伊梨弥お嬢様の復讐譚(後編)

「麻依、いつも悪いな」

「そ、そんな、私が来たいから来てるだけだし。それに、本当は嬉しいんでしょ、海?」

「ああ。ありがとう。ここだったら、誰にも邪魔されたりしないしな」


 屋上の一件の後、海は腕の怪我の為、入退院を繰り返していた。海が入院している間、麻依は毎日欠かさず見舞いに来、二人はお互いの関係を深めていっていた。


「あと三日で完治するってさ」

「良かったー!一緒にどこか行きたいなー」

「ああ、その時は、初デートってことになるのか?」

「も、もう!海ったらー!」


 二人きりの病室の中。幸せな時間が過ぎていった。


     ○


「お、海!やっと退院できたのか、おめでとう」

「あ、光輝じゃん!久しぶり!」


 退院した海は久々に登校し、友との再会を喜んでいた。


「海ー!入院中寂しくなかったかー!」

「ああ、まあな」


 麻依がいてくれたことを話しそうになったが、先ほどからなんか鋭い視線が刺さってくるような気がし、やめた。


「あ、海ー!おはよ」

「おはよう、麻依」


 教室に入ってきた麻依と挨拶を交わす。


「ん?お前ら、なんか前より仲良くね?」


 光輝が言ってきたが、とりあえずスルーしておく。同時にグッサリ一方向から刺さる視線を感じないふりもしておく。

 こんな日々が続いていけばいいな。このとき海はそう思っていたのであった。


     ○


『ここだったら誰にも邪魔されないからな』

「何が『邪魔されない』よ。ふふっ、あの代田さんおばかさんったら、全然ばれてないと思って。病室にちゃーんと盗聴器仕込んでおいてたんだから…」


 喫茶店の一席。音声を再生させながら不敵に笑っているのは、やはり伊梨弥だった。


「さて、遥香。彼らへの仕打ちはどうしようかしら」

「……」

「あなた、何か言いなさいよ。最近黙ってばかりじゃない?」

「失礼しました。わたくしの意見では、これまで、失敗に終わってばかり。それでは、わたくしには発言権は無いも同然かと考えておりましたが、いかがでしょう」

「……。確かにそうだったわね」


 今日の伊梨弥は何故か、いつになくとても落ち着いた様子だった。

 何か吹っ切れていたためだけなのだが、いつもと違う様子の伊梨弥が遥香には少し怖かったのである。


「今となっては、代田さんも私を裏切ったも同然。そうよね?」

「はい」

「そうすると、選択肢はただ一つよね?」

「まさかっ!」

「いや、まさかも何も、始末してあげるしか無いじゃない。彼はこの私に歯向かったんだから」

「し、しかし…!」

「あなた分かってる?要するに、私は彼が嫌なの。もう、彼を見ることすら、堪えられないの」

「しかし、そのようなことをしては、お嬢様御自身の将来が危うくなりかねません。そのようなことを、親御様がお認めになられるとは……」

「なによ!!!お父様はお父様よ!私には関係のないことよ。第一、お父様にばれないように使用人を使うことだって、私にもできるんだから!わかった?」

「……かしこまりました……」

「それにさっき、あなた自分で言ったわよね?自分には発言権が無いって」


 もう口を噤むしかない。

 遥香には、もう伊梨弥のを止めることはできない。


     ○


「そろそろ学校もおわるなー」


 学校の帰り道、海が呟く。退院からも更に数週間が経ち、夏休みも間近となっていた。


「そうだねー。海はなんか休み中予定ある?」


 ヒョイっと後ろから追いついた麻依が話しかける。


「んー、時間があったらどこか行きたいけど、俺は受験があるからなー」

「そっかー……」

「そんな明からさまにしょんぼりするなよ。ある程度暇作るから、そこで一緒に何かしようよ」

「うん!」

「切り替え速…」


 静かな住宅街を歩いていく。すぐそこの小道で、麻依とはお別れだ。


「そんじゃね!」

「うん、また明日!」


 お互いに手を振り、麻依がこちらに背を向けた。


「ん?おい、鞄に何か付いてるぞ」


 麻依の鞄の底に、微かに赤く光る物を見つけた。


「これは……」

「あーら、もうバレちゃった?」


 後ろからの声に振り向く。


「まあ、やっと気付いた、とも言うべきかしらね。あ、それにあんたのにも付いてるからね?」

「草井、貴様……」


 盗聴器を仕掛けていたのはずっと前かららしい。


「あら、私に対して『貴様』なんて言うなんて、いい度胸してるわねえ」


 そう言って伊梨弥は左手を挙げて合図する。どこかから、背広姿の男達が七、八人現れ、気づいた頃にはもう取り囲まれていた。


「捕らえておしまいなさい!」

「くっ…!」


 背広の男に抵抗しようとするも、相手はプロのヤクザ。成す術も無く、海と麻依はさっさと意識を持っていかれてしまった。


     ○


「…ん?……!イテッ!」


 襟首に残る痛みに顔をしかめながら、海は目を覚ました。


「はっ!麻依は!?」

「すぐ隣にいるじゃな〜い」


 伊梨弥の意地の悪い声が響く。右を向くと、そこには手足を縛られて床に転がされた麻依がいた。


「麻依!」


 咄嗟に動こうとするも、自分も同じように縛られている為に、動くことが出来なかった。足も鎖で柱に繋がれているらしい。


「草井!!!なんなんだよ、これは!!!」

「え、わからないの?まあ、鈍感代田さんにはしょうがないかしらね」

「?」

「遥香、鈍感な子にも分かるように説明してやって」

「はい、お嬢様」


 なぜかここで遥香が登場し、話し始めた。


「つまりは、伊梨弥お嬢様は貴方に恋をしていたのです。それを貴方は、鈍感故に気付くこと無くそのとの交際を深めていた」


 淡々としつつ、少し上ずった声で語る遥香に違和感を感じながら口を開く。


「草井が俺に気があるってのは、まあこの前腕折った時の話で分かってはいたが…」

「ではなぜ貴方は?」

「そ、そんな事俺の勝手だろうが!俺は麻依を選んだ。唯それだけだ!」

「はぁ、話にならないわね。そこまで頑なになるとは、お嬢様、いかがされます?」

「そうねぇ。貴方、そんなにもそのが大切なら、こうしてはどうかしら?遥香、レベル2から始めてちょうだい」

「はい、かしこまりました」


 返事をした遥香の目には、正気が宿っていなかった。


     ○


「桜庭、やめろ!!!!!」


 海が叫ぶが、遥香にはその声は聞こえていなかった。


「…フフッ……お嬢様にこのような仕打ちをした者…、断じて許さない…。貴方達が悪いのよ…。そう、貴方達が…」


 正気を失った目のままバットを引きずり、遥香は麻依に向かってフラフラと歩み寄る。


「さ、桜庭…!」

「そんなの無駄よぉ!ちょっとおクスリが強かったかしら?」


 薬物を盛られた遥香には、何を言っても無駄であった。


「…ハァァァ!!!」


 遥香がバットを振り下ろす。


「…ぅぐっ!!」

「叩いたら起きたわね、お寝坊さん!さあ、もっとブン殴って差し上げなさぁい!!!」


     ○


 あれからどれだけの時間が経ったであろう。麻依は幾度となく殴られ続け、息も絶え絶えになっていた。


「遥香、もういいわよ。そろそろ飽きてきたわ。あともういるんだから」

「はぁ…はぁ…、分かりました、お嬢様」

「いい子だこと。さ、そろそろ切れてきた?もう一錠飲んでおきなさい」

「はぁ…はぁ…」


 殴り続けたせいか、それとも禁断症状のせいか。

 息を切らした遥香はバットから手を離し、フラフラと伊梨弥の方へ歩いていく。


「飲んだわね。そしたら、はい、これ」


 伊梨弥は薬の摂取を終えた遥香に、一丁の日本刀を渡した。


「…殺すのか?」


 海は恐る恐る尋ねる。


「ええ。ちゃんと心臓を避けるのよ。楽にさせちゃダメなんだから」


「フフッ……ァハハッ…!く、苦しんで、死になさい!!!」


 遥香は麻依を蹴ってうつ伏せにし、背中の左右に刀を突き立てた。


「ぁぁ!!!〜〜!〜〜〜!!!!!」

「麻依!!!」

「どうかしら?息ができない感想は」


 肺を貫かれた麻依は呼吸ができない。

 苦しむ麻依を、海はただ見ていることしかできなかった。


「麻依……麻依ーーー!!!!!!!」


     ○


 しばらくして、麻依は動かなくなった。遥香の手から刀が滑り落ち、遥香当人も不気味な笑みを浮かべたままその場にへたり込んでしまった。


「さて、諦めはついたかしら、代田さん?」


 海はただ黙っていた。麻依が殺されてしまった。自分は何もできなかった。ただ哀しく、茫然としていた。


「返事くらいしなさいよ。最後通牒よ。私の男になるって約束しなさい!命は助けてあげるわ」


 海からは返事がない。


「チッ、まだ諦めてないのね。拘束は解いてあげようかしら。どうせここからは逃げられないんだし、私に何かしようものならたちが黙っていないわけだし。遥香、は無理ね。ちょっと、誰でもいいから解いてやって」


 柱の陰から背広の男が出てきて、海の拘束を解く。


「……麻依……」


 自由になった海は力なく呟いて、麻依の方へ歩いていく。麻依の亡骸の側に座り込み、そのまま抱き寄せる。


「麻依…ごめんな…。俺は何もできなかった…。ごめんな……」


 麻依を上向きにし、しきりに頭を撫でる。


「…!…麻依!」


 突然海はその場でハッと顔を上げた。


「…待ってろよ」


 呟くとバッと遥香に向って飛び出した。


「!!」


 ズガンッ!!!


 駆けだした海に背広の一人が発砲するが、弾は当たらなかった。


 カチャッ


 遥香の傍らに落ちている日本刀を手に取り、麻依の元へと戻る。


 ズガンッ!!!


 背広がもう一人姿を現し、発砲する。銃弾は海の脚に当たった。


「クッ…!」


 海は顔をしかめながらも、麻依の隣に膝立ちでしゃがみ込む。


「今行くからな…」


 ザシュッ!!!


 鮮血が飛び散る。


「ちょ…ちょっと……し、代田さん?」


 目を見開き、その場で固まる伊梨弥。


「…麻依…」


 海は麻依に覆い被さるように倒れた。

 血溜まりに二人の血が混ざっていく。輝きを失った二人の瞳は互いに向き合い、暗く変色した唇は重なり合っていた。


「ちょ、ちょっと、あんた達、代田さんを、ね?何モタモタして…」

「お嬢様」


 背広の一人が口を開く。


「頸動脈を切っています。間に合いませんません。もう一方を殺めてしまった以上、隠蔽が先であります」

「ぇ……そ、そんな……ぃ…いやあああああああぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!」


 草井邸の地下空間に、伊梨弥の悲鳴が木霊した。


     ○


「そ、そんな……」


 俺は言葉を失った。


「はい、渡良瀬さん。俄かには信じられないでしょうが、三十年前にお嬢様が二人を連れ去り、死なせたのは事実です」


 親友の代田と、同じくクラスメイトの磯田、草井が突然姿を消してから、ちょうど三十年が経った。俺は地元の町工場で働きながら、消息を絶った親友の捜索を独自で行っていのだ。

 そんな時、先程彼らが居なくなった時から不登校になった桜庭と鉢合わせ、何か知らないか尋ねてみたところ、彼女は衝撃の事実を話し始めたのだった。


     ○


 近所の喫茶店に入り、桜庭から事件の一部始終を聞いた。


「これが三十年前の事の真相です。その後お嬢様は哀しさのあまり発狂し、記憶を失い、人格も変わってしまいました。更に、自らの利益の為に人を殺めさせたことを親方様はお許しにならず、お嬢様は破門されてしまいました」

「桜庭さん、あなたの方は?」

「私は、親方様がご自身に責任があると仰り、系列の病院にて薬物依存の治療をさせていただきました。また、行き場を失ったお嬢様を妹として迎え入れ、共に生活しています」

「草井を?」

「はい。何だかんだ言ってもお世話になった身ですし」

「そうですか。こちらもこれ以上詮索はしません。時効も過ぎていますし、親友の最期のことも知ることができたので」


 俺としても思うところはある。しかし、ここでどうこう動いても仕方がない、そう思ったのだ。


 その時だった。


「あ、いたいた!お姉ちゃーん!」


「!?」


「ちょっと、マミ!」


 どこかで見覚えのある女性が現れた。いや、彼女は、間違いない。


「あれ、そちらはどなた?」


「えっと…お姉ちゃんの昔のお友達」


「へぇ。あ、はじめまして!遥香の妹の、桜庭さくらばマミです!」


 間違いない。彼女はあの、草井伊梨弥だ。


「ああ、遥香さんの友達の、渡良瀬光輝だ。よろしく…」


 桜庭に目配せをする。すると、彼女は静かに頷いた。


「あの、折角なので連絡先交換しませんか?」


 草井が愛想よく話しかけてくる。記憶が無くなったというのは本当らしい。

 QRコードを交換し、相手から一通のメッセージが届いた。


 “桜庭麻海です。よろしくお願いします!”


「『』に『』って書くのか」

「はい!」


 きっと桜庭が名付けたのだろう。麻依と海が思い出される。昔の悲劇は、今も彼女の名前として残っている。


「今日はありがとうございました。また今度お茶しましょう」

「はい、きっと!」


 喫茶店のドアベルがもの悲しく鳴った。




                 完





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伊梨弥お嬢様の復讐譚 柒谷 寿 @akiwo-kotobuki4769

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