ナマコ物語

海鼠さてらいと。

海鼠物語

我輩はナマコである。名前はまだ無い。

否、我が生涯に於いて誰かに名など付けられる事は無いだろう。どこで生まれたかとんと検討も付かぬ。ただ気づけば砂の上に横たわっていた事だけは覚えている。

覚えている事と言えばもう一つ。我は元々、人間であった。前世、と言った方が正しいか。ある日トラックに轢かれて、気が付けばこの姿になっていた。巷では異世界転生がどうと聞くが、それに該当するのだろうか。まぁ今息衝いているこの世界が異世界なのかどうかはナマコとなった今知る由もない。

さてこの姿だが、存外自由が効く。先ず天敵と言える生物が少ない。この見た目だからか魚の奴らからは喰っても無駄だと思われているのだろう。事実、ナマコになったばかりの頃は目の前で繰り広げられる生存競争に日々怯えていたのを記憶している。そんな我はある日、集団で獲物に食らいつく魚に注意をしたことがある。すると魚は生きる為に必要な事だと反論した。我はそれに対して何も言い返せず、捕食を止める事は出来無かった。この姿になって少し経つが、我は未だに喰われる所か標的にされた事すら無い。一匹だけ生存競争の蚊帳の外に居る気分だ。

そんな安全を享受している我だが、一度だけ死にかけた事がある。巨大な波に攫われ、水の無い陸地に打ち上げられてしまった時だ。生憎その日の天候は良く、容赦の無い日差しが黒い皮を焼く。これは拙いと思って海に戻ろうとするも残念な事に動く為の足が無い。


よもやここまでか。


そう思った時、唐突に我の体が宙に浮かび上がった。何事かと見上げると、そこには人間の顔があった。柔らかな掌に乗せられた我は無事に海へと帰還に至ったのだ。

「ありがとう」

我はそう礼を言いたかったが、どうやら我の言語は人間には通じないようであった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ナマコ物語 海鼠さてらいと。 @namako3824

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ