2.のちのち気づく恥ずかしいこと

みなさん、読書は好きですか?

これにはもちろんYesと答える人が大半でしょう。


では、中学生や高校生のとき、周りに同じく読書家の友達はいましたか?


これはわたしの周りに読書を好む友達がいなかったことによって起きてしまった悲劇的なエピソードである。


……おおげさに、それっぽく。



わたしが通っていた学校の図書館は文学全集のコーナーが隅に追いやられていた。

図書館の隅っこというのは別に本を読まなくても、14歳という多感な時期、休み時間中一人になりたいときなどにうってつけの場所だ。

ただでさえ活字離れが進行し敬遠される文学コーナー、誰も近づく者はいない。要するにわたしのお気に入りの場所だったのだ。


弁明しておくと夏目漱石全集の4巻だったかな……こゝろは何度も読み返したし、銀河鉄道の夜はきちんと読みましたよ。借りたけど本が重すぎて集中できずはしがきだけ読んで物語にたどり着けなかった泉鏡花全集なんかもあるけれども……

とにかく文学を避暑地にせず嗜んでいたのです!嗜む程度に!


話に戻りましょうか。


そんなこんなで静かな一角を独り占めするようになり、わたしがいつも寄りかかっていた壁隣にある本棚の中に一際目立つ本が鎮座していた。


『風の歌を聴け』、『1970年代のピンボール 』、『羊をめぐる冒険』、『ダンス・ダンス・ダンス』


明治から昭和初期の作家がずらりと並ぶ中、本のタイトル名で、しかも1970とはかなり最近のものじゃないかと驚いた。


村上春樹。よく知らないけれどそういえばニュースで彼の作品の名前を聞いたことがあるような。これについては一冊本を読み終えて著者の名前をネットで調べたときに思い至ったことである。


わたしが初めて村上春樹の作品を手にしたのは『風の歌を聴け』だ。全集だから批評?みたいなものが作品の前に付けられていて、そこでは散々当時この作品が批判されたことが述べられていた。

(人が本を読む前にマイナスイメージを植え付けるようなものを載せるのはどうなのだろうか)


「小説ではない」

中でも際立っていて疑問のある批判がこれだ。


果たして小説ではないとはどういう意味だろうか。これもかなり前に読んだ文章についてのエッセー集みたいなものに小説とはなにかというテーマについて書かれたものを読んだことがある。

あるお偉い先生によると小説とは現実主義に則って書かれたものを指すのだと。


『風の歌を聴け』に登場するねずみという人は物語を書いたりする。ねずみの書く物語の特徴的なところは性的なシーンが描かれないことだ。確かこんなことを主人公のぼくは言っていた。


現実的なことを書くということは性的シーンも描写することが小説である大前提らしいけれど……

わたしにはむつかしくてよくわかりません。


まあ小説であるかどうか、というのは一旦置いておいて、ここで重要なのはそんな健全な小説を書くねずみが登場する健全な小説をわたしは読んだということだ。


『風の歌を聴け』以外にも『1970年代のピンボール』『東京奇譚集』も読んだがそのどれもが健全な内容だった。


そしてこれらを読んだのは13〜14歳のときで、大学生になるまで村上春樹の作品には触れてこなかったから、彼の作品は健全という印象がわたしの中にはあった。


では今でも変わらず村上春樹の作品に対するイメージは変わらないのか、と問われるとわたしははっきり肯定することができない。


大学生になって後期を迎えた秋、わたしは久しぶりに彼の作品を読もうと思い『ノルウェイの森』を図書館で借りた。


周りとうまく馴染めない主人公の少年。彼が唯一仲の良かった、誰からも慕われる少年が高校生のときに亡くなってしまう。

それからというもの人生の何にも可にも輝きを見出せず退廃的になあなあと大学生活を送る主人公。


ここまでは普通の内容だろう。


しかし、「みどり」という少女が登場して来たことで雲行きが怪しくなってくる……


わたしはこの時点で耐えられなくなって読むのをやめてしまったので続きを知らない。わたしと年の近い大学生の主人公があまりにも情けなくて説教をしたくなってしまったのだ。よくない。よくない。

傲慢な気持ちを鎮めるために読むのをやめた。



これは高校3年生のとき。通っていた塾の先生が文学に精通しているそうだったので昔の人はどのようにして豊富な語彙力を身に付けていたのだろう。辞書というものはいつから編纂されたのだろうかという疑問を尋ねたとき、何故か村上春樹の話になった。

理由はよく分からないが先生は村上春樹を毛嫌いしていた。わたしはそのとき村上春樹が好きだと言わなくてよかったと安堵していたがあの嫌われようは異常だったなと、『ノルウェイの森』を読んだときにふと思い出したのだ。


はたまた遡って中学2年の時の話である。

学年集会では毎回教員の一人がスピーチするのだけれどそのときはわたしのクラスの担任が担当の回だった。


先生は休日に村上春樹の小説を読んだと仰った。この先生は理科の先生で、とても厳しくて怒ると怖いことから魔王と恐れられ慕われていたが、私の中で本を読むイメージはなかったので意外だった。


ホームルームが始まる前、わたしは職員室に行く用事があり、そこでたまたま担任とすれ違ったので、


「先生は村上春樹のどの作品を読まれたんですか?」


と尋ねた。


そう。これがあとあとよく考えてみたら恥ずかしいこと、なのだ。


はじめの方に、みなさんの周りには読書家の友達はいらっしゃいましたか?わたしには同志の友達はいなかったと述べましたね。


小説について語れる友達がいなかったわたしは怖い先生でもなんでもいいから小説の話がしたかった。だからあんな質問をしてしまったのです。村上春樹という作家の作品が世間一般的にどのようなイメージを持っていなかったのか知らなかった、無知ゆえに起こった悲劇……


どうしてあのとき担任の先生が困ったように話を逸らそうとしたのか、単なる個人の好みでしょうが塾の先生が毛嫌いしていた理由が大学生になってやっとわかったのです。


あぁ。なんてことをしてしまったんだろう。あれは一種のセクシュアルハラスメントってやつになるんじゃないだろうか。と、日々怯えています。


……まったく。生きるって難儀なものですね。





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