ポーカーフェイスを保たせて!
ビニールハウス内の、むわっとした空気。天井から降り注ぐ熱量の高い日差し。
ずらっと並んだ木箱を一つずつ観察していく。木箱の大きさはB2ポスターくらいで、深さは約10センチ。作業しやすいように腰の高さに置いてある。
私は
額に汗が浮いてきたところで朝の撹拌作業が終わった。次の作業まで
「はい、室井製塩所です」
「いつもお世話になっております。私、東京で和食料理店を開業予定の佐野スミレと申します。この度そちらの塩を――」
「ああ、それなら
一方的に通話終了ボタンを押し、ため息をひとつ。今日の営業電話はこれで7件目。
地元の高校を卒業し、地域
それでも続けているのは、塩が可愛くて仕方ないからだ。毎日、塩の様子を観て語りかけていると、自分の子どものように思えて、もっと手をかけたくなる。
そうして出来た塩が有名店で使われ、知らぬ間に口コミで広まり、今では取材と納品依頼の連絡がひっきりなしだった。
「さっきの電話、かわいい声だったなあ」
額の汗を拭いながら、私はビニールハウスを後にした。
翌日は雲一つない快晴で、昼に向けてハウス内の気温がぐんぐん上昇していた。
季節は秋でも熱中症が心配で、スポーツドリンクを買いに行こうとハウスから出ると、見知らぬ女性が向かってきた。
「あの、
声を聞いた瞬間にピンと来た。
――昨日の電話の人!
彼女は物腰柔らかそうな雰囲気を
私は無表情かつ無言で彼女に視線を投げた。それに動じた様子なく、彼女は言葉を続ける。
「昨日、お電話させていただいた、佐野スミレと申します。室井さんの塩を使わせていただきたいと――」
「一見さんとは取引しないんで」
彼女の話にかぶせて言い切り、コンビニに向け歩き出す。
塩職人の塩対応。
これは師匠から受け継いだ職人技の一つだった。手に入りにくい状況を作り、希少性を高めて販売価格を上げる。さらに、変な
しかし、私のこの対応には、唯一の弱点がある。
「あ、あの! 待ってください!」
彼女に腕を掴まれた、その瞬間――
私の心は大きく跳ね上がる。両手で彼女の手を取り「生涯の専属契約をしましょう!」とプロポーズじみた発言をしたい衝動をぐっと抑えた。
そう、私は女性にめっぽう弱いのだった……。
塩としか会話をしない生活を続けているので、私に話しかけてくれる女性というだけで好きになってしまう。独り閉じ
「どうしても、室井さんの塩が必要なんです! 私の料理に合うのは室井さんのものだけで……だから、だからお願いします!」
「そう言われても」
「私には、室井さんが必要なんです!」
――え、私が必要!? あれ!? 塩じゃないの? ねえ、必要なのは塩じゃなくて私なの!?
私は緩みそうになる頬に力を入れて、ポーカーフェイスを必死に保つ。
「そんなに、ですか」
「はい! 欠かせない存在です」
――もうこれ私への告白って解釈でいい!? 佐野スミレさん!
そう彼女に詰め寄りたい気持ちを落ち着かせるため、咳払いを一つ挟んで偏屈職人の仮面をかぶる。
「でも、どんな料理を作る人かも分からない人に、うちの可愛い塩は譲れませんよ」
「作ります! 絶対に受け入れてもらえる自信があります」
「私は食べるとは言っていませんけど?」
「それでも構いません。また、来ます」
「どうぞお好きに」
そう無表情で冷たく言い放ち、私は軽く数歩ステップを踏んで、彼女の前から立ち去った。
一瞬の百合~短編集~ 鐘絵くま @Kuma-KaneE
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