き落とすような小さな声は、床にしみこんでいく。


 あれからというもの、進展はまるでない。自分なりに足は運んだし、人脈の限りを尽くして聞きまわった。だが、一向に手がかりが見つからないどころか、最近ではより"不可解な"事態に陥った。

 

 思い出すは、彼が高校時代から今も尚、一途に思い続けるひとりのクラスメイトの横顔。話しているときのつまらなさそうな顔。仲良くなった時に見せる、無邪気な顔。たまに見せる、どこか寂しそうな顔。

 ふと見せる小さな笑顔。

 すべてが懐かしく、いとおしく思えるだけでも、彼にとっての宝物だった。


 だが。

奏宴かなえ……あいつ、無事なんかな」


 彼女は高校3年の12月、ひとりの教師を殺害した。

 そして二年後の今、彼女の行方は誰も知らない。

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