第4話

 ピエロの仮面を被った男は僕たち家族に一人一丁ずつ拳銃を持たせた。ぐるりと輪になり、最初に仲間を殺したやつだけ生かすと言った。六丁の拳銃は同時に発砲した。五人は銃口をピエロに向けていた。銃口から弾丸は発射されず、ただ子供だましのような造花がはみ出た。僕だけが銃口の花束を父に向けていた。家族は驚いたような目で僕を見た。

 ピエロはアハハと笑った。

「おめでとう―――」




 目が覚めると洞窟のような場所にいた。波音がする。完全な暗闇というわけではなく、岩壁に水の反射した影が揺れている。

 一瞬思考が混濁した後、先刻までの出来事がまざまざと脳裏に反芻され、勢いよく身を起こした。肋骨が折れていたことを思い出して身を竦めたが、不思議と痛みはなかった。脚からの出血も止まっている。ただ酷く疲れていた。

 少し離れたところにマリアがいた。ちょうどいい塩梅に変形し、窓のようになった岩の隙間から外を見ている。長い髪が風に揺れる。ちらりと覗いた頬には、もう石を投げられた時の傷はなかった。

 俺は全てを理解した。奥歯を噛みしめると、嫌な音が口の中に響いた。

「この大法螺吹き」

 マリアは緩慢な動作でこちらを振り返った。感情が欠落したような顔をしている。

「お前は契約しなくても魔法が使えるんだな。せいぜい移動魔法が関の山だとか抜かしやがって、治療もできるらしい」

 はは、と乾いた笑いが漏れた。そんなことはどうでもいい。岩の地面に爪を立てると、爪の先がべろりと捲れた。

「……なんで助けた。俺はあのまま死んでよかったんだ」

 憎しみと罰を浴びながら死ぬ。ろくでなしにはお誂え向きの死だったろう。

「……ヴァル」

 いつの間にかマリアが傍にしゃがんでいた。手が伸びてくる。

がっ、と顎を掴まれた。

「なんで前触れもなく人の命を終わらせてきたくせに、自分は望み通りの最期を迎えられると思ってんの?」

 俺は奴の手を避けることも、はたきつけることもできたはずだった。でもできなかった。喉元に氷柱を突き付けられたように動けなかった。マリアはつまらなさそうな、冷え切った目で俺を見下ろしている。

「誰も愛さず愛されず石を投げられて孤独に死んでいくのが果たして罰と呼べるのかな?お前が求めてるのは罰じゃなくて救いだろ。そんな安易な自己満足で勝手に償って、苦しみが終わっていい身分だな」

 顎を揺すぶっていた手がするりと首の後ろに巻き付いた。マリアは顔を近づけて、耳元で囁いた。

「死なせねえよ?お前はどれだけバラバラになっても欠片を繋いで生かしてやる。追われる恐怖と大事なものを失う恐怖を常に抱えて生きろ。そのほうがお前には堪えるだろう。俺はそれを見物してやる」

「……それがお前にとっての復讐か」

 奴は温度の感じられない声で笑った。

「復讐!はは、そんな素敵なことじゃない。面白いからさ。お前も、前の男も、苦悩している人間は滑稽で愛しい。安心しろよ、幸福を享受するようになって面白味がなくなったら、ちゃあんと殺してやるからさ!」

 どうしようもなく身体が震えた。聖母だと?こいつは名前負けのとんだ性悪だ。

奴は振動を味わうように俺を抱き寄せると、甘い声で言った。

「なあヴァル、俺に縋れよ。そしたらもっといい地獄を見させてやる」

「いい地獄……?」

「俺がいないと生きていけなくなるくらい愛して愛して、頃合いを見て捨ててやる」

 マリアはぱっと顔を離すと、いつもの人好きのする顔で笑った。

「……何を食ったらそんな思考になるんだ」

「残念ながらここ最近はお前と同じもの」

 そう言ってマリアはキスをした。何度か啄むように触れたあと、温かい舌が割り入ってくる。ぞわりと背骨に甘い痺れが走った。触れている肌が同じ温度になっていくのがわかる。白く優美な手が頭を支えるように髪を撫でる。

 初めて会った時、男の瞼をそっと閉じるこの指に感じた、殺意のような、羨望のような思いは何だったろう。仕方がないと諦めた、しかし慈愛に満ちた指。その指に、自分の瞼も閉じてもらえたのなら。

 温かさは要らない。救いも要らない。でも救いって、罰って何だ?それをもう一度考えるには、あまりにも疲れていた。意地が悪いくらい優しい愛撫の中で、俺は思考を手放した。

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マリアは裁きを下さない 絵空こそら @hiidurutokorono

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