第二幕 白銀の世界

鉛色の空からは小さい雪片が舞い落ちる。

その頼りない雪片は、いつまでも降りやむことがない。


大地に積もる雪がすべてを覆いつくし、果てしなく汚れのない景色が広がっていた。


ここは、故郷だっただろうか……

いや、違う。ここは自分の世界だ。


何もない、空っぽの世界。


けれど自分は誰かを探している。


歩き続けた先に、女が背を向けて立っていた。


そうだ。自分はこの人を、雪を求めていた。

共にいることを誓った、大切な人。


雪が振り返った。

駆け寄ろうとした刹那せつな、全身が凍りついたように動けなくなった。


たたずんでいる女は雪だったはずだ。

しかし、雪は振り返ったときに違う女へと変わっていた。


透き通るような白い肌は、その感触さえも鮮明せんめいに思い出すことができる。

幼い顔は美しく、むしろつやかもし出していた。


過去と共に消し去ったはずの記憶は、身体のいたるところに染み付いていて離れなかった。


ふっと笑うその仕草は、嬉しそうで哀しい。


「さと」


昔愛した女の名前を呼んだ。



「…………!」


目に映るのは薄暗い天井、そこで夢から覚めたのだと自覚する。


(今頃、どうして……)


隣を見れば、静かに眠る雪がいる。


先ほどまで見ていた夢に、ひどい罪悪感を覚えた。


夢に出てきた女に未練があり忘れられずにいるような気分になる。

未練など、故郷を出るときに捨てたはずだ。


思い出すことはあっても、もう一度求めたいと思ったことはない。

思い出すこと自体が未練だというのか。


辰巳は自身の曖昧あいまいな気持ちを払拭ふっしょくするため、井戸に向かい顔を洗った。


まだ夜が明けたばかりの刻限、人の気配はない。


雪と神田の長屋に住み始めてからおよそ二月が経とうとしていた。

世間でいうところの師走しわす、故郷の寒さに比べれば耐えられるが、外の冷気に一気に目が覚めた。


再び家の中に戻って、雪が目覚めないように静かに戸を閉める。


夜着よぎの中、雪は微かに震えていた。

辰巳は急いで雪の近くへと身を置く。


「おとっつあん……」


夢の中で、待っていた人を求める今にも泣きそうな雪の手を、辰巳はそっとにぎった。


雪は時々、無意識に父を求めることがあった。

その度に辰巳は雪の手を握って、なぐさめていた。


やがて、安心したように雪は夢を見る。


いつになれば、雪は孤独からさいなまれずに済むのだろうか。

ぽつりぽつりと雪かられ聞く過去は、辛く寂しいものだった。


雪が自分に自信を持てずにいるのは、雪自身の過去が起因している。

辰巳は雪の過去を憐れみながら、決して離すまいと雪の手を握り続けた。


江戸の空には初雪が降り始めていた。

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