第7話 光秀、大いにパニクるの巻

 本能寺は天をがすかのような猛火に包まれて炎上した。それは信長の最期を飾るにふさわしい紅蓮ぐれんの炎であった。すべてが灰燼かいじんした、その焼け跡でウロキョロと、なにかを探している男がいる。

 その男は、明智光秀であった。

 光秀は時折、神経質そうな声で部下に命じた。

「信長様の遺骸なきがらを探すのじゃ。骨ぐらいは残っておるはず。さがせ、探せ!」

 光秀は絶対君主の信長の前に這いつくばり、ときには遠まわしすぎるオベッカまで言って、破格の出世を遂げてきた。

 信長や蘭丸に幾度も殴られ、蹴られ、死ぬ思いをしてきた。その信長を裏切り、ついに殺害したはずなのだが、チョイ自信がない。信長の遺骸を見ぬことには、心配でたまらないのだ。

 ――もしや、討ち漏らしていたら……。

 ――もしや、上様が生きていたら……。

 光秀は頭の皮をはがれ、信長のガイコツ・コレクションに加わることになるのだ。無論、妻や子おろか、一族郎党皆殺し~になるのは必至であった。

 光秀にとっては、信長は悪魔以上の存在であった。秀吉以上にひどい目にあわされていたのだから、光秀の恐怖はハンパではない。毎日、毎日、ビクビクおびえながら信長に仕えていたというのが本当のところであった。

 たとえば、である。

 武田勝頼たけだかつよりを滅ぼした「甲州征伐こうしゅうせいばつ」の折、戦勝祝いが甲斐の法華寺ほっけじで行われた。その席上、ほろ酔いの光秀が、「われらも骨を折った甲斐かいがござった」と、つい口をすべらせた。

 その瞬間、信長は頭のテッペンからとがり声を出し、上座からズカズカと光秀の席に近づいた。

「カイとはなんじゃ、甲斐とは。ダジャレか。第一、お前ごときがなにをしたというのか。言うてみよ」

 信長の目が血走っている。カンペキ人殺しの目である。

 ――こっ、殺される。

 光秀の顔におびえの色が走った途端、信長がりを入れてきた。しかし、その蹴り技は蘭丸ほど上手ではない。

 信長の足が光秀の頭を蹴った。その席に居並ぶ武将のだれもが、強烈キック的中~と思った次の瞬間、信長の足はなぜか宙を走りすべり、その五体はスッテンコロリン、畳の上に仰向けにころがっていたのである。

 だれもが光秀の頭を見つめた。毛がない。ない。つまり、ツンツルテンにハゲた、キンカ頭であった。キンカとはミカン科の金柑きんかんのことで、あれも表面ツルツル~なんである

 信長は蘭丸にわめくように命じた。

「くやしいっ~。お蘭、あやつを蹴ってチョー!」

「ハ~イ、お蘭、蹴りまするゥ~」

 さすが、蹴りの美学をきわめた蘭丸である。その足は、カメレオンの舌のごとくスルスルッと伸び、光秀の頭ではなく、アゴを蹴りあげていた。しかも、宙に舞いあがった光秀の股間こかんにもすかさず強烈キックしたのだから、これはたまりませんです、ハイ。

 直後、光秀のタマキンはみるみるれあがり、三日後には信楽しがらき焼きのタヌキのタマキンよりもデカくなっていた。いわゆる「八畳敷きタマキン」である。

 この光秀タマキン事件があったのが、今年の天正十年三月。つまり、本能寺の変の三カ月前のことであった。

 光秀の受難は、これにとどまらない。それから二カ月後の五月半ば、信長は武田攻めでガンバって手柄をたてた徳川家康とくがわいえやすを安土城に招いた。「いろいろ世話になったね。センキュー」とお礼がてら、「オ・モ・テ・ナ・シ~、クリステル」にあいつとめるべく、ご馳走攻めにするのだ。

 饗応きょうおう接待役は、光秀が指名された。ところが、光秀はここでもしくじった。なんと尾張名物、味噌おでんをメニューに加えなかったのである。

 信長は怒った。家康も怒った。食い物のウラミはおとろしい。

「あんな、でらウミャー、味噌おでんをなんで出さんのー。どえりゃー画竜点睛がりょうてんせいを欠くっちゅうモンじゃないのー。これじゃあ、接待の意味、あらすかよー」

 光秀は信長と家康の二人から、蹴る、殴る、つねられるのゴーモンを受け、ほぼ気絶状態で畳の上に倒れた。

 すると、信長は息もたえだえの光秀を蹴りながら命じた。

「オミャーの顔なんか、見るのもイヤじゃ。中国へ出陣せよ。猿と一緒に毛利を攻めよ。アッチへ行ったら、バカ猿の下で働くのじゃ。バカ猿の命令は、わしの命令と心得よ」

 仕方なく、光秀は丹波亀山かめやま城で出陣準備にとりかかった。風雲急となり、テンヤワンヤの大騒ぎとなっていた亀山城に、なにやらいわくありげな坊主がフラリとやってきた。

 オバケのような大入道おおにゅうどうが大手門で声を張りあげる。

「愚僧は毛利家の軍師、安国寺恵瓊あんこくじえけいと申す。こたびは、ともの浦の足利義昭公からおあずかりした密書をお届けにまいった。明智殿にお目にかかり、直々じきじきにお渡しいたしたい」

 義昭公の密書と聞いて、光秀はすぐさま恵瓊に会った。なにしろ、光秀のもともとの主君の使いなのである。いきおい言葉使いも丁寧ていねいになる。

「恵瓊殿、遠路ご足労、まことに大儀たいぎでござった。わざわざ山深い丹波くんだりまで、申し訳ござらぬ。して、公方くぼう(将軍)様からおあずかりした密書とは?」

 恵瓊は墨染すみぞめの懐中から一通の書状を取り出し、光秀に手渡した。それをパラリと披見ひけんする光秀の顔がサッと青ざめた。

「こっ、これは!」

「左様、信長成敗の下知状げちじょうでござる。いまこそ信長を討つべし」

「しっ、しかし、安土城をわが手勢一万で攻めても落ちませぬ」

「ご安堵あんどめされ。あの者は羽柴秀吉殿に出馬をせがまれ、まもなく安土を出て、京の都に入りまする。そこを狙えば、討つのはいとも容易。さすれば、義昭公は鞆の浦から京の都に戻られ、幕府再興という段取りでござる」

「とっ、ということは羽柴殿もこの幕府再興計画に一枚、かんでおられる……そういうことでござるか?」

「すべては、この恵瓊の仕組んだこと。わたし、失敗はしないので。ウォッホッホ」

 ここまで聞いて、先の先を読む光秀のキンカ頭は、完全にパニくりはじめた。

「チョ、チョ、チョイ待ち。もし、それがしが信長様に謀叛むほんを起こし、首尾よく討ち取ったとしても、織田軍団がブチギレて黙っておりますまい。主君の仇討ち~とばかりに、よってたかって攻撃され、それがしは、あわれオダブツ、一巻の終わり。幕府再興など夢のまた夢ではなかろうか」

「グフフッ、愚かなことを」

「ハァ……?」

「四万余の軍をひきいた羽柴殿が、中国に布陣中ではござらぬか。これに光秀殿の軍を合わせれば、はて、その兵数はいくらになりますかのう」

「ゴマン、ごまん、五万じゃあ!」

「しかも、そのゴマンの兵に、毛利六万の軍が加われば、鬼に金棒かなぼう。さらに言えば、こちらは将軍義昭公を奉じた幕府軍。大義はわれらにあり、幕府軍に刃向かう織田軍は逆賊となって、背後から越後の上杉軍などにも襲われましょう。まさにカンペキ~」

 たしかに、信長嫌いの武将はいっぱいいる。信長さえ討てば、反織田勢力はわれもわれもと光秀の軍に加わり、バカ猿の軍などアテにせずとも、織田軍を蹴散けちらすことができよう。さすれば、光秀悲願の足利幕府は再興されるのだ。

 かくして、光秀は本能寺で信長を討った。タマキン事件から三カ月後、味噌おでん事件から、わずか半月後のことである。

 ――しかし、わしは、あの信長を本当に討ちとったのであろうか。

 それが、最大の不安であった。なにしろ信長の遺骸を見ていないのだ。

 余燼よじんくすぶる本能寺の焼け跡で、必死に信長の遺骸をウロキョロ探したあげく、結局、ガイコツひとつ見つけることはできなかった。それは、いささか心残りなことではあったが、激烈な猛火で骨まで焼けたのだと思うしかなかった。

 ――まあよい。さしもの信長も、地獄の劫火ごうかのごとき炎で焼け死んだのであろう。これで義昭公にホメホメ、頭ナデナデいただけることは確実。わしは、にくっき信長を討ったのじゃ。あとは、義昭公を京の御所にお迎えし、幕府サイコ~。これは天下第一の大手柄じゃあ!

 恵瓊のわなにはまったとも気づかず、光秀は心の中で絶叫した。

 

 










 



 

 

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