第8話 官兵衛、ワルじゃのうの巻

 本能寺で信長が暗殺されたことを知り、毛利の軍師である恵瓊は、ひとりグフフッと不気味な笑みを浮かべた。

 恵瓊の策略どおり、秀吉は信長を本能寺におびき寄せ、光秀がそれを討った。「わたし、失敗しないので」という決めゼリフを言い放ったあと、すべてが狙いどおり、思いどおりに運んだのだ。チョー気持ちいいというか、鼻高々というか、軍師冥利みょうりに尽きようというものである。

 ただひとつの誤算は、備中高松城の城主、清水宗治しみずむねはるが、秀吉と勝手に和議の約定やくじょうを結び、そのあかしとしてサッサと自害を遂げたことであった。

 ――バカめ。わしにひと言相談しておけば、死なずに済んだものを。

 しかしながら、これにて毛利家は安泰、一件落着。あとは、秀吉と光秀を戦わせ、その勝者と織田軍団を戦わせる。さすれば、織田勢力は自然と弱体化し、そこを六万の兵で叩けば、天下はおのずと毛利家にころがりこむという寸法すんぽうなのだ。

 ――グフフッ、面白いことになってきた。

 一方、その頃、秀吉もまた本能寺の急変に接していた。

 急変をしらせたのは、茶人の長谷川宗仁はせがわそうじんである。宗仁は本能寺の変が起きる前夜、信長の茶会をとり仕切った男である。

 明智の軍勢が本能寺になだれこんだとき、不覚にも宗仁は客殿の奥で眠りこけていた。前夜、信長や公家らに気をつかって疲労コンパイ、グッタリんこだったのだ。

 それでも、あまりの騒々しさに目がさめた。

 ――何事なるか。

 蔀戸しとみどのすきまから外をのぞくと、なんと桔梗紋の旗指物はたさしものを背にした兵と、信長の小姓らがチャンチャンバラバラと戦っているではないか。双方、歯をき出し、刃と刃をぶつけ合っている。鮮血ビュンビンである。

 宗仁は心の中で絶叫した。

 ――ギョ、ギョ、ギョッのおさかなク~ン!

 なんて言ってるバヤイではない。逃げるのじゃあ!

 宗仁はあわてて墨染めの黒衣を身にまとい、いつもの宗匠そうしゅう頭巾を手にとり、頭にのせようとした。その一瞬、宗仁は逃げのびる、うまい算段がひらめき、頭巾を投げ捨てた。

 ――本能寺の坊主のフリして逃げよう。坊主ならば殺されぬ。

 宗仁の頭はツルッパゲだったのである。ハゲててよかったあー。宗仁はかくして本能寺から命からがら逃げのび、ハゲ仲間の秀吉に急をしらせたのだ。

 宗仁からの急報を受けた秀吉は、これまた跳びあがってビックラこいた。

「ヒェーッ、オバケ恵瓊の言うとおりになった。ヒェーッ、光秀が信長様を殺した。信じられぬ。信じられぬことが起きた!これって、曇天どんてんのへきれき~」

 ハゲ頭をかきむしりながら、秀吉は陣中をうろつき、奇声を発した。

「キャッ、キキャッ。キャッ、キキャッ。どうすべえ。キキャッ、どえりゃーことになったわい。寝耳ねみみにお湯~」

 それを見た蜂須賀小六はちすかころくが、手を叩いてわらう。

「グワッハッハ。あれを見よ、大炊助おおいのすけ。アホ猿が先祖帰りをしておる。やはり血は争えぬものよ」

 大炊助が唇をゆがめて冷笑する。

「小六アニイ、あんなテイノー猿なんか、ほっといて、ワイら尾張へ帰りましょうぞ。三木城は兵糧攻め、目の前の高松城は水攻め。つまらぬいくさぱかりでウンザリじゃ。敵をぶっ殺して血を見ぬと、なんか欲求フマンでクサクサする」

「それもそうじゃが、実は帰れぬ理由わけがある」

「ほう、その理由とは」

「竹中半兵衛殿よ。実は半兵衛殿がいまわのきわに悲しそうな目をして、わしに頼んだのじゃ。ゴーヨク官兵衛が猿をけしかけて、とんでもないことを起こすやもしれぬ。お目付け役は小六殿しかおらぬ。それがしの死後、アホ猿のうしろだてとなってくだされ。それがし一生のお願い、最後のお願いと泣きつかれてのう」

 カンペキ無欲、美少年萌えだけが唯一の生きがいであった半兵衛は、三木城の落城

を見届けたあと、急逝きゅうせいしていた。死因は天才にピッタリふさわしい結核であった。

 大炊助が嘆息たんそくし、この冷酷な男にしては、めずらしく人をあわれむ。

「左様であったか。三十五歳の若さで死ぬとはのう。もしや衆道にはげみ、シコりすぎたのであろうか。それとも腹上死ならぬ、尻上死ケツじょうし?」

 そこへゴーヨク官兵衛がやってきた。

「アホ猿が発情したように、さっきからキャ、キャッとわめいておるが、あれはいかがしたことであろう」

 大炊助が口をひん曲げて言う。

「しらぬわッ。猿の頭の中をワイら人間が理解できようか。どうせスケベなことでも考えておるのであろう」

「なるほど」

 この三人を見かけて、秀吉がキャキャッとわめきながら、近寄ってきた。思わず大炊助が石を投げて追い払おうとしたが、小六が「やめよ」と手で制した。

 秀吉が顔をしわくちゃにして叫んだ。その姿は、日本語を話す猿であった。

「上様が死んだー。本能寺で光秀殿に討たれたのじゃー!」

 三人ともボーゼンである。

 ややあって、ゴーヨク官兵衛が口を開いた。

「まさか……えっ、なんで?」

 秀吉がかくかくしかじかと語るや、官兵衛がニンマリとして言った。

「エヘッ、これで大出世ができる。では、恵瓊殿の申されるとおり、ともの浦の義昭公を押し立てて、京の都へ入りましょうぞ。当面は明智殿と手を結び、幕府再興のあかつきには、邪魔となる明智殿は無論のこと、義昭公にもひそかに毒をもって殺せば、天下はわれらのものと存ずる」

 大炊助がそれはいいと言わんばかりに手をった。

「おぬしもワルじゃのう。恵瓊にまさる悪だくみ。いやはや見直した。これでワイらには金銀ザクザク、別嬪へっぴんよりどりみどり。イヤーアッ、すんばらしい」

 官兵衛が得意気に小鼻をふくらませた。

「まずは鞆の浦へまいり、義昭公をおだてて、われらの神輿みこしとして担ぎあげましょうぞ」


 善は急げである。秀吉はソッコーで、備後びんごの鞆の浦にいる義昭に会いに出かけた。この頃、義昭は鞆の浦にある常国寺じょうこくじという寺を御所とし、ここで少数の側近らと「鞆幕府」を開いていた。将軍としてトコトン生き残ってやるぜい。武門トップの座はだれにも明け渡さぬぞー。室町幕府最後の将軍の意地である。

 秀吉は常国寺で義昭に拝謁はいえつし、尾張弁丸出しで言上ごんじょうした。

「信長を明智殿が殺したんよ。もう、こわいモンはおらんから、一緒に京の都へ入ってチョー。ショーグン様が旗頭になってくれんと、天下が獲れんのよ。とりあえず明智殿と手を組んで、幕府サイコー。美女もはべらすから、ええじゃろ、ええじゃろう」

 義昭は秀吉の弁を聞いて、うらなり顔をキョトンとさせた。

「ナンノコッチャ。そう言えば、この前に恵瓊坊主がフラリと来て、猿のような男がキャアキャア、ギャアギャアわめいても、相手にせぬように申しておったが、このことであったか。フーン」

 秀吉も官兵衛も、みな一様に口をポカ~ンと開けた。

 そのマヌケ顔を上段の間から見おろして、再び義昭が言う。

「ここの浦で獲れる魚は、うまくてのう。余はこの地が気に入っておる。毛利もクボウ様、公方様と大事にしてくれるし、いまさら京へ帰って、メンドーなことに巻きこまれるのはイヤじゃ。フン、天下など犬にでもくれてやるわ」

 秀吉らの思惑は大ハズレとなり、肩の力を落としてションボリ備前の陣に引き返した。

 ゲッソリする官兵衛に、秀吉が追い討ちをかける。

「オミャーは、軍師として恵瓊よりランクが落ちるのう。われらは、恵瓊にハメられたんじゃ。こんなとき、半兵衛がおってくれたらのう。あーあ。情けないことよ。あーあ、どうすべえ」

「ならば、いっそ、明智殿を主君の仇として討ち、このウップンを晴らしましょうぞ。あとあとのことは、それから考えればいいんじゃない、と存じまする」

「そんなイキアタリ、バッタリでええんじゃろうか。第一、光秀殿はこわーい信長様を殺してくれた恩人。その恩人を攻めてもええんじゃろうか」

 官兵衛が叫んだ。

「あま~い。甘すぎる!」

「ハァ……?」

「考えてもみなされ。このまま明智殿を放っておいたら、お味方を糾合きゅうごうして、わずか一万の軍がたちまち手のつけられぬ大軍にふくらみましょう。さすれば、天下は明智殿のもの。いずれ上から目線で、ハゲ猿、アホ猿、バカ猿とコケにされて、そのうちえさも与えられずに、イビリ殺されてしまうのは必定。それでもよいと申されますか」

「ゲッ、それはマズい。ねねとニャンニャンできなくなる。殺されるのは、ゼッタイ、ゼッテエ、イヤじゃ」

「で、げしょう。ならば電光石火、天下人てんかびと気分ルンルンの明智殿を急襲し、ルンルン気分を横取りしましょうぞ」

「いいね~」

 かくして、秀吉四万の軍の矛先ほこさきは、光秀討伐へと向けられた。いわゆる「中国大返し」のはじまり、はじまり~であった。


 

 




 



 

 












 


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