第23話

 数週間の時を経て、キタトリの町はおちつきをとりもどした。幾多もの犠牲者をだしたキマイラによる厄災は、都と隣町、そして仏とボランティアの力をもって復興に至った。崩れた瓦礫と痛ましい血の跡で汚れた町は、すこしずつ綺麗になっていく。

 キマイラはあの日を境に姿をけした。森は静寂につつまれ銃声は鳴りやんだ。なぜか鳥の数もすくなくなったのだが、傷心の町民はきづかなかった。

 キマイラは竹林を破壊しなかった。人の手は減少したが、また竹の武具を作ろうと工房の人々は汗をながした。

 町役場の者が死亡者と行方不明者の名簿を作成したが、トオルとその母親の名前はなかった。トオルは裏切り者として、母親はそれを支持する魔女として、町は秘密裏に処分した。それが町民のしっているキマイラによる厄災の後日談である。


 雪原に生えた大樹に今年も実が成った。

 白い掌大の木の実だ。

 体に巣食う病魔を祓う伝説があった。

 遠い空から一羽の鷲がやってきて、枝にとまった。

 年老いた鹿が鷲のまえに歩みより、鷲の臭いを嗅ぎ始めた。後ろから数頭の若い鹿が追従し、警戒している。鷲はかぎ爪にしのばせていた、高原にさく黄色の花を数本ほど地にばらまいた。安眠作用とリラックス効果のあるもので、姫がいなくなり不安につつまれている鹿たちにとって喜ばしい品であった。

 年老いた鹿がちいさくうなずくと、鷲は木の実を一つちぎり、元来た空の方角へと旅立っていった。


 そこは、どこかの廃墟街のもう使われていない宿屋の一室であった。

「成功よ。木の実は手に入ったみたい」

 眠るように長時間目をつむっていたアサナギが、ふーと大きな息を吐きながら目をあけた。

 その目のまえにはトオルの母親がベッドで横になっていた。

 咽びながらアサナギに首を垂れた。

「ありがとうございます。アァ、なんとお礼をいえばいいか」

「よして。まだ治るときまったわけではないわ。万病の特効薬といわれているのは、雪原の動物たちの間だけよ。何度もいっているでしょう?」

「……私だって、この病気が治るとおもってはおりません。でも、アサナギさんが私のために尽力してくれたのは事実でしょう? それだけでも、私はとてもうれしいのです。本当にありがとう」

「私だけの願いではありませんわ。これは、トオルの願いでもあるのです」

「トオル……」

 母親は涙をうかべた目をそっと伏せた。

「どこにいってしまったの? 無事だといいけど……」

「無事です。トオルは生きている。それは私が保証するわ」

 アサナギがその手をにぎりしめると、母親は彼女の頬を両手でつつんだ。

「アサナギさん……」

 あの日。

 男はアサナギの術式を終えて、トオルの母親をつれさった。母親は鎮静剤の在庫が尽きたのか、ベッドで瀕死になっていた。キマイラの背の上で、ずっと息子の名前をよんでいた。

 男はアサナギが待つこの宿へもどると、森で採取した薬草から鎮静剤を作成し、母親に打ちこんだ。

 覚醒した母親はじぶんのおかれた状況に狼狽した。顔中に火傷を負い、片目が包帯で覆われた少女、そして、キマイラに乗る髪の長い中世的な男。男の顔も体も血だらけであり、目には人としてあるべき光がなかった。母親は二人を恐れていたが、アサナギのやわらかな笑みと、背中にある弓をみて、緊張を解いていった。

 ――あなた……、その背中の弓……。

 アサナギはアラ? とおどけながら、クルリとその場でターンをして自分の背を母親のほうにむけた。

 ――きづいちゃいましたか? これ、トオルからもらったの。ぼくのかわりにこれで母さんを守ってくれて。

 町から反逆罪を問われて追われている。トオルは母親にも危害がおよぶのを危惧し、姿をけした。男とアサナギは、トオルから母親を守るよう依頼を受けたのだ。

 母親を納得させるためにアサナギがかんがえた話であった。

 トオルの母親は嘆いた。どうか無事でいますようにと、毎晩神にむかって祈りをささげていた。

 数日後、アサナギは雪原に眠る姫の伝説を語り、トオルの想いを母親に話した。

 鷲はアサナギの頼みをひきうけ、無事、務めを果たしたところであった。

 「ふしぎね」と母親はアサナギの目をみつめながらつぶやく。

「なんでかしら? あなたとお話をしていると、トオルがすぐそばにいるんじゃないかとおもうの。そんなこと、あるわけないのにね」

「います。トオルはすぐそばに」

 アサナギは微笑んだ。


 母親は鎮静剤を打てば日常生活を送ることができた。

 アサナギのために食事を作り、部屋を掃除した。

 深刻なのは、上半身と顔が火傷だらけのアサナギであった。

 痛みがひどければ夜眠ることもできない。眠りにつけたとしても、あの日の業火の記憶が夢にでてくるのだ。トオルの母親はアサナギが寝る前に、濡れたタオルで彼女の体を拭き、男が用意した薬をぬった。

「下はいいの? 女同士なのだから、気にしなくていいのよ」

 そうきかれるたびに、アサナギは首を激しくふった。

「大丈夫。下の火傷はたいしてひどくないから、自分で処理できるわ」

「そうなの? そうだわ! それなら私、スカートを縫ってあげる。いつもズボンじゃつまらないでしょう? オバサン、こうみえてもお裁縫が得意でね。アサナギさんはとても綺麗な顔をしているから、きっとお似合いになるわ。あのお医者様がいってましたけど、髪もまた生えてくるのでしょう? 素敵な髪形にして、女の子らしい格好にすれば、今よりももっと美しくなれますよ」

 アサナギが返答になやんでいると、外からキマイラの羽音がきこえた。

 アサナギは母親に「おやすみなさい」といって部屋の電気をきり、男をむかえに宿のロビーへむかった。

「どうだい。歩ける感覚には慣れたか」

 男は暗闇のなかで亡霊のようにたっていた。

「おかげさまで。おトイレがいまだに慣れないわ。男と女じゃやり方がぜんぜんちがうのね」

「木にもどりたくなった?」

 アサナギはそれにはこたえなかった。

「マスターは……神殺しにいくのね」

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