エピローグ
少しカフェで時間を潰したあと、18時開演のコンサート会場へ向かった。念の為一時間前に会場に到着したが、会場の外には既にたくさんの人が列を作っていた。
30分程並びやっと会場の中へ。チケットに記載された席へ向かう。
席は後ろの方だったが、中央に位置する席だったため、舞台ははっきりと全容が見えた。
胸をドキドキさせながら、開始を待つ。ブザー音がなり、鑑賞中の注意案内が始まる。
席を立たない。声をあげない。アンコールは禁止。サイリウム等禁止。まあ、当たり前のルールだ。そもそもサイリウムなんて持ってくるやついるのか?アイドルじゃあるまいし。
再びブザー音が鳴る。案内の終わり、そして、演奏の始まりを表すブザー。
指揮者が観客に一礼。そしてすぐに背を向け、腕を上げる。もう一度腕を勢いよく降り、演奏が始まる。
美しいトランペットの音、ピアノ、チェルン、シンバル、バイオリンにトロンボーンその他諸々。どれもこれも違う楽器なのに、それを一つにまとめあげ親和をもたらしている指揮者には脱帽だ。
懐かしい匂いがする。ピアノの音。とても好きな音。全てを忘れさせてくれるような、甘美な音。壁の裏、朝焼けに染まる自分を思い出す。
それに、この音は、すごく奏の音色に似ていた。
今君は、どこで何をしているんだろうか。
もしかしたらこのピアノは、君が弾いてるのかもしれない。
その後、何曲も奏でられ、その度に酔いしれ、心地がいい。
会場に響き渡る拍手。最後はピアノソロの演奏のようだ。
ピアノと、その奏者にライトが当たる。
なぜだかこちらまで緊張してしまって、思わず唾を飲む。
奏者が息を吸い、鍵盤を撫でるように弾き始めた。
それは、聞き覚えのある、曲だった。
「...月光」
言葉が身体を這い出して行く。
「橘花...さん?橘花...奏...」
席を立つ。
「ちょっと君...座りなさい。」
隣の小綺麗なスーツの老人がそう小声で言い、僕の服を引っ張る。
老人の言葉は、全く頭に響かなかった。
儚げなメロディ。憂いを含んだその音色は、奏そのものだ。
間違いない。この奏者は、奏だ。
スタッフがこちらへ駆けてくるのが見える。
でももう、そんなこと、どうでも良かった。
「奏!!!!僕、待ってるから!ずっと、ずっとあの家で!!」
演奏がピタリと止み、奏がこちらを見ている。
よく顔は見えないけど、微笑んでいるような、気がした。
会場が騒然とする。
それもそうだ。大の大人が、子供みたいに叫んで、取り乱している。
迷惑客だ。ああ、俺は、捕まるのだろうか。
複数人のスタッフに腕を抑えられ、別室に連れて行かれそうになる。
最後の力を振り絞り、スタッフを振りほどく。
「こら!待ちなさい!」
「おい!待て!」
聞こえない。聴こえない聞こえない聴こえない聴こえない聞こえない!
会場を出て、あの場所へ向かう。月明かりが僕を照らしている。
影を孕んだジャングルジム、赤い花弁が照り輝く花屋。路傍の裏を潜り、向かう。少し開けた住宅街の中、それはある。
赤い屋根の、お城のような家。浩一はもうそこにはいなかった。
階段をのぼり、2階へ向かう。【奏の部屋】と書かれた表札の扉を開き、ピアノの前に座る。
埃まみれのピアノ、外れた調律。思うように、手が動かない。
月光に照らされて、僕は想い出す。君と過ごした、あの日々を。
気付いたら僕は、眠ってしまっていた。
外は段々と色付いており、
花壇のルピナスがきらきらと輝き始めていた。
「やっと起きた。そなたくん。」
「...奏?」
僕の隣に、奏が座っていた。やっぱりあの奏者は、奏だった。雪のように真っ白な肌。紺色のドレス、どれをとっても美しく、妖精のようだと、僕は思った。足のヒールはとても汚れていた。
「か、かな、奏って...!いきなり下の名前で呼ばないでよ。ビックリしちゃった。」
彼女は顔を赤らめて俯いた。
「そういえば、早く、聞かせてよ。春休みの、趣味交換会。私まだ、そなたくんの、きいてないから。」
彼女には聞きたい事がたくさんある。でも今は、そんなことどうだっていい。今はただ、この時間を過ごしていたい。
「うん。いいよ。」
外れた調律、覚束無い手。ゆっくりと、ゆっくりと、『月光』を弾く。
隣で奏が泣いている。
「遅くなってごめんね。そなたくん。」
窓から陽の光が差している。それは、仄かに、美しい朝焼けの匂いがした。
『月光と少年』
【完結】月光と少年 うすい @usui_I
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