福を招く悪戯
ペタ……ペタ……ペタ……
単調で、どこか恐ろしい音がだんだん近付いて来る。心做しか少し肌寒いのも助長してかなり怖い。
少しずつ、覚醒してきた。
見慣れない木の天井。柔らかい布団の感触。差し込む月明かり。
そうだ。僕は時残神社で燈狐のメッセージを聞いたあと、突然開け放たれた格子戸の向こうになぜかいた、幼馴染みの
ペタ…………ペタ…………
少しテンポが遅くなった気がするが、音は確実に近付いてきている。妖か?
布団から出て膝立ちになり、いつも内ポケットに忍ばせている紙人形を投げてみる。でも、すぐに青い炎に包まれてしまった。間違いない。この旅館には妖がいる。しかも、かなり強い妖が。
ペタ……………………
音が止まった。妖はどこだろう。攻撃を準備している? それとも去った?
ビリビリッ……カタン……スーッ……スーッ……
何かを書いているのだろうか。分からない。でも、読み書きができる妖はなかなか居ない。人間と関係があったか、人間の書物を読み漁った妖ということだろう。
タッタッタッタッ
上だ。上から走る音がする。音の行先には階段がある。下に降りてくるのだろうか。
だんだん音が、僕のいる部屋に近付いてくる。そして丁度部屋の前で止まった。月明かりを遮っている障子には、何の影もない。おかしいな。妖とはいえ、影はあるはずなのに。
スゥーっと、障子の隙間から紙が投げ込まれた。ノートの一ページを破りとったらしい。若干の怖さを紛らわすために内容を音読してみる。
「キミワタシミエル」
片仮名で殴り書かれた文字は非常に読みにくい。でも、簡単な文章だったので、なんとか読めた。読めたが、内容が分かる訳ではない。
「君、私、見える。かな? 今のところは見えないね。もう部屋の中にいるのかな」
目の前の空に呟いてみると、紙に線が書かれた。だんだんと文字になっていく。
「キミトウヤワタシサチトモダチ」
君柊夜、私サチ、友達。だろうか。
「サチ……? 思い出せないな……姿を見せてくれないか?」
顔を見ればわかると思うのだが、どうにも記憶が薄い。寝起きなのも相まっているだろう。
でも、またノートに文字が書かれた。
「ワタシキミマエイル」
私、君、前、居る。
目の前の空に目を凝らしてみるが、何も視えない。
「視えないな……僕に問題があるのか……?」
うーんと唸っていると、足音が去っていった。もしかすると、人違いだったのかもしれない。
「寝よう」
時間を見れば、まだ二時。日が昇るどころか、月が下がり始めたくらいだ。
パタンと布団に倒れ、目を瞑る。まぁ眠れるわけがないのだけど。
サチとの記憶。それが全く思い出せない。
答えがあるはずの、でも見つからないそれを、延々と探し続ける。
サチ。君は誰で、僕に何を伝えようとしたんだ?
ちゅんちゅん……
気付いた時には、そんな雀の声で起きるという、絵に描いたような朝になっていた。結局眠ったらしい。もちろん答えは見つけられずに。
「御村くん起きてる?」
萌結の声だ。
「今起きたとこだよ。どうかした?」
「いや、何となく話したいなって思ったから来ただけ。もしかして、迷惑だった?」
そんなにのんびりしていられるのだろうか。萌結は看板娘として毎日走り回っているのに。
まぁ、今日は休みなのかもしれないな。萌結のことだから、仕事をすっぽかすなんて事はしないだろうし。
「いやいやそんな事ないよ。入っておいで?」
流石に立ち話は僕の気が引ける。幸い、この部屋には一人がけソファがいくつかある。改めて見回してみると、なかなか豪華な部屋だ。他の部屋もこうなのだろうか。
「いや、大丈夫。このままで」
「そっか。じゃあこのままで」
襖を挟んで背中合わせになる。話したいから僕の元に来てくれたことは嬉しいし、久しぶりに会ったのだから話したいことは山ほどあった。それに、萌結は妖を信じている。視えないらしいが、唯一僕の話を真剣に聞いて、一緒に頭を捻ってくれた。今朝の話も話したかった。
でも、僕らの間には十秒にも満たないような、それなのにとても長い沈黙が流れてしまった。お互いが話すのを譲り合ってしまう、一番困る状況だ。
どうしようかと悩んでいた時、萌結が話し始めた。
「御村くんは憶えてるかな。私に服をくれたこと」
萌結に服をあげたことはある。誕生日に買った服だ。確か、白いパーカーだったかな。萌結の誕生日が十一月六日だから、暖かいものが良いのかなと考えたのだ。ちなみに、初めて人に誕生日プレゼントをあげたのは、その時だ。
「すごく嬉しかったの。私に色が付いたみたいで」
確かに喜んでくれていた気がする。あまり鮮明には思い出せないけれど、笑っていた。
「初めてだったんだ。私を見てくれる人も、一緒に遊んでくれる人も、もちろんプレゼントをくれる人も、君以外にはいなかったから」
そうだっただろうか。確かに萌結は少し人見知りだ。基本的に自分からは話に行かない。僕は話しかけられたけど。とはいえ、少なからず友人は居たように思ったが。
「とにかくね。私はずっと君を待っていたんだ。ありがとうって伝えたかったから。でも、いざ顔を見ようと思うと、少し恥ずかしくて。だから、このままお別れにしようよ」
「お別れ? どういう事だ?」
思わず立ち上がりながら尋ねた。全く意味がわからない。お別れ?
「ふふっ。じゃあそろそろ行くね。最後に一つだけ」
──大好きだったよ、柊夜──
その言葉が終わると同時に、襖を開け放った。強い風が吹き込んでくる。その中に、懐かしい匂いが混ざっていた。
「
昔から変わらない、夜風のように澄んだ匂い。僕やみんなは、その匂いが好きだった。変に飾らない、それでいて何よりも綺麗な匂いだからだ。
声もなく、姿もない透姫。普段着ているという花柄の浴衣は視ることが出来ない。別のものをみにつけている時は、それが浮いて視える。出逢ったときは、落ち葉を頭に乗せていたっけ。落ち葉がふわふわ浮いていたのだから、本当に驚いたのを憶えている。
だから、白い生地に色とりどりの花が散りばめられた着物と、赤い袴のようなロングスカートをあげた。頭の上に乗っている葉っぱのおかげで、何となくのサイズは分かっていた。なぜかは分からないけど、女の子だとも知っていた。
「透姫。君も行ってしまうのか?」
風の吹き抜けた先を見て呟く。その先にある手入れされた庭に輝く池の水面に広がる波間に漂う落ち葉を見つめているうちに、悲しさが込み上げてきた。
友情は、こんなにも突然に切れてなくなってしまう。人同士の馴れ合いはそうだと分かっていたが、まさか妖との関係も同じだとは思っていなかったな。
はらりはらりと涙が溢れる。でも、流れ出るままにしておく。この涙が止まった時、描き続けてきた透姫の本当の姿も、色々な遊びをした記憶も、儚く散ってしまうような気がしたから。
そんな時、一際強い風が吹いた。僕を慰めるかのように。でも、あの綺麗な匂いが混ざることはなかった。それでも微かに記憶に残っている透姫の見えなかった笑顔は、いつまでも輝き続けていた。その笑顔が言ったんだ。
「大丈夫だよ。私は君の中で笑えるから」
だんだん靄がかっていた透姫の顔に色が付く。そうじゃないか。僕は透姫の顔を見たことがあるじゃないか。だって
──透姫は僕の妹なんだから──
どうして忘れていられたのだろう。
もう二度と忘れないように、心に刻み込んだはずなのに。
あの日、いつものように遊んでいた僕は、妹を失った。
僕が失ってしまった物語 鈴響聖夜 @seiya-writer
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。僕が失ってしまった物語の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます