十三

誰かを傷つけて大切な存在を護る術を知ったのは、家族が押し入り強盗に襲われたときだった。


肌に付いた血が嫌なほどまとわり付くことも、人体から止めどなく流れ出る血の凄惨せいさんさも知らなかった男は、妹を護りたいという一心で、冷酷な人間と化した。


どんな手段を使っても、妹を護りたかった。

結果、妹に罪を背負わせることになるとも想像できずに……


「…………っ……」


目覚めたとき、ひどい倦怠感を感じた。

仲間が襲われて、自身も重傷を負った……否、さとを助けるために川に飛び込んだことを思い出して、藤次郎は必死に眼を開けた。


「……よかった」


胸にすがる、そして顔を上げた先に見えたさとは、泣いていた。


さとが助かってよかったと、藤次郎もまたと同じ思いを抱いていた。



事の次第はこうである。

川に飛び込んださとを追って、藤次郎も川に身を投げ出したのだが、何とか藤次郎はさとを川岸まで引き上げることができた。


だが、重傷を負った身体が癒えたばかりの、しかもその身で信濃から江戸に来た藤次郎は、さとを川岸に上げると、すぐに意識を失っていた。


偶々たまたま川岸に倒れこんでいる二人を見つけた男が、二人を助け、自身の家にかくまっていたのだ。


「お互いに死んで哀しむ人がいるなら、心中なんてやめたほうがいい」


二人を助けた男は、伊吹と名乗った。


伊吹は二人が心中したと勘違いしていて、家に匿うことを決めたのである。

心中を試みた者は、御上の法により容赦なく罰せられるからだ。


さとは、はじめの内から意識があったが、藤次郎は二日間、目を覚まさなかった。

さとは藤次郎に張り付いて看病していた。

伊吹から見れば、心中したと思い込んでいたこともあって、二人は恋人同士だと認識していた。


藤次郎が意識を取り戻したその日の夜、伊吹は宿に泊まることにして、二人を一つの布団で過ごさせた。

伊吹は気を利かせたつもりである。


「母さまたちが殺されたときも、兄さまは私を助けてくれた」


家族が殺されたあの日から、さとは自身が歪んでしまったと思っていた。

だが、歪んだのは、家族が殺されるより前に、兄を好きになったときからではないかと感じるようになった。


「辰巳は、私のことを愛してくれた。

自分がそうなって、はじめてわかったの。誰かの代わりにされることが、どんなに酷なことかって」


「あいつのこと、好きになったのか?」


「うん。でも、兄さまの方が好き」


さとは藤次郎から背を向けたまま答えた。


「もうあの人のことも、誰も傷つけない。一人ぼっちでも大丈夫。兄さまにも依存しない」


静かに花を愛でるような暮らしの中で、生涯を終えたい。

兄への想いは消えないかもしれないが、決意は確かなものだった。


元より、藤次郎といつまでも一緒にいることは叶わなかった。

それにあらがおうとしたとき、誰かを傷つけてしまったのだ。


「さと……俺は何度も、お前が妹じゃなかったらって思ったさ」


藤次郎は、さとを背後から抱きしめた。


同じ布団で寝るのは、無垢なままでいられた子どもの時分以来だ。


さとは密接する藤次郎の身体からたけるものを感じて、自身に対する藤次郎の想いを初めて知った。


「悪い……これが、俺にできる精一杯だ」


二人に許される行為は、抱きしめることが最大だった。

さとは藤次郎の手に指を絡めて、このひと時を噛みしめた。






江戸より西へ向かう街道には、やはり旅人たちが行き交う。

うららかな晴天の下、伊吹が助けた二人は江戸を後にした。


男の方はまだ本調子ではなさそうだったので、しばらく家にいてよいと伊吹は引き止めたのだが、早くに江戸を発ちたいと、連れの女と二人で早々に家を出てしまったのだ。

一度は死を試みた者たちだったので、伊吹は心配になり、二人に見つからぬようこっそり後をつけて見送ってみれば、二人の様子からは何かを吹っ切れたような、晴れ晴れしい雰囲気を伊吹は感じ取っていた。


二人きりにした夜半よわ、思う存分に話して、死を選ぶという選択は消えたのだろう。


特に女の方は、きれいな笑顔さえ浮かんでいた。


街道にはすでに、二人の姿は見えなくなったので、伊吹は引き返そうとすると、いつの間にやら隣に男が立っていて、その男も街道を眺めていた。


「お雪ちゃんの知り合いでしょ?変な噂が流れたけど、もう大丈夫だから」


「え、あんた……」


そこで伊吹は思い出した。

隣に立つ男は、伊吹が御子柴道場を訪れた際に会った男だった。

雪の噂を突き止めて御子柴道場を訪ねたわけであるが、もしかしたらこの男も雪を助けようとしていて、同じく御子柴道場を尋ねたのかもしれないと考える。


しかし何故、もう大丈夫とこの男は言い切っているのだろうか。


経緯を聞こうとして、けれど伊吹は聞くのをやめた。


安堵している男の顔は、どこか切なそうで、この感情を伊吹は身をもって経験しているような気がして、男と自分が重なった。

男は、叶わない想いを抱いている。

相手の幸せを願えば願うほど、時に苦しくなってしまうのだ。


真実、男がそのような想いを抱いているのかは、伊吹にはわからない。

尋ねることは野暮だと、伊吹は男の言葉に納得して、江戸の町へ引き返した。



「兄さま、本当にいいの?」


さとは一人で生きていくことを決めた。

だが、どうしても一緒にいると言って、藤次郎はさとの側を歩んでいた。


「お前から離れたくないんだ」


さとはずっと藤次郎を欲するも叶わなかったから、たくさんの代わりを求めてしまった。


藤次郎から離れようと努めれば努めるほどに、藤次郎のことが諦められないのだと思い知る。

しかし藤次郎もまた、愛する妹から、その気持ちをひた隠しにしつつ、離れなれなかったのだ。


さとは恥ずかしそうに顔を逸らした。


「これから、何処どこに行く?」


故郷の信濃しなのには、苦しい思い出がたくさん詰まっているので、さとは別の安息の地を求めていた。


「暖かいところがいい」


信濃よりも、遥か遠く、南へ。

街道の桜並木は、満開に咲いていた。






留五郎は辰巳に支えられながら、家の中に入った。


雪から一緒に住んで欲しいと願ってもないことを言われ、留五郎は住んでいた長屋を引き払い、雪たちが住んでいる長屋へと移り住むことになった。


病の身であれば、雪に、そして辰巳にも面倒をかけることになる。

だが一人でいることに限界を感じていて、それは言い訳でもあるが、最後に雪と一緒に暮らしたいという思いが強く、断ることをしなかった。


雪は、謝らないでと言う。


夢の中の雪は、たくさんの恨み言をぶつけていた。

しかしそれは留五郎が作り出した想像の産物であり、現実の雪は、内心は複雑な思いを残しているのかもしれないが、留五郎を許している。


母に否定され続けて弱々しい性格に育った雪は、過去の存在となっていた。


「おかえりなさい」


そして今、雪の長年の願いはやっと叶った。


笑顔で迎え入れえる娘と、娘の腕に抱えられているこれもにっこりとしている孫の姿を見るだけで、留五郎は泣きそうになった。


「ただいま」

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