第24話

「君もそれを望むだろう?」

 男の顔は暗闇にかくれてみえない。

「人は君を異端とみて殺そうとした。そんな世界、君は存続を望まないだろう」

 男は包帯でつつまれたアサナギの頬をそっとふれた。

「痛むか?」

「いいえ、あの人がお薬をぬってくれたの」

「そうか」

 男は手を離した。

「私がヒプフォリアをみつけだして殺す。おそらくだが、王都の宮殿にかくされているのだろう。人は大切なものを遠くにかくすことはできない。キマイラはもう、王都を相手にも充分戦えるだけの力をもっている。そのための準備はしてきた」

「次の神は、キメコ?」

「無論だ。力がなくては神にはなれない」

 男は窓を開け放った。宿の外で眠りにつくキマイラの姿を、二人は肩をならべてながめた。遠くの空に甲高い鳥の鳴き声がひびいた。山のまえを大きな鳥のシルエットが羽ばたいている。

「アイツはデカいだけのハリボテだ。キマイラとはちがう。役に立てばいいが」

 キマイラ不在時のアサナギの護衛のために男が作った、クライドであった。

 首切鴉と凶暴なワニをくみあわせて作ったそれは、アサナギの能力と同期することが可能であり、この宿周辺の警備をおこなっていた。

「私、あの子苦手。あの子にトリノメをつかうと、その後、ものすごく感情的になってしまうの。宿屋の花瓶を壊したり、その辺にいるネズミを踏み潰したくなってしまうわ」

「それがクライドの本能だからな。そして、私もその性にとりつかれている」

 男はキッチンへむかい、寝る前のミルクを作り始めた。そこには、トオルの母親が男のために作った、夜食のサンドイッチもあった。男は遠征のため宿にいない時間が多くなったが、その間の食料の備蓄は宿の貯蔵庫に充分にあった。

「アサナギ、君も飲むかね」

 アサナギは男の背に手をそえて、服をつまんだ。

「どうしても、この世界を終わらせるの?」

 男はしばらく黙りこみ、やがて薬缶に火をかけた。

「どうしても君がイヤなら、私を止めてみせろ」

「イヤというわけではないわ。私も人が憎い。私を火で殺そうとしたアイツらが憎い。でも」

 アサナギは背に手をまわし、暗闇でほのかに発光する弓にふれた。

「トオルの声が時々きこえるの」

「彼の口はとっくに壊れているはずだが。不死鳥の祈りは、その弓が感知できる範囲にしか働かない」

「時々、トリノメを使う時にね。彼はいうのよ『海の波はこんなにも雄大なんだ、視界いっぱいどこまでも青色だ……海風がここちいい』『夜に見る雪がこんなに美しいものだとはしらなかった。雪だるまを作りたいなぁ』『青空がみえる。ぼくは飛んでいる、もう鶏なんかじゃない。ぼくは幸せ者だ』」

 男はアサナギのほうに向きなおる。

「アサナギが世界をみせてくれた。こんなにも美しい世界を」

「幻聴だよ。人が思考するには脳がいる。彼の脳はもうない。今あるのは、足と下腹部と性器だけだ」

 アサナギは弓と男の服から手を離し、うつむいた。

「君がトオルを求めているんだ。はしたないことばで飾るなら、愛しているというやつだろうな。それは、幻となって暗闇から語りかける。その幻を取り払えとはいわないよ、ただ飲みこまれたら君は君ではなくなってしまうだろう」

「そう、なのかな」

 アサナギはしばらく黙っていたが、やがて男の顔をみあげた。

「マスター、明日はどこにもいかないのでしょう?」

「あぁ」

「私、この町の酒場でまだ飲めるワインをみつけたの。今晩は共に飲みましょう?」

「ふむ。かまわんが」

 アサナギは部屋にもどり黒のドレスにきがえた。ドレスを身につつんだためか、気分が高揚しているようだった。

「お姫様みたい?」

 宿をでるなり、男のまえでみせびらかすようにまわってみせた。

 夜の闇にひそむカラス達がアサナギをからかうように鳴いた。

「まぁ! あなた達、バカにしないでちょうだい!」

「なんといっていたのだ」

「トオルの足とドレスの相性を蔑むようなことよ。この町のカラスは汚いことばばかりつかってくる。不快だわ」

 アサナギはうつむいた。

「あの人、私にスカートを作ってくれるというの」

「ちゃんと断ったか?」

「当り前よ、足をみられたらこまるもの」

 納屋から紫色にひかるランプをとりだし、夜の通りをあるいた。

「フフフ。夜の街をお酒をもとめてさまようなんて……。私、もう大人だわ」

「見た目はまだまだ幼児そのものだが」

「そう? 胸だってすこしおおきくなったのよ」

 さびれた酒場に入り、アサナギは用意していたふたつのグラスにお酒を注いだ。乾杯とちいさくつぶやき、うちつけあった。

 ふたりはゆっくりとワインを飲みながら語った。

 アサナギは顔を赤くさせながら、トリノメ時にきこえるトオルのことばをつぶやいた。男はグラスをかたむけて静かにきいていた。

 遠くの空が白み始めたころ、アサナギの瞼は重くなり、コクリコクリと船をこぎ始める。男はアサナギの体を背負うと、宿にむかった。

「ますたーぁ」

 ふにゃふにゃした声をあげ、背中からアサナギは男を呼んだ。

「あなたは、一生懸命に生きすぎだわぁ。鳥をみて。自由に空をみて、海をみて、山の紅葉した木々をみているのよぉ。皆、じゆうに世界をたのしんでいるの。でも、ますたーはぁ……、いつも海の深いところを一生懸命にもぐっているんら。そこは……きっと、真っ黒でさみしい場所なんだわぁ。でも……ここしか俺のいばしょはねーんだぞー! って一匹おおかみ? ってやつきどっているのよぉ、ますたーは」

 やがて、押しつぶされた嗚咽が、男の背でもれでた。

「ヒッグヒッグ……」

「飲みすぎだ」

「そんなことらいッ!」

「酔っ払いと精神疾患患者は医療の進歩の妨げになる。理性がないから人に分類してよいのか困るからな」

「いみわかんないことゆーな」

 アサナギは両手でポカポカと男の背をたたいた。

「だからぁ……私がそばにいたげるっ! とくべつだよ、とくべつ!」

 そのまま自分の鼻水と涙を男の服に押しあててぬぐい、えんえんと泣き始めた。

「マスターにはぁ、私がいるんだからぁ。そんあ……そんあ、じぶんでじぶんをひとりぼっちにおしこまないで。水の中がくるしいなら、私といっしょに、おそらをみましょう……おそらはとっても、綺麗なのよ……、しってた?」

「あぁ」

 宿につくころにはアサナギは眠っていた。

 男はアサナギをベッドのうえにおくと、その寝顔をひとなでし、部屋をでた。


 ※『生キ接木<イキツギ>』は最後にもうすこしだけ神(ヒプフォリア)殺しの描写をいれて終わります。この描写は次回作の前日譚『YouMe宿り<ユメヤドリ>』とつながるところでして、大まかな構想はあるのですがまだ細部が定まっていないため、その描写は省略させていただきます。

 ここまでで話自体は終わっております。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

生キ接木<イキツギ> 木目ソウ @mokumokulog

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ