番外編 「一人静」

信濃しなの国は大塩、この地に伝えらえた昔話をしよう。


かの悲劇の御曹司、源義経にはたいそう美しい静という愛妾あいしょうがいました。

義経が兄頼朝に追い詰められ、泣く泣く二人は吉野山でたもとを分かったのです。


不運にも静は頼朝に捕まったのですが、頼朝の妻、政子の情けで命は助かり解放されることになります。

しかしこのとき、静は産み落としたばかりの我が子を殺されていたのです。


失意の静は、義経を想う気持ちだけが残り、愛する義経を追って、奥州を目指しました。


旅の道中で奥州の場所を訪ねたときに、オオシオをオウシュウと聞き間違えてしまい、静はこの大塩の地に辿り着いてしまったとされています。

そして、義経が自害したことを大塩で知ってしまったのです。

可哀想な静は、愛する人を追うように大塩の地で息絶えてしまいました。


その後、静が突いていた杖が桜の木となり、今の世にも「静の桜」として伝えられているのです。






真っ暗な背景の中に、一本の桜の木があった。


ここは何処どこかと不安にならないのは、無意識の内に夢の中であることをさとっているからである。


桜の木以外に見当たるものは何もない。

何故か自分は、この桜の木を前に座っていて、正面以外に身体を動かすことができなかった。


しばらくすると、一人の女性が現れた。


(この人は……!)


女はいつか芝居小屋で見た白拍子姿で、大好きな静御前だと直感する。


(なんて素敵な場所にいるのだろう……)


静御前は桜の木を背に舞っていた。そして自分は、特等席で舞を見物する観客である。


高揚する胸の前で手を合わせて舞いに見入っていると、隣に気配を感じた。


隣にいるのは誰なのか、横を向けないから確かめようがない。

でも、どうしてだろうか。


自分と同じく静御前の舞いを見ているその人が誰であるか、わかってしまったのだ。


「しづやしづ しづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな

吉野山 峰の白雪 踏み分けて りにし人の あとぞこいしき」


まるで呪いにかかってしまったように身体は硬直している。

隣にいるのは、戀しい彼なのに……


(会いたい……!)


「はっ……!」


静御前の唄が終わった直後、雪は現実に引き戻された。


先ほど見た舞台が夢であったと一瞬で理解できたのに、辰巳を求めて隣を見やる。

だが、辰巳がいるわけはなく、可愛い顔で眠る静介を確認しただけだった。


夢の中でも、辰巳に会えない。

むごすぎる事実にせめてもの救いは、静御前の舞いを拝めたことだ。






「おい、起きろ」


「…………!」


やけに感覚が生々しく、目の前には静御前ではなく夜の風景が広がっていた。

夢を見ていたのだと自覚したのはすぐで、隣を見れば呆れた顔の男が立っている。


「いつまで寝てるつもりだ。

追い剥ぎに襲われる前でよかったな。俺に感謝しろよ」


男の言葉に構わず、必死に記憶を手繰り寄せる。


たしか、桜の木の前で昔語りをしている村人がいて、それが静御前の話だったから思わず耳を傾けたのだった。

それは昼時のこと。今はもう辺りが宵闇に包まれる刻限である。


「いつの間に寝てたんだ……?」


「呆けるのも大概にしろ」


男はそう言って、先を歩いて行ってしまう。

すぐに後を追わなければならないのに、夢の余韻に浸りたくて、しばらくもたれかかった夜桜を見上げていた。

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