ポーカーフェイスを保たせて!

 ビニールハウス内の、むわっとした空気。天井から降り注ぐ熱量の高い日差し。

 ずらっと並んだ木箱を一つずつ観察していく。木箱の大きさはB2ポスターくらいで、深さは約10センチ。作業しやすいように腰の高さに置いてある。


 私は作務衣さむえそでまくり上げ、木箱の中、ぬるい海水に手を入れる。そして、底に沈む白い結晶を優しく撹拌かくはんする。混ぜる速度は早すぎても遅すぎてもダメだ。粒の状態を見極めて、適した速さでなければ、おいしい塩はできない。


 額に汗が浮いてきたところで朝の撹拌作業が終わった。次の作業までしばしの休息タイム。と思ったら、スマホが震えた。

「はい、室井製塩所です」

「いつもお世話になっております。私、東京で和食料理店を開業予定の佐野スミレと申します。この度そちらの塩を――」

「ああ、それなら赤穂あこうの製造所まで来てください」

 一方的に通話終了ボタンを押し、ため息をひとつ。今日の営業電話はこれで7件目。


 地元の高校を卒業し、地域 おこしの一環で募集していた製塩業に就いた。朝早くから夜遅くまでの仕事で、拘束時間は長い。しかも十年前に独立してからは休みゼロ。

 それでも続けているのは、塩が可愛くて仕方ないからだ。毎日、塩の様子を観て語りかけていると、自分の子どものように思えて、もっと手をかけたくなる。

 そうして出来た塩が有名店で使われ、知らぬ間に口コミで広まり、今では取材と納品依頼の連絡がひっきりなしだった。

「さっきの電話、かわいい声だったなあ」

 額の汗を拭いながら、私はビニールハウスを後にした。



 翌日は雲一つない快晴で、昼に向けてハウス内の気温がぐんぐん上昇していた。

 季節は秋でも熱中症が心配で、スポーツドリンクを買いに行こうとハウスから出ると、見知らぬ女性が向かってきた。


「あの、室井むろい美裕みゆさん、でしょうか?」

 声を聞いた瞬間にピンと来た。

 ――昨日の電話の人!


 彼女は物腰柔らかそうな雰囲気をまといながらも、瞳の奥は鋭い。きっと覚悟を持って自分の店を持とうとしているに違いない。

 私は無表情かつ無言で彼女に視線を投げた。それに動じた様子なく、彼女は言葉を続ける。


「昨日、お電話させていただいた、佐野スミレと申します。室井さんの塩を使わせていただきたいと――」

「一見さんとは取引しないんで」

 彼女の話にかぶせて言い切り、コンビニに向け歩き出す。


 塩職人の塩対応。


 これは師匠から受け継いだ職人技の一つだった。手に入りにくい状況を作り、希少性を高めて販売価格を上げる。さらに、変なやからを追い払うこともできるので一石二鳥だ。

 しかし、私のこの対応には、唯一の弱点がある。


「あ、あの! 待ってください!」


 彼女に腕を掴まれた、その瞬間――


 私の心は大きく跳ね上がる。両手で彼女の手を取り「生涯の専属契約をしましょう!」とプロポーズじみた発言をしたい衝動をぐっと抑えた。


 そう、私は女性にめっぽう弱いのだった……。


 塩としか会話をしない生活を続けているので、私に話しかけてくれる女性というだけで好きになってしまう。独り閉じこもりがちな職業によくある現象なのかもしれない、と自分を慰める。


「どうしても、室井さんの塩が必要なんです! 私の料理に合うのは室井さんのものだけで……だから、だからお願いします!」

「そう言われても」

「私には、室井さんが必要なんです!」


 ――え、私が必要!? あれ!? 塩じゃないの? ねえ、必要なのは塩じゃなくて私なの!?


 私は緩みそうになる頬に力を入れて、ポーカーフェイスを必死に保つ。


「そんなに、ですか」

「はい! 欠かせない存在です」


 ――もうこれ私への告白って解釈でいい!? 佐野スミレさん!


 そう彼女に詰め寄りたい気持ちを落ち着かせるため、咳払いを一つ挟んで偏屈職人の仮面をかぶる。


「でも、どんな料理を作る人かも分からない人に、うちの可愛い塩は譲れませんよ」

「作ります! 絶対に受け入れてもらえる自信があります」


「私は食べるとは言っていませんけど?」

「それでも構いません。また、来ます」


「どうぞお好きに」

 そう無表情で冷たく言い放ち、私は軽く数歩ステップを踏んで、彼女の前から立ち去った。

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一瞬の百合~短編集~ 鐘絵くま @Kuma-KaneE

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