伊梨弥お嬢様の復讐譚(中編)
「ここか」
呼ばれた通りに、海は近所の喫茶店に来た。例の手紙は無視しようかとも思ったが、後が怖かったため来た。勿論、手短に済ますつもりである。
「代田さん、こんにちは。この度は、勝手ながらお越し頂き、ありがとうございます」
遥香が折り目正しく海を迎える。
「あら、代田さん。お掛けになって、何か飲み物でも頼みましょうじゃないの」
「草井さん、失礼しますが、すぐ用事があるので。話があるんですよね?できれば手短にお願いしたいのですが」
「あら、そうでしたか。では、ここは単刀直入に。磯田さんの事、どう思っているかしら?」
やっぱりか、と思った。
「どうも何も、普通に一人のクラスメイトとして接していて、それ以上でもそれ以下でもありませんが」
「そう。なら、今後あまり彼女とは関わって欲しくないのですが」
「何故ですか?」
間髪入れずに訊き返す。
「何故って…。勘違いしないで欲しいのだけれど、これは貴方のことを思って言っているのよ。彼女、少し貴方に頼り過ぎだと思うの」
「頼られるのは別に嫌いではありませんが」
「でも、私の経験からして、やっぱり学級委員長として一人で仕事をこなし、学級の問題を解決していくのが筋であり、本人の成長に繋がると思っているの」
「つまり、僕の手助けは、彼女の成長を妨げていると」
「そう!やっぱり代田さん、物分かりが速くて助かるわ」
「お言葉ですが、草井さん、僕はその意見には反対です。クラス内で協力することで、学級経営は成り立つ。僕はそう信じています。それに加えて、最近の学級の問題、磯田さんにばかり降りかかる災難は、彼女だけの問題だとお思いなのですか?」
「あら、そんな事がありますの?それは大変ね」
しらばっくれる草井。話にならない。海はそう思った。
「用件は以上ですね?お先に失礼します」
「あら、もう帰ってしまうの?あ、用事がお有りなのでしたね。でも、お人好しも程々にしておいた方が、貴方の為よ」
「肝に銘じておきます。それでは、さようなら」
○
「手応えがありませんね…」
海が去った後、遠慮気味に遥香が口を開く。
「……」
「お嬢様?」
「代田さん……代田さーん!!!どうして、どうして貴方は分かってくれないの!!!」
絶叫する伊梨弥。
「……」
遥香は静かに伊梨弥を見守る。下手に刺激してはいけないと思った。海が伊梨弥の想いを分からないのも、自然な事である。恐らく、彼にとって伊梨弥は、只の嫌な奴でしかないだろう。
遥香には薄々分かっていた。しかし、今それを言ってはいけない。
「遥香、磯田に直接仕掛けるわよ」
最悪手だ。
遥香は思ったが、今の自分にはそれを否定することは許されない。今まで遥香の策は尽く失敗に終わっている。そんな遥香には、黙って伊梨弥に従うしか無かった。
「かしこまりました、お嬢様……」
「作戦はこうよ……」
麻依との勝負への作戦会議が始まった。
○
草井伊梨弥。やっぱり彼女とは、関わらない方が良い。
前日の喫茶店での出来事を通して、海はそう確信していた。
「磯田さん、おはよ」
「あ、代田さん、おはよう!」
例えお人好しと言われようが、これでいい。俺はこうあるべきなんだ。
周囲からの視線が冷たくたって、俺は誰にでも平等である。このスタンスは、絶対に譲らない。
○
「代田さん、ちょっといい?」
午後、麻依に呼び止められる。
「ああ、いいけど」
「あの、これなんだけど…」
彼女が手に持っていたのは、見覚えのある封筒。間違いない。伊梨弥からのものだろう。
「誰からだ?」
念のため決め付けずに聞いてみる。
「分からない。でも、中にこうあって…」
そう言って、麻依が手紙を開く。
─────────────────────────────
磯田麻依へ
今日の放課後、以下に示す場所に来なさい。
もし来なかったら……
分かっていますよね?
兎に角、必ず来なさい。
─────────────────────────────
活字で書いてあり、署名こそ無いが、文体と言い海が受け取った物とそっくりである。
「草井だな。間違い無い。俺も先日、似た物を受け取った」
「草井さんから!?」
「ああ。『磯田さんと関わらないように』と忠告された」
「!?」
「もちろん従う気は無いがな」
「私、行かない方が絶対いいよね…?」
「うーん、行ったら確実になんかされる。でも、行かなかったら絶対後でなんかされるな…」
どうしたら麻依を守れるか。
海は必死に考える。
「大丈夫だ、行ってこい。俺も同行するが。それでなんかあったら、俺が必ず磯田さんを守る」
「!?」
麻依の顔が一気に火照る。
「で、でも…」
「大丈夫だ。俺がなんとかする」
麻依には海がいつもに増して頼もしく見えた。
○
指定された場所は、校舎の屋上だった。海も屋上出口の手前まで麻依に先んじて行く。不安な面持ちの麻依だが、海の背中に心強さを感じていた。
「俺はここにいる。大丈夫だ、なんかあったらすぐ行く」
「うん、行ってくるね」
大丈夫だ。麻依が屋上へ出て行った。
「あら、磯田さん。本当に来たのね」
伊梨弥の声が聞こえてきた。
「ええ。ところで、何のご用事でしょうか、草井さん?」
「単刀直入に聞くわ。貴女、代田さんとどういったご関係?」
「どういった、って…」
「貴女、いつも彼と一緒にいるわよね?」
「え、それは彼から来るだけで…」
「いつも助けてもらってばかりねぇ。少しは悔しくないのかしら?」
(何を言っているんだ、草井は?)
陰で聞きながら、海は訝った。
「悔しい?何でそんな事を思うんですか?彼にはいつも感謝していますけど、それ以外にって…」
「貴女、彼の事、そんな風に使っていて楽しい?」
「使っている?」
「ええ。だってそうじゃない。いつも弱々しくしていて。そこまでして彼に構ってもらいたいのかしら?」
「貴女、何が言いたいんですか?」
「もう!何度言ったら分かるのよ!兎に角、彼、代田さんを私から取らないで!」
「「はぁ!?」」
海も思わず声を出してしまい、ハッとするが、幸いなことに気付かれていないようだ。
「そう、そうやって貴女は私から、地位も彼も奪って…」
「な、何でそうなるんですか!?特に、代田さんについては、そういうんじゃなくて、ただ頼もしい人って言うか……兎に角、向こうから来るだけですよ!!!」
(嘘だろ!?)
海は混乱した。
○
(嘘だろ!?草井が俺の事気にしてるって、しかも今の反応って、磯田さんも……)
鈍感な海にも流石に分かった。伊梨弥と麻依、この二人に自分は好かれている。海の顔はすっかり真っ赤になった。
「そ、そんな事、貴女には関係無いじゃないの!」
「ああ、もういいわ!遥香、ヤっておしまいなさい!」
「かしこまりました、お嬢様」
返事をして遥香は、ふうっ、と一度息を吐いた。
「ちょ、何、それ?」
「分からない?私には貴女が邪魔なの。消えなさい!」
「え、いやぁ!!!」
麻依の悲鳴が響く。マズイと思った海は、屋上へ出て行った。そこには、麻依に金属バットを振り上げた遥香がいた。
(間に合え…!)
海は思いっ切り走った。
ゴンッ!
鈍い音が屋上に響く。
「代田…さん?」
声を出したのは、麻依だった。振り降ろされたバットは、海の左腕で止められていた。
「間に…合った…な…」
痛みに耐えながら、海が声を出す。
「「な…!」」
伊梨弥と遥香は、突然現れた海に目を白黒させている。
「お前ら…、こんな事して…何になるっていうんだよ!!!」
海は声を荒げる。
「そ、そんな…」
「お嬢様、撤収しますよ!」
遥香は呆然としている伊梨弥の腕を引いて、そそくさと逃げていった。
「っ!」
「代田さん!!!」
海は左腕を抑えて、その場に屈み込んでしまった。半袖から伸びた左腕は、赤紫色に腫れ上がっていた。
「大丈夫だ、麻依が無事なら、これくらい安いもんだ」
懸命に笑顔を作る海。
「代田さん、ごめんなさい!」
「何でお前が謝る」
「だって、私のせいで…」
「違うだろ!」
とっさに海は怒鳴った。
「麻依は何も悪くない!麻依が殴られかけたのも、俺が殴られて怪我をしたのも、全部草井のせいだろ、違うか?」
「……」
「全部自分のせいにしてしまうのも、分からなくもない。麻依は優しいからな」
「!?」
「全部背負い込もうとするのは、お前らしいな。でも、もう大丈夫だ」
お前には俺がいる。
屋上に佇む二人を、夕日が優しく照らしていた。
○
「「……」」
喫茶店の一席に重苦しい雰囲気が漂う。今回の失敗は、今までとは異なる、深刻なものだ。決して、二人のどちらかがヘマをしたのではない。
海による意図的な妨害が入った。
彼との遭遇は決して偶然ではない事が明らかである。即ちそれは、麻依が事前に彼を呼んでいた事を意味する。加えて、屋上での一件を、海は全て聞いていた筈である。
加害者の伊梨弥と、被害者の麻依。そのどちらを海が取るかは、彼の性格からしても火を見るより明らかである。
故に。
伊梨弥が海に近付く事は、ほぼ不可能となってしまった。
「ふふっ、ふふふっ……」
不敵に笑い出したのは、伊梨弥だった。
「お嬢様…?」
「あー、もうさ、何だろうね。磯田には全部取られちゃったし、代田さんもあんな感じだし、もう私、どうしたらいいんだろうね、遥香」
「……」
開き直っている伊梨弥に、遥香は口を閉ざす。
「兎に角、あの二人。私にこんな目合わせるなんて」
ぜ っ た い 許 さ な い ん だ か ら 。
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