第10話

「すみません、私の友達です」


 唐突に、手を握られた。

 もう何年も握ることはおろか触ることもしていなかったのに、顔をみずともそれが清子ちゃんなのがわかった。その手の温もりから冷たくなっていた心がどんどん温かくなっていくのを感じる。

 

 清子ちゃんを見ると彼女は肩で息をしていた。傘は差していたけど走ってきたからかスカートがずいぶん濡れている。眼鏡のレンズにも水滴がついていた。


「今日、遠足だったんですけど。この子、どうしても諦めきれなかったみたいで」

 

 清子ちゃんがそういうと、駅員さんは頷いてみせた。


「そうか、今日は常盤自然公園に遠足だったね。残念な天気だ」


「はい。残念です」


「これから学校に行くのかい?」


「はい。私が、連れて行きます」


 なんだか、最初から二人の間で決まっているようなやりとりの会話のように聞こえる。

 しばし、清子ちゃんと駅員さんは見つめ合っていた。やがて駅員さんの方が眼を閉じることで清子ちゃんから眼を逸らした。


「私も君らと同じくらいのときに、遠足が中止になったことがあったな。あれは悲しかったね」


 駅員さんは独り言のように呟いてから僕の頭を撫でて、気をつけて、と言って改札の方へ去っていった。

 そんな駅員さんの後ろ姿に、清子ちゃんは少しだけ頭を下げると僕の手を引いて歩き出した。引っ張る力が強くて抗えない。


「清子ちゃん、待ってよ。どうしてここに?」


 清子ちゃんは何も言わない。


「清子ちゃん。僕、賢太くんと亮人くんを待たないと」


「来ないよ」


 食い気味に言って、清子ちゃんが続けた。


「これだけ待たされて、気付いてないわけないでしょ」


 僕は足を止める。清子ちゃんも止まって僕を振り返った。


「あいつら、普通に学校来てるから」


「……」


「純平の席チラチラ見て、ばつの悪そうな顔してたからわざとってわけじゃないと思う。単に面倒くさくなったか、ビビっただけじゃない」


 多分、後者ね、と清子ちゃんは吐き捨てるように付け加えた。

 頭のどこかでそんな気はしていた。でも認めたくなくて眼を逸らし続けた。そんなのはただ遠足が中止になるよりも、辛いことだったから。


 目の前の清子ちゃんの姿が潤んでいくのがわかった。息をしているのに息苦しくなって身体が震えてくる。寒い。


「大丈夫?」


 目の前の清子ちゃんは僕の手を痛いくらいに握り続けていた。

 辛うじて、頷く。ようやく現実と頭の思考が追いついていくのがわかった。


「……清子ちゃんは、こうなることわかってたの?」


「まさか。私が心配してたのは現地が危ないってこと。あとは途中で大人に見つかるってくらいだったわよ。そっちの方が可能性高いと思ってたし」


 さっきの駅員さんを思い出した。平日に子どもだけで電車に乗っていれば怪しまれて当然だ。僕はそんなこと考えもしていなかった。


「高橋たちがここまでクズだったとは、予想外」


「僕に、連絡のしようがなかっただけだよ」


 あの二人はスマホを持っている。けど僕は持っていない。それだけのことだった。いや僕がスマホを持っていたとしても、賢太くんたちは僕に連絡をくれるだろうか、自信を持って言えなかった。


 だって、僕たちはまだ友達ではなかったから。

 これから友達になる予定だったから。

 そんな考えに至って、ようやく僕の眼に涙が流れた。

 雨合羽を着て、傘も差しているから雨粒で誤魔化しようがない。嗚咽を漏らして泣く僕の手を、清子ちゃんはずっと離さないでいた。


「まえに、私がクラスの女子みんなと仲良いって聞いてきたことあったよね、そんなのあり得ないよ。女子の人間関係なんてほとんどノリと気まぐれだから、男子のよりずっと希薄なの」


 鼻をすすりながら僕は聞いていた。


「そのなかでも気の合う子がたまにいる。好きなものとか嫌いなものが一緒だったり、会話のテンポが合うとか、まぁそこはいろいろだけど何か通じるものがあるんだよ。それが、友達の第一歩」


 言外に、賢太くんと亮人くんにそれがあったのかを尋ねられているのだとわかった。答えは僕も清子ちゃんもわかっていた。


「焦る必要なんてないでしょ、いずれ純平を見てくれる人はいるから。だからそれまで、女の私で我慢してよ。ね?」


 やっと泣き止みかけていたのに、また涙が溢れてきた。

 僕は自分が情けない気持ちで一杯になった。我慢なんてとんでもない話だ。僕はずっと清子ちゃんと友達でいたかったはずなのに。どうして離れてしまったのだろう。


「……ごめんね、清子ちゃん」


「なんで謝るのよ、ばか。普通だからね、そういうの。男と女は違うんだから。でも」


 清子ちゃんはハンカチを出して僕の涙を拭いて言った。


「一緒には、いていいんだよ」


 僕は頷いた。何度も何度も頷いた。

 清子ちゃんはそんな僕をみてめずらしく微笑むと

「学校、サボろうか」といった。

 

 僕はその提案に驚いたけれど、嬉しかった。遠足があるはずだった日に一番の友達と過ごせるのはきっとどんな遠足よりも楽しいことだから。


「どこに行く?」


 清子ちゃんが聞いてくる。

 僕の答えは当然、決まっていた。


「僕の家。それか、清子ちゃんの家」


 清子ちゃんは頷いて、再び僕の手を引く。僕は彼女の細い手を強く握り返した。

 雨は降り続けている。雨足はずっと強くなっていた


 けれど、僕の気持ちはそんな雨にも負けない、晴れ模様だった。

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これからずっと、晴れ模様 名月 遙 @tsukiharu

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