宇宙(みらい)への一歩

希子

宇宙(みらい)への一歩

 

 人間がロケットに乗って宇宙へ旅立ってから、もう何十年も経っているのに、僕たちが自由に行くことはできない。

 地上の世界と違う環境。厳しい訓練や試験をクリアして初めて、旅立つ資格を与えられる。

 お金だって、新幹線のように一万円単位の話じゃない。

 どうしたって、宇宙は遠い。中学生の僕とは無縁の世界だ。

「宇宙……」

 飛行機がゆったりと飛んでいる春空に、右手をかざした。

 あの空の上に、大気圏っていうのがあって、その先に、宇宙があるんだ。

「春樹!」

「わっ、なんだよ」

 僕は遥かな精神の旅から、一瞬にして引き戻された。

 背中にのしかかる170センチのやんちゃ坊主は、下村のどか。

 僕がちょっと小柄だからって、いつも同じ絡み方してくる。

 こいつのどこが「のどか」なんだか。

 背中から降りて、僕の制服をパンパンとはたいた。

「悪い。砂ついた」

「え、なんで?」

「みてこれ! さっき見つけてさー」

 僕の疑問はあっさり解消された。砂まみれの手と、そこに乗っかった石。

 その手ではたいたんなら、僕の背中が今どうなってるか大体想像できる。

「何?」

「石!」

「それは見ればわかるけど。なんで石?」

「この石さー、見たことない形してんの」

 そう言われてみれば、たしかにそんな気もする。

 なんとなく星形っぽいけど、アメーバみたいにも見える。

「だから拾ったの?」

「そ!」

 にかっと笑った顔は、少年漫画の主人公のようだった。

 だけど、持ってるのが変な形の石ころなんだよな。

「朝から何してんだよ」

 我慢できず、クスッと笑ってしまった。

 それでものどかは、満足そうに石を眺めている。

「どっかさ、違う星からきたのかもしれないよなー」

「え?」

「だからぁ、隕石とか宇宙人が持ってきた石とかさぁ。そういうの」

「は?」

「ありえねーかもだけど、そうかもって思うと面白くね?」

 マジな顔をしてる。

 頭の中が幼稚園児か、もしくはアーティスティックでクリエイティブで天才的な脳の持ち主なのか。多分前者だ。

「っていうか、お前は何してたの? めっちゃ空に手伸ばしてたけど」

「ベーつに」

 おんなじように宇宙のこと考えてたってバレたくない。

 のどかは不意に手を止めて、「わかった!」と叫んだ。

「うるっさいな。耳元で大きい声出すなよ」

 左耳をふさいで、嫌そうな顔をする僕。

 のどかはそんなのお構いなしで、また砂まみれの手で僕の制服を掴んだ。

「俺ってなんでここにいるんだろう……って黄昏てたんだろ!」

「黄昏てないよ」

「ああ、この空はどこまで続いてるんだろう。俺ってなんてちっぽけなんだ」

「違うって」

 呆れたように首を振るけど、ちょっと合ってる。

 のどかはオーバーな演技を終えて、ケロッとした口調で言った。

「なんだ。じゃあ、腹へったなーとか?」

「ふはっ! なんだよその振り幅!」

 哲学的な思考から安直になりすぎて、おかしかった。涙が出てくる。

 そんな僕を、すっごく冷静な態度で見ているのどか。

「笑いすぎだろ」

 お前は冷めすぎだろ。さっきまでのうるささをどこへやったんだよ。

 冷ややかな目がまた面白くて、僕は変にツボに入ってしまった。

「ふふふっ、お前面白いよな」

 僕の言葉に、ニヤァっと微笑む。

「……だろ?」

「だろ? じゃないよっ……! あはは!」

 通勤途中のサラリーマンに、変な目で見られた。

 お腹も背中も痛くて、ヒーヒー言って。こんなに笑ったの久しぶりだ。

「はー、疲れる」

「勝手に笑って勝手に疲れてんなよな」

「石一個で、こんなに笑うと思わなかった」

 僕が言うと、のどかは「すげーよな」と、なぜか誇らしそうに石をかかげた。

「やっぱこれ、なんかすげー石なのかも」

 まじまじと見つめて、こくんとうなずく。

「宇宙ってすげーな」

 また飛躍してる。

 でも、「うん」と僕は無意識に口に出していた。

 それが何かのスイッチになったのか、決心したように僕の目を見る。

「俺、宇宙行きたい」

 一緒に行こうと言わんばかりの顔。

「どうやったら行けんのかな」

 結構真剣に考えてるみたいだ。のどかが宇宙に行くとしたら、まずは――。

「勉強――」

「とりあえず体鍛えればいっか!」

「は?」

「だってさ、宇宙って酸素ないじゃん。あと無重力だからいろんな筋肉使いそうじゃん」

 僕が真面目に答えようとしたのが間違いだった。

 のどかは勝手に納得して、先を歩いて行く。

 宇宙どころか、高校へも行けないんじゃないか。

「あっ!」

 突然パッと振り向いた。ズンズンこっちへ戻ってくる。

「わかった!」

 この人、すぐわかるじゃん。

「今度は何」

「最初は、手ぇ伸ばすんじゃん?」

「手?」

「さっき春樹がやってただろ? 空に手ぇ伸ばすの」

 これはいじってるのか、本気でそう言ってるのかどっちなんだ。

「みんなさ、宇宙って頭の上にあるのに、行こうとしないだろ。自分は絶対行けないって思ってるだろ。でも、手伸ばしたら、ちょっと届くかもって思うじゃん」

 何、こいつ。恥ずかし。

「僕は別にそんなつもりで」

「そっか。お前、宇宙に行こうとしてたんだ!」

 なんだこの正解への辿り着き方。

「ちがっ」

「仲間じゃん! いつか俺と一緒に、宇宙行こうぜ!」

「勝手に仲間にしないでよ!」

 同盟っぽく肩を組むな。

 お昼用のサンドイッチが入った、斜めがけのカバンが押しつぶされる。

 のどかは、持っていた石をポケットに入れた。

「それ、持ってくの?」

「おお」

「いる?」

 考えるそぶりも見せずに答えてみせる。

「いつかこれを置いてった宇宙人に会ったとき、返してやんねーと」

 僕は、半笑いでポケットを指差す。

「待って。これ忘れ物なの?」

「わかんね」

「もう意味不明」

 また吹き出す僕。

「よーし。学校という名の星へ、いざしゅっぱーつ!」

 ざらっとした手に、左手首を掴まれる。

「走るの⁉︎」

「体力づくりだよ!」

 勉強する体力なくなるんだけど。

 そのまま引っ張られて、勢いよくバタバタとかけていく。

 こいつ頭は単純なくせに、行動はいつも予測不可能すぎる。

 もしかしたら、この少年は、本当に宇宙に行ってしまうかもしれない。

 僕は、未開の星で砂まみれの手に握られた、変な石を見ることができるかもしれない。

「宇宙……」

「ん? なんか言った?」

 前を行くのどかが、チラッと振り返る。

「ベーつに!」

 息を弾ませながら、僕はもう一度、春空に右手をかざした。




 完

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