蝋燭の灯

 バスで幾つか山を越え、田園風景が広がる広大な土地に玄爺町はある。小さいながらに活気に溢れた町だ。

 バスを降りると、藁の焼ける匂いがした。収穫した藁を焼いて、肥料にしているんだろう。懐かしい香りと風景に包まれながら、町の入口のすぐ側にある山道に入っていく。この先にはみんなと遊んだ神社がある。そこに行けばみんなが居るのだろうと思うと、不思議と心が弾んだ。

 あの頃はとても長く感じた山道も、今となっては短いもので、それなりに舗装されているのもあって、思っていたよりも早く赤い鳥居が見えてきた。

 鳥居を抜けると、神社の全貌が見えた。少し朽ちてしまったのだろうか。若干色あせている気がする。まぁ四年が経てば物は朽ちてしまうか。

 そこで僕はやっと違和感に気が付いた。


「誰の気配もしない……?」


 僕を驚かすために息を潜めているのだろうか。それともみんな、ここには居ないのだろうか。とにかく、一番仲の良かったあいつの名前を呼んでみよう。


「おーい……おい……あれ?」


 おかしい。あいつの名前が分からない。みんなの名前も。多分忘れたわけじゃない。犬みたいな歯を見せびらかしてきたあいつの姿も、子供用の着物を着せてやったら飛び跳ねて喜んでいた輪郭の無いあいつも、僕らがはしゃいでいるのを保護者のように見守っていたあいつも、みんな思い出せるのに、肝心の名前が分からない。思い出すのを体が拒んでいるのか? それとも、誰かの術か? まぁ思い出せないのなら仕方がないか。

 僕は格子戸に手をかけた。あの頃はいつもこの中で追いかけっこをしたなぁ。少しだけ開いて中を覗いてみる。中にも誰も居ない。

 まぁ当たり前だ。この神社はあの頃にはもう妖が棲みつく呪われの場所と信じられていた。きっとその迷信が残っているのだろう。もしそうであるならば、町の人は余計に近付かないはずだ。

 靴を脱いで、一応二礼二拍手一礼をしてから中に踏み入る。

 この神社「時残神社ときのこしじんじゃ」には言い伝えがあったらしい。


 ──この神社はな、中と外で時間の流れが違うんだ。それが名前の由来なんだよ。ただそれはここが完全だった時の話だ。今じゃ朽ちちまって何も起こらねぇ──


 あいつの低くて落ち着いた声が蘇ってきて、不意に涙が出そうになった。


「懐かしいなぁ」


 全体的に暖かみを帯びたような壁に囲まれた中では、一つの蝋燭が灯っていた。こんなのあったか?

 時の進みと、それでも変わらない風景を目の当たりにして感慨に耽っていると、どこからか声が聞こえた気がした。


「……とーや……どこへ行ってしまったの?……寂しいよ……怖いよ……」


 幼そうな、それでいて大人びているような、不思議な声。そして聞き間違いでなければその声は確かに「とーや」と言った。僕の名前だ。もしかすると知り合いの妖だろうか。


「僕はここに居るよ」


「とーや……とーや……」


 洟を啜る音が混じった。泣いているらしい。僕の名前を呼んで泣くくらいだ。今パッと思い付かないが、とても仲の良かった妖なのかもしれない。


「僕はここに居るってば。君はどこにいるんだ?」


 すると声が増えた。そしてその声は聞き馴染んだあいつの声だった。


燈狐トモシギツネ。とーやはもう行ってしまったよ。お前の事だから意地張ってお別れ出来なかったんだろ?」


「うん……」


 会話は続いていく。


「まぁ元気出せよ。俺らはどれだけ離れていても友達なんだ。きっとまた逢えるさ」


「でも……逢えなかったら……」


「逢えるさ。俺らがするべき事は、とーやの将来と、再会出来る可能性を信じる事だろ」


「うん……うん……」


「だからもう泣くな? お前はとーやを助けてやれるだろ?」


「うん、そうだね。うじうじしてられないや。私は燈狐なんだもん。とーやの未来も明るく照らしてみせるよ!」


「そうそうその意気だ。じゃ、またな」


「はーい」


 戸が閉まる音がした。あいつが出ていったらしい。

 燈狐。僕は「ともね」と呼んでいた。ともねは確かこの神社の巫女。


「とーや。聞こえるかな? 分からないけど聞こえていると信じて、私はこの蝋燭を灯すよ」


 正直あんまり理解出来ていなかった。今何が起こっているかではなく、ともねの考えが。


「サヨウナラって言ってあげられなくてごめんね。いつもみたいに冷たく当たっちゃった。私、とーやのそばに居ると何だか照れてしまって、正直になれなかったんだ。不思議だよね」


 何となくそれは気が付いていた。ともねが妖にはとびっきりの笑顔を見せる度にほんの少しだけ寂しかったけど、ともねは妖とはいえ、心は年頃の女の子だ。そんなものなのかなぁと思って過ごしてきた。


「それでね。本当なら私たちはずっとここで、とーやを待って居たかったの。でも、出来ないみたいなの。だからきっと、今とーやは独りぼっちだよね?」


 いや、独りじゃないよ。僕の心のはいつでもみんなが居てくれるから。

 しかし、待つことすら出来なかったのは何故だろう。みんなは無事なのか?


「とーやには言ってなかったんだけどね。私たちは山の心臓……分かりやすくいえば、この玄爺山の頂上に、この辺りの全ての妖を統べている主様がいるんだ。私たちは、その人たちのおかげでここに棲んでいられるの。でも、その人の存在が玄爺町の人たちにバレちゃって、多分町の人は主様を襲うと思うの。だからもしもの事を考えて、私たちは想い想いの場所に術の結晶……まぁこういう感じで、メッセージを残しているの。だからとーやお願い。私たちとの色んな思い出の場所に行って、みんなの声を聴いてあげて。中にはとーやに向けたメッセージじゃないのもあるだろうけど、誰にも聴かれずに忘れられてしまうのはとても哀しいよ。結晶はメッセージが終わったら自然に消えてしまうから、注意してね」


 ともねの話から察するに、きっと主様は襲われてしまって、みんなはここに居られなくなったんだろう。どこかで今も、幸せに暮らしているだろうか。


「そろそろ私、主様の所に行かないといけないから、この辺で終わっておくね」


「いやだよ……」


 そう呟いてしまったが、メッセージは止まってくれない。


「最後に一つだけ。とーや……いや、柊夜くん。私たち妖と遊んでくれてありがとう。きっとまた逢えるよね? その時まで……またね」


 ふっと灯が消えた。僕は慌てて、煙に手を合わせる。もしともねが死んでしまったのなら、このタイミングで弔わないと後悔する気がしたから。

 それから暫くは、ひたすら呆けていた。


 本当にみんなはここに居ないのだろうか。

 タチの悪いドッキリを仕掛けているのではないか。

 僕はみんなを、失ってしまったのだろうか。


 答えの出ない自問自答を繰り返していた。勢いよく格子戸が開かれるまで。


「え? もしかして、御村くん!?」


 振り向けばそこに居るのは、あの頃唯一僕を見捨てないでいてくれた友達。


 僕は、まだ後悔するには早すぎるようだ。

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