番外編 「一人静」

 信濃国しなののくには大塩、この地に伝えらえる昔話をしよう。


 かの悲劇の御曹司、源義経にはたいそう美しい静御前という白拍子しらびょうし愛妾あいしょうがいました。

 義経が兄頼朝と対立すると、義経は追われる身となり、泣く泣く二人は吉野山でたもとを分かったのです。


 不運にも静御前は頼朝に捕まったのですが、頼朝の妻、政子の情けで命は助かり解放されることになります。

 しかしこのとき、静は産み落としたばかりの我が子を殺されていたのです。


 失意の静御前は、義経を想う気持ちだけが残り、愛する義経を追って、奥州を目指しました。


 旅の道中で奥州の場所を訪ねたときに、オオシオをオウシュウと聞き間違えてしまい、静御前はこの大塩の地に辿たどり着いてしまったとされています。

 そして、義経が自害したことを大塩で知ってしまったのです。

 可哀想な静御前は、愛する人を追うように大塩の地で息絶えてしまいました。


 その後、静が突いていた杖が桜の木となり、今の世にも「静の桜」として伝えられているのです。


  *


 真っ暗な背景の中に、一本の桜の木があった。


 ここは何処どこかと不安にならないのは、無意識の内に夢の中であることをさとっているからである。


 桜の木以外に見当たるものは何もない。

 何故か自分は、この桜の木を前に座っていて、てこでも身体を動かすことができなかった。


 しばらくすると、一人の女性が現れた。


(この人は……!)


 女はいつか芝居小屋で見た白拍子姿で、大好きな静御前だと直感する。


(なんて素敵な場所にいるのだろう……)


 静御前は桜の木を背に舞っていた。そして自分は、特等席で舞を見物する観客である。


 舞いに見入っていると、隣に気配を感じた。


 隣にいるのは誰なのか、横を向けないから確かめようがない。


 でも、どうしてだろうか。


 自分と同じく静御前の舞いを見ているその人が誰であるか、わかってしまったのだ。


「しづやしづ しづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな

 吉野山 峰の白雪 踏み分けて りにし人の あとぞこいしき」


 まるで呪いにかかってしまったように、身体は硬直している。

 隣にいるのは、こいしい彼なのに……


(会いたい……!)


「っ……!」


 静御前の唄が終わった直後、雪は現実に引き戻された。


 先ほど見た舞台が夢であったと理解しているのに、いないはずの彼を求めて隣を見やる。

 だが、彼がいるわけはなく、可愛い顔で眠る静介を確認しただけだった。


 夢の中でも、彼に会えない。

 むごすぎる事実にせめてもの救いは、静御前の舞いを拝めたことだ。



「おい、起きろ」


「…………!」


 目の前には静御前ではなく、夜の風景が広がっていた。

 夢を見ていたのだと自覚したのはすぐで、隣を見ればあきれた顔をしている男が立っている。


「いつまで寝てるつもりだ。追いぎに襲われる前でよかったな。俺に感謝しろよ」


 男の言葉に構わず、必死に記憶を手繰たぐり寄せる。


 たしか、桜の木の前で昔語りをしている村人がいて、それが静御前の話だったから思わず耳をかたむけていた。

 それは夕刻のこと。今はもう辺りが宵闇に包まれている刻限である。


「いつの間に寝てたんだ……?」


ほうけるのも大概にしろ」


 男はそう言って、先を歩いて行ってしまう。

 すぐに後を追わなければならないのに、夢の余韻よいんひたりたくて、しばらくもたれかかった夜桜を見上げていた。

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