第2話 毛利、どんだけぇ~の巻

 秀吉は兵をひきいて西へ向かった。とりあえず手持ちの軍勢五千のうち四千の陣容である。少しは、長浜に残しておかねば、野武士に攻められただけでも落城しかねない。

 長浜城から出陣の二日前のことである。秀吉は天才的軍師の竹中半兵衛に、毛利攻めの方策について尋ねていた。

 すると半兵衛は、すまし顔で即答した。

「相手は二百万石ですぞ。対して、こっちは二十万石で、彼我ひがの戦力差は明らか。勝てるわけございませぬ」

「ヒエーッ、それでは困る。負ければ討死にするし、逃げ帰ってくれば信長様に成敗される。わしは死ぬ。どっちにしても死ぬのじゃあ~」

 頭を抱えた秀吉に、半兵衛は耳打ちした。

「これは、ここだけの話でござるが……」

「おおっ、なにか秘策があると申すか。教えてくれいっ、軍師殿」

 半兵衛は秀吉の耳にひそひそ耳打ちした。

「まともに戦ってはなりませぬ。決戦など論外。せこい小戦こいくさをして、合戦をできるだけ長引かせ、信長様にやはり猿では無理か、と思わせるのでございます」

「話のドサクサにまぎれて猿と言うなっ、猿と」

「おっ、これはご無礼を。で、小戦さをしていれば討死にすることはまずありますまい。合戦を長引かせれば、信長様がイライラとしびれを切らして、援軍をどんどん送ってくることでありましょう。織田家はいまや五百万石。総兵力は十三万余にて、いざとなれば、四万、五万の援軍はあったり前田でございます」

 秀吉が猿顔をほころばせて、手をった。

「おっ、それはよい。ともかく、わしは死なぬ戦さをしたいのよ。あの筋肉バカの小六や、悪だくみだけがうまい大炊助は討死にしてもよいが、わしだけは死にとうない。半兵衛殿、わかってくれるか」

 半兵衛が大きくうなずく。

「猿でも、人間でも、自分の命は惜しいものでござる」

「オミャー、わしの顔を見て変なことを言うな。で、とりあえずどうする」

「一気に毛利領に進軍してはなりませぬ。まずは、足固めが大切。そこで、さしあたり毛利の鼻先の播磨の国(兵庫県)でウロチョロし、そこの豪族やら地侍やらを調略で手なずけた上、姫路あたりを前線基地とし、じわじわ毛利領を蚕食さんしょくするという段取りではいかが」

「ほう、かいこが桑の葉をむように、じわじわとな。なるほど、そのせこいやり方だと戦さは長引くし、わしも討死にすることはなかろう。信長様もあの短気な性格ゆえ、イライラしたあげく、あのバカ猿一人だけには任せておけぬと援軍を送ってくるであろう。エヘヘッ、いいことずくめよ」

 かくして、秀吉は播磨はりまの国に進軍した。播磨には三十以上の豪族がいて、各自城を構え、ふんぞり返ってエバッている。これに総当たりして手なずけるのは大変である。

 途方に暮れる秀吉に、半兵衛がまたしても策をさずけた。

「播磨でいちばん強い豪族を落とせば、あとの諸将は驚きあわてて、容易に旗下きかなびきましょう。播磨最大の豪族といえば、三木城の別所長治べっしょながはる殿」

「しっ、しかし、三木城は播磨きっての堅城けんじょうと聞くぞ。容易には落とせまい」

「ええいっ、物分かりの悪い。だれが、戦さをすると申しましたか。調略で味方に引き入れるのでござる」

「だれが調略するのじゃ。だれが、城へ乗り込んで、お味方になってくだされと、話をするのじゃ」

「それは、わがあるじ殿にございます」

 秀吉が目を丸くして、スットンキョーな声を出した。

「えっ、それって、わしのこと?」

「ほかにだれがおりましょうや。頑張ってくだされ」

「イヤじゃ。イヤじゃ。頑張りとうない。敵の城に乗り込めば、ゼッタイ生きては帰れぬ。だれか、ほかの者にせよ。そうじゃ、この陣中に、わしとそっくりの足軽がおる。あれを替え玉にして三木城へ向かわせよ」

「その足軽、たしか猿とそっくりでござったな」

「おうとも。猿そっくり。わしと双子のように似ておる。そいつでよい」

「なれど、猿以下のアホと聞いておりまする。とても大役は無理、ムリ。猿に烏帽子えぼしで、どうにもなりませぬ」

 秀吉が情けない声ですがるように聞いた。

「そげなこと、言わんでチョーよ。オミャー、軍師だろうが。なんぞいい手はないのか。あるであろう?」

 半兵衛が腕組みしたのち、やおら答えを返した。

「ここは、口のうまい詐欺師さぎしの出番かと。それがしに一人、心当たりがございます」

「エッ、そんなやつがおるのか。それはだれじゃ。そいつがよい。そいつに頼もう」

「なれど、欲が深いらしく、タダでは動きませぬ」

「ゴーヨク、いいじゃないの。銭金ぜにかねで動くやつは扱いやすい。金をやろう、馬をやろう。エヘッ、もっといいものをやってもよいぞ」

 秀吉がスケベそうな笑みを漏らした。

 即座にその意味を理解した半兵衛が、苦笑まじりの相槌あいづちを打った。

「たしかにスケベでない男は、この世におりませぬ。その線でいきましょう」

「で、そやつの名はなんと申す」

黒田官兵衛くろだかんべえと申し、姫路の御着ごちゃく城主である小寺こでらというバカ殿につかえておりまする」

「フーン、そのバカ殿はどんな顔をしておる?」

「なんでも、顔をおしろいで真っ白、唇は口紅で真っ赤、アホまげをゆって、つねに腰元こしもとのケツを追っかけているとのこと。口癖くちぐせはアイーンでございまする」

「いいのう、わしも美人の腰元を集めて、そんな暮らしがしてみたい。信長様にこき使われて、絶えずビクビクして、毎日死ぬ思いのわしとは段違いじゃ。アー、ヤダ、ヤダ。こんな生活」


 その翌日、半兵衛は姫路城へと向かった。姫路城はゴーヨク詐欺師、官兵衛が守る城である。とはいえ、この頃の姫路城は周りに土塁どるいをめぐらしただけのとりで程度の小さな館にすぎない。えっ、世界遺産の白鷺しらさぎ城ではないのかって?とんでもない。白鷺城どころか、当時は「土の城」というべき泥亀どろがめ城で、いまの白亜の優美な城は、江戸時代になって築かれたものである。

 半兵衛は、その泥亀城でこっそりと官兵衛に会い、ひそひそ話をした。

「なんとか播磨の豪族どもを、織田家に従うよう、その天才的な口先三寸さんずんで説得していただけませぬか。わがあるじは金も、馬も、もっといいものも、たんと差し上げると申しておりまする」

 官兵衛はいかにもアクの強い顔をしている。デカイ顔の真ん中に大きな鷲鼻わしばな。口や耳もやたら大きく、異相ともいえよう。端正な面立ちの半兵衛とは雲泥うんでいの差、月とスッポンの違いがある。

 半兵衛のお追従ついしょうを聞いて、官兵衛はムフフッと笑った。まんざらでもない様子である。

「そうよのう。わしの口のうまさを見込んだ半兵衛殿の申し出じゃ。断るわけにもいくまい。ムフッ、エヘッ、イヒヒッ」

「では、早速ながら、官兵衛殿のご主君、小寺政職まさもと様に織田家につくよう、とりはからっていただけますか」

「ウム。わが殿はアイーンしか言わぬバカ殿ゆえ、心配召さるな。大きなオッパイの山羊に、きれいな小袖を着せて、お戯れ用の腰元を織田家が送ってまいりましたと言上すれば、アイーンと喜び、織田に味方せよ、なにもくれぬ毛利など裏切れ、アイーン、アイーンでござろう」

 官兵衛の話したとおり、バカ殿はすぐ織田方に寝がえった。次の調略ターゲットは、播磨最大の豪族である三木城の別所長治だ。が、この天才的詐欺師の官兵衛をもってしても、長治はウンともスンとも言わない。

「困ったのう。官兵衛があの手、この手と繰り出しても、三木城はなびかぬ。やはり欲のない男を釣りあげるのはむずかしい。どうすべえ、半兵衛」

 半兵衛が端正な顔を歪める。

「どうすべえ、と申されても攻めるしかありますまい。ここは、死ぬ覚悟でイチかバチか。のるか、そるかの勝負どきでござろう」

「オミャー、軍師のくせにアホか。わしは戦いとうない。戦えば、血を見る。オミャーだって、わしだって無事とは限らぬぞ。刀で斬られると痛いぞー。槍でブスリと刺されると、死ぬぞー。敵の矢や鉄砲の玉もブンブンと飛んでくる。そんなヤバい合戦なんぞ、ゼッタイ、ヤダ、ヤダ。わしは長生きしたいんよ」

「では、どうしても合戦はイヤだと?」

 半兵衛が、この意気地なしのクソ猿め、といった目で秀吉を見た。

「オミャー、そんな目でわしを見るな。だいたいオミャーは武士の家で生まれたから、いざ勝負、いざ合戦なんぞと息まくのじゃ。わしは百姓あがりぞ。食いつめて、信長様の草履ぞうり取りになったら、猿、猿とかわいがられ、稀代のヒョーキン者としてたまたま取り立てられて出世しただけの男じゃ。そりゃ、わしだって、必死にはたらいたぞー。寒い冬、信長様の草履をフトコロの中に入れて温めて差し上げたこともある。清州きよすのお城で使うき木や炭、ろうそくをケチケチ節約して、信長様におめいただいたこともある。そんな猿知恵を使って、ペコペコ頭を下げていたら、不思議になんとかここまで来れただけの男じゃ。食うや食わずの暮らしが長かったぞー。ひもじい夜は寝られずに悲しいぞー。せっかく、おまんまが食えるようになったのに、ねねともやっと結婚できていまやニャンニャンだのに、戦さで死ぬのは、イヤじゃ。ゼッタイ、ゼッテエ、イヤじゃ。わしは、毎日おまんまをたらふく食べれれば、それでよい」

 ここで半兵衛がニヤリと笑った。

「おまんまでござるか」

「そうよ、人間おまんまがいちばん大事よ」

「では、それでまいりましょう」

「えっ、どういう意味?」

兵糧ひょうろう攻めでござるよ。これなら戦わずにすみましょう。しかし、言っときますけど、時間がかかりますよ」

「構わぬ、かまわぬ。死ぬよりマシ。ケガもしとうない。ヨシッ、それでいこう」

 かくして、三木城は兵糧攻めと決した。

 この作戦を秀吉は小六や大炊助に説明し、協力してくれるよう頼んだ。三木城の周りをさくでぐるりと囲み、あり一匹といえども城から出られないようにして、敵の兵糧をつんじゃ、おまんまが食えねば、敵は必ずや降伏するであろうと力説した。

 すると、小六が真っ先に反対した。

「アホか。それでは、ワイらの出番がないではないか」

 大炊助が秀吉をあざけった。

「要するに、オミャーは血を見たくないんじゃろ。死にたくないんじゃろ。ワイらはこれでも武士ゆえ、刀をふるって手柄を立てねばならぬ。兵糧攻めでは手柄を立てられぬわ。どうしてくれる。のう、小六アニイ」

 秀吉がキィーッとなって反論した。

「バカこけ。考えてもみよ。城を囲めば敵は外へ出られなくなる。外から食い物や武器も補えぬ。さすれば、ためこんだ戦費せんぴが一銭も使われず、城に残るではないか。オミャーらは城が落ちたら、それを奪えばいい。エヘッ、いい女も無傷のままよ。お宝ザクザク、美女ウジャウジャ。よりどりみどりぞ。ええじゃろ、ええじゃろ?」

 小六がにんまりと笑った。大炊助がゴクンとつばを飲み込んだ。


 秀吉は三木城近辺の村々の百姓たちに告げてまわった。

「ええか、木の柵一本につき、米二合じゃ。五本持ってくれば一升ぞ、オミャーら、米を食べておらぬであろう。えっ、どうじゃ。食べておるか?」

「うんにゃ、何年か前の正月に一度と、じい様が死にかけたとき、粥にして食べさせたことがあるくらいじゃ」

「じゃろう。かか殿や小さいせがれに米のおまんまを食わせたいであろう」

「まことじゃな。まことに米をくれるのか」

「猿に、もとい武士に二言はない。わが女房に嘘はついても、オミャーらに嘘はつかぬぞ」

「ああー、米が食える。ありがたやー、ありがたやー」

 こうした話は、あちこちの村にたちまち伝播でんぱした。

「米をくれるぞー。米が食えるぞー!」

 という歓喜の声が山にこだまし、谷に響き、川を渡った。

 そのわずか半月後、三木城は完全に柵で包囲された。村々からおびただしい百姓の群れが木柵もくさくを肩にかついで蝟集いしゅうし、三木城はたちどころに完全封鎖されたのである。

「これで、兵糧攻めはバッチリじゃい。エヘッ、すぐ城内には食い物がのうなって、戦意は衰え、開城するであろう。のう、半兵衛」

「腹がへっては戦さはできませぬ。落城、あったり前田でございます」

 ところが、三木城には一向に困窮した様子がうかがえない。半年経過しても、ヘイッチャラという雰囲気である。

 ――おかしい。なにかある。

 秀吉は怪訝けげんに思って、半兵衛をつれて前線の視察にでかけた。すると、不思議な光景が柵のそこかしこで見られるではないか。

「………ん? 半兵衛、あの足軽どもはなにをしておるのであろう。なにやら腰つきがあやしいぞ。クネクネ、もぞもぞ、シコシコしておる」

「はて?」

 秀吉は持ち前の大声を出した。背は五尺にも満たないが、声だけは大きい。

「オミャーら、なにをしておる!」

 その声にだれも反応しない。足軽らは一様に柵の隙間から内側をのぞき込み、われを忘れたようになにかに釘づけになっている。しかも、ふんどしからはみ出た一物を右手でつかみ、必死にシコっているのだ。いわゆる「せんずり」である。

 ――合戦中だというのに、とんでもないやつらめ!

 と、思いつつも、秀吉も柵の内側をのぞいてみた。すると、衝撃の光景が目の前に飛び込んできたのだ。

 なんと、大勢の美女が紅小袖の裾を割って、お股をカッパーンとおっぴろげているではないか。

 秀吉は絶叫した。

「ヒャーッ、こんな絶景は天国でも見られぬ」

 美女軍団の中でも、特にろうたけた色っぽい美女がなまめかしい声を出す。

「アッフーン、もっと近くで見たい人いる? ほら、ホラ、お股カッパーン」

 秀吉の周りで一斉に声があがった。

「見たい、見たいヨー」

「もっと近くで見たいヨー」

「観音サマー、弁天サマー、お願えでございますだ」

「そうだ、そうだ。もっと近くでご開帳、してくれいっ」

 そのとき、アネキぶんらしいチョー美女が、桃色のたわわな乳房を小袖の衿から丸出しにして、

「じゃあ、お願い。腰の兵糧をこっち側に投げてエ~。おむすびでも、干しいいでも、味噌漬けの芋茎ずいきでも食べれるものならなんでもいいわヨ~ン」

 と、甘い声でせがんだ。

 その声と同時に、足軽どもが柵越えに腰の兵糧をどんどん投げ入れた。

 秀吉も昼食用の握り飯の入った腰袋をあわてて投げた。

 半兵衛があきれて言う。

「それでは、敵の思うツボではありませぬか」

「たわけっ、オミャーはわし同様のアホか。こんな絶景、二度と見れるものではないぞ。信長様の妹君のおいち様は天女てんにょみたいにきれいじゃが、そのお市様はお股カッパーンはしてくれぬ。同じアホなら見なきゃ損、ソン。」

「アホ猿殿、もといっ、あるじ殿、いい加減にしてくだされ。これでは兵にがつきませぬ」

 半兵衛がそう言った途端、目の前に美少年があらわれた。蘭丸なんかメじゃない。ボーッといつまでも見蕩みとれていたいような壮絶な美しさである。

 美少年ははおるようにまとっていた薄物の小袖を、なまめかしくで肩からすべらし、下帯ひとつの姿になった。

 半兵衛が「おおっ!」と溜息ためいきまじりの感嘆かんたんを漏らした。双眼が血走るほど、美少年に釘づけになっている。美少年と半兵衛の視線がからみ合った。次の瞬間、美少年は腰の真っ白い下帯をはずし、半兵衛の目の前に裸の白いお尻を突き出した。菊の御紋がくっきりと見える。

 「わしゃ、むしゃぶりつきたい!」

 おネエ系の趣味がある半兵衛は、もう夢中である。いちばんの好物である卵焼きの入った腰の弁当袋を美少年に投げ与えたあと、はかまをずり下げて、一心不乱におのれの一物をシコりはじめた。

「わしゃ、たまらん」

 いやはや、もう大変。

 そんなこんなで、当初の頃、兵糧攻めはなかなか進展しなかった。だが、美女と美少年らの奮闘にも限りがある。城内の兵士たちは、次第に飢えはじめ、戦意喪失そうしつ。腹ペコで、槍や刀を持つ気力さえ失われた。

「華々しく合戦し、名をあげようと思うたのに、残念無念」

 と、歎息たんそくし、城主の別所長治は、秀吉に開城を申し出た。

「城主として切腹いたす。しかるに、城兵の命は助けてくだされ」

「なんと、ご立派なお覚悟と申したいところでござるが、オミャーはアホか。切腹したら痛いぞー。死ぬぞー。勝敗は武門の常ではござらぬか。負けるたびに切腹していたら、お腹ポンポンがいくらあっても足りぬぞ。わしは、血を見とうない。血がビャーッとでるのを見るだけで、気絶しそうになるくらい、どえりゃーおとろしい。切腹なんて、やめてくれいっ」

 このとき、ゴーヨク官兵衛が眉をひそめ、秀吉にひそひそ耳打ちした。

「殿、それでは安土の信長様がご立腹なさいますぞ。信長様は、あのとおり、討ち取った敵のガイコツを集めるのが大好き。越前の朝倉義景あさくらよしかげや、近江の浅井長政あざいながまさを討ち取ったときは、そのガイコツにうるしを塗って、それでカンパーイと勝利の祝い酒を飲んだこともあり申した。今回だって、信長様は長治殿のガイコツを待ち望んでおるやもしれませぬ。もし、その期待が裏切られたとしたら……?」

「ヒエーッ、もしかしたら、わしがガイコツにされる?」

「その可能性は十分に考えられましょう」

「ウッソー、信長様が集めておるのは人間のガイコツ。猿のガイコツではないぞー」

「腹立ちまぎれに、この際、猿のガイコツでもよいと言われるやもしれませぬ」

「キイーッ、キッキッ、モンキイーッ。それは、たまらん。わしは死にとうない。わしだけは長生きして、おまんまいっぱい、ねねとニャンニャンご所望しょもうじゃ」

「ならば、三木城陥落かんらくのしるしに、城主の長治殿の首を塩漬けにして、安土へ送りましょうぞ」

「信長様のご機嫌を取るためならば、わしはなんでもする。わしがいちばんこわいのは信長様じゃ。小姓頭の蘭丸殿にもヘコヘコ、ペコペコして、なんとかヒドイ目にあわぬようにしたいのじゃ」

「それでは、この官兵衛にすべてお任せいただけまするか」

 秀吉がコクリとうなずくや、官兵衛がニヤリとほくそ笑んだ。ゴーヨク官兵衛は、別所長治の首を安土城へと携えて信長に拝謁はいえつした上で、自分の手柄を述べ立てて褒美ほうびをたんまりともらうつもりであった。

 官兵衛は長治に言った。

「申し訳ござらぬが、おぬしに死んでもらわねば、いろいろと困ることがある。切腹、いいんじゃない。武士の誇りが保てるんじゃない。死んで将兵を助けた武将として、後世に立派、武士のかがみとヒョーカされるんじゃない。よかろう。見事、腹を召されよ」

 このあと長治は作法どおりに切腹し、官兵衛は当初の目論見もくろみどおり、急ぎ安土へと向かった。

 安土城で信長の前に深々と平伏して、官兵衛は申し立てた。

「姫路の官兵衛、秀吉様の軍師として、悪戦苦闘の上、ようやく三木城を落とし、ここに城主たる別所長治殿の御首級みしるしをご持参つかまつりました。ほれ、ごらんくださいませ」

 信長は首桶くびおけに入った長治を見て、上段の間から低い声を落とした。

「で、あるか」

 官兵衛は期待した。では、褒美を取らす、という言葉をである。しかし、信長から次の言葉がない。やむなく官兵衛は、嘘の手柄話をした。

「あのー。三木城攻めは敵の反撃著しく、弓矢、鉄砲玉の降りしきる中、この官兵衛、城内に真っ先に討ち入り、一番槍をつけましてございまする。そのあとは、当たるをさいわい、群がるバッタバタとなぎ倒し、敵の御大将おんたいしょうたる長治殿を討ち取った次第。エヘッ、エヘッ、エヘンッ」

 つと信長が口を開き、不興ふきょうげに毒を吐いた。

「官兵衛とやら、申したいことはそれだけか」

「ハエ……?」

「お蘭、褒美をくれてやれ」

 信長が冷たい声を発するや否や、森蘭丸が無言で官兵衛にりを入れた。狂犬の蘭丸は人を蹴ることに命をかけている。横倒しはダメである。自分の蹴った者がきれいに仰向けに倒れないと気がすまない。

 ところが、官兵衛は蹴られた腹部をおさえて、ブザマな横倒しになった。

「このゲス野郎。わが蹴りの美学を愚弄ぐろうしおったな。許せぬっ」

 蘭丸が蹴りを入れつづける。だが、なかなか官兵衛は仰向けに倒れない。

「ヒエーッ! 痛あーい。なんでそうなるの」

 秀吉は蘭丸のことを知りつくしている。蹴りを入れられたら、とにもかくにも、きれいにバッタリ仰向けに倒れることだけを考え、そのあとは「お許しを!」と叫び、蘭丸の前に這いつくばるのだ。

 だが、官兵衛はきのう、今日、秀吉に雇われた新参者である。蘭丸のことなんか、なにも知らぬのは当然といえよう。蹴りに次ぐ蹴りである。横倒しに次ぐ横倒しである。きりがない。さすがの蘭丸も息ぎれし、美学どころではなくなってきた。

 それを見た信長が、「もうよい」と蘭丸を手で制した。蘭丸が疲れて、夜のご奉仕をおろそかにすれば、信長自身が寝間で「チョー気持ちいい」と言えなくなるのだ。

 信長が官兵衛を冷ややかに見おろして、薄い唇を歪めた。

「官兵衛、猿に伝えよ。遅い、とな。たかだか小城の三木城ごときに、なにをダラダラ。予は機嫌が悪い、怒っておると申し伝えよ」

「ハハアッ!」

 官兵衛は五体の痛みに耐えて、信長の前に身を投げ出し、平蜘蛛ひらぐものように這いつくばった。そして、二度と安土城には足を踏み入れぬと心の中で誓った。ここは地獄の一丁目だ。こんな悪魔のような信長に秀吉は小者の頃から仕えてきたのだ。すごいと思わざるを得なかった。

 官兵衛がおそるおそる信長の前を辞去しようとすると、「待て」と信長が言った。官兵衛がギクリとして身を縮めた。

 信長がつづけて言った。

「われが不機嫌なことに加えて、もうひとつ猿に伝えよ。播磨の次は備中びちゅうじゃ。備中へ軍を入れ、高松たかまつ城を攻めよ、とな。今度、ダラダラしておったら、首を刎ねるとも言うておけ。わかったか」

 即刻、官兵衛は安土から逃げ帰るように戻って、信長の命を秀吉に伝えた。

 それを聞いた秀吉が仰天して絶叫した。

「信長様が怒っておられるだとー。まずいっ。高松城攻めなんかより、ひとまず信長様の怒りをしずめねばならぬ。アー、どうしたら、よかんべえ。どえりゃーことになったわい」

 秀吉はすぐ半兵衛以下、主だった家臣を集めて相談した。

「というわけで、信長様の怒りをしずめ、取り入るために、なんとかよい知恵はないものか。三人寄れば、ナントカと申す。みんなカラッケツの頭をよーく絞って、知恵をひねり出すのじゃ。ウンコは出すな」

 大男の小六が、真っ先に口火を切った。

「オホン、信長は美少年を愛好しておる。そこで、蘭丸以上の美少年を安土の城に送り届けるのじゃ。これにて、信長はヨダレを垂らして、喜ぶであろう。グヘヘッ」

 おネエ系の半兵衛が、これにすぐ賛成した。

「そうじゃ。播磨につづいて攻め取った因幡いなばに、すんごい美少年がおってのう。テヘッ、いま、それがしが囲っておる。手離すには惜しいが、あの者を安土へ送ろう。よき案じゃ」

 この案に、秀吉がみついた。

「オミャーら、なーんもわかっておらぬ。安土城に巣くう悪魔が信長様なら、蘭丸殿は悪ガキの残酷な小悪魔よ。もし、因幡の美少年を安土へ送っても、蘭丸殿が嫉妬しっとに荒れ狂い、その者はすぐ蹴り殺されよう。それに、わしだって、いつか余計なことをする猿めと蹴り殺される。できぬ、それはできぬ相談よ」

 小六の隣から大炊助が口を出した。

「ならば、銭を送るというのはどうじゃ。あれはわしも大好き。みんな喜ぶ。」

 秀吉が「いいね!」と手をった。

 腕組みしていた半兵衛が、思いついたように言った

「もうすぐ正月。妹君のお市様に新年の晴れ着を送るという手もある」

「いいね!♡マーク、ぽちり~」

 と、秀吉がまたしても手を拍って、自分の考えを述べた。

「信長様は馬好きである。名馬をことのほかでられる。馬も送ろうぞ」

 衆議はこれにて一決した。備中高松城攻めの作戦なんか、そっちのけである。

 秀吉が麾下きかの武将や兵どもに大声で命じた。

「占領した播磨、因幡などの国から名馬、金銀、名刀、金糸銀糸の打掛うちかけ、目にもあやな小袖などを集めよ。よきものが集まらぬ場合は、わしのたいしたこともない首が飛ぶ。たいしたこともない首ではあるが、痛いのはイヤじゃ。ゼッタイ、ゼッテエ、死にとうない。よいか。唐天竺からてんじくまで駆けめぐっても、よきお歳暮を集めるのじゃあー。信長様にニッコリして、ホメホメしてもらうのじゃあー」

 秀吉一世一代の「信長様ご機嫌とりお歳暮大作戦」がはじまろうとしていた。これでもせいいっぱい、なけなしの猿知恵であった。




 


 


 




 

 

 


 



 





 




 


 


 


























 



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