(5)最終話/俺はきみの膵臓を食べない
気が付いたときにはもう、俺は倉庫を飛び出していた。ロッカさんが驚いて俺を呼んだときは後ろ髪を引かれる気がしたが、結局俺は意地を張るようにそのまま外へ逃げた。
得体の知れないものや、答えのわからないものに抱く恐怖心は漠然としていて、案外怖いと感じないのかもしれない。それよりも、今の俺はなんだか怒ってるみたいだった。怖すぎて逆ギレしているのか、勝手に裏切られた気がしたのか、どちらかはわからない。
「トモユキ!」
こんどは思わず振り向いてしまった。いつの間にか、俺のすぐ後ろにエルメさんとソンテさんが立っている。
エルメさんは険しい表情だけど、多分ものすごく俺のことを心配しているか、困っている顔だ。怒ってはいない、と思う。右手が白くなるほど強く、俺が棄てたあの御守りを握っている。
悪いことをしちゃったな、と思うのと同時に、俺の口からぽろりと言葉がこぼれた。
「なあ、エルメさん。やっぱり一緒に戻ろうよ。おれはきっと死ぬまで『異世界人』になれない。エルメさんもそうじゃない? 俺はエルメさんが向こうでどんな生活をしてたのか全然知らないけど、どんなに嫌いなところでも捨てきれなかったから、今までずっと行ったり来たりして、迷ってたんじゃないの?」
エルメさんの顔を見ていたら、なんとなくそう言わずにはいられなかった。なぜか今は、眉根を寄せて俺を睨むエルメさんが、まるで声を殺して泣いている小さな女の子みたいに見える。
「トモユキはどうして逃げたんだ。何が嫌だったんだ」
「い、嫌なことなんかされてないよ。いい人ばっかりだったし、優しくしてもらったけど、でも! そういうことじゃないでしょ!」
エルメさんはよくわからないという顔をした。そうだ、エルメさんは俺がロッカさんと話したことを知らないから。
「今日、お葬式があったの知ってる?」
「知ってる。ロッカが出かけたから。……弔いが気に入らなかったのか?」
「き、気に入らないって、なに? その言い方! 『食人』してるんだよ? そんなの絶対に、許せるわけないじゃん!」
思わず俺はむきになって怒鳴ってしまった。エルメさんが顔色を悪くして俯いてしまったので、咄嗟にごめん、と付け加えたが、多分もうダメだ。なんとなくわかる。
「今日の葬式で、ロッカが亡くなったおじさんを調理して、それで傷ついたのはトモユキだけだ」
エルメさんはやっと聞き取れるくらいの小さな声でそう言う。
「確かに死んだ人に包丁を入れるのが可哀想だと言う人もいるから、土葬のほうが多い。食べるのは古いやり方だけど、それで救われる人も沢山いる。
俺は泣きたい気持ちだった。エルメさんは日本で仲間外れにされて、日本人になれなかった女の子。でも俺と同じ日本人の感覚を持っていて、この世界の変な感じも共有できる、そんな子だと思い込んでいたから。
「エルメさんは自分が食べられるのが怖くないの?」
「怖いもんか。だって死んだ後だろ。遺された人が好きにしたらいい。もしわたしを捌くのがロッカなら、本当に何の文句もない」
エルメさんの声は澄んでいた。嘘偽りない気持ちを話してくれているんだ。俺はいよいよ寂しくなった。
そっか。出会ったとき既にエルメさんと俺は、決定的に違うところがある人間同士だったのか。
俺は『それ』を受け入れられない理由をうまく言えない。だけど、生理的な嫌悪というのだろうか。そんな風習がまかり通っている世界で生きていくのは、どうしても嫌だった。
俺はこの異世界のルールと常識を許せないけど、エルメさんはそれを受け入れた。だから俺と違って、彼女にはここで暮らしていくという選択肢があるわけだ。
俺はエルメさんより器の小さい人間なのかもしれない。
だけど、それをやってしまったら、自分が自分でいられなくなるかもしれないと恐怖するほどのタブーが、俺の場合はきっとたまたま、それだったんだ。
殺人とか強姦とか虐殺とか、そんな『極悪非道』に対する嫌悪はもちろん以前からある。少なくとも今まで、俺はそんな酷いことをするもんかと思って生きてきた。
だけどエルメさんは、もし自分が明日死んでしまって、その身体を料理されて俺に食べられても、それを「酷いこと」とは思わないらしい。俺はそんなのって残酷だと思うのに。
俺が今までしないように心がけていた「酷いこと」って何だったのかな。酷いことと思わずに酷いことをしていたこともあったのかな。
あっただろうなぁ。だって俺だって、そういうふうに傷つけられて、それを誰にも言えなかったことがある。
俺は、エルメさんが給食の納豆の話をしていたときのことを思い出した。
心の中で大切にしてるものとか、誰にも触れてほしくないものや、嫌なこと、言われたくないことって、目に見えないけどみんな全然違うんだ。本当に、他人には想像が及ばないくらい各々に。
そこまで考えたら、なんだかもう途方もなさすぎて、俺はよくわからなくなってしまった。
「案外、自分が絶対に許せないことって色々あるもんだね」
ぽろりとこぼれた俺の独り言に、エルメさんは「うん」と頷き応えてくれた。
* * *
「日本に帰るまで独りになりたい」という俺の願いはすぐに叶えられた。エルメさんがソンテさんに交渉をしてくれて、黒の国、とかいう、エルメさんが住まう土地から遠く離れた国で一泊した後、俺はソンテさんに連れられて日本へ戻った……のだと思う。
まずソンテさんと再び藤京学院へ向かった。そして襖のある和風の部屋へ連れられ、その襖を開く。そこまでは覚えているのだが、後の記憶がどうも曖昧だった。
というのも、気づいたら俺は病院のベッドで横になっていて、異世界でのことがまるで交通事故後の臨死体験、はたまたただの夢、と疑わざるを得ない状態だったのだ。
一緒に日本へ来るものと思っていたソンテさんとも、襖の部屋で離れてしまったのか、それきり会っていない。
二ヶ月ほどの入院生活を終えて、俺は再び灰色のブレザーの制服を着こみ、平凡な男子高校生へと復帰した。
久しぶりの電車通学はシンプルに辛いけど、まあこれくらいは慣れたもんだ。それよりも久しぶりに履いた革靴のほうが気になる。しばらく履いていなかったせいか、俺の足が大きくなったのかわからないが、学校へ着くだいぶ手前で靴擦れしてしまった。
そういえば、理天学院の子は裸足の子が多かったな。ユノンさんも尻出してゴロゴロしてたし、休日の自宅では裸族ですってタイプが多そう。
折に触れて、そんなことを考えてしまう。
今や俺があの異世界のことを考えない日はなかった。あれだけ嫌悪を丸出しにしてエルメさんに怒鳴ってしまったけど、今では面白かったことや楽しかったことばかりを思い出す。直接的に痛い目を見たわけじゃなし、それもそうか。
痛む足を引きずってなんとか登校し、教室へ行く前に保健室へ向かった。
保健の先生は職員室へ行っていて不在だが、絆創膏くらい勝手に探して持って行っても構わないだろう。
保健室なんて普段全然利用しないので、どこに何があるのやらわからない。が、ふと後ろを振り向いたら、なぜか床にぱらっと絆創膏が落ちていた。四枚だ。いや、俺が欲しいのは三枚でいいんだけど。
ちょっと不思議だが、ここはありがたくいただこう。俺はその辺にあった椅子へ腰かけ、靴下を脱ぐためヨイショと屈んだ。
「貧相なケツしてんな」
俺のすぐ頭の上で、誰かがひっそりと呟いた。低くて囁くようだけど、女の人とわかる声。
俺は慌てて顔を上げた。周囲を何度も見渡したが、保健室の中はしんと静まり返っていて他に誰かがいる様子はない。ドアも窓も閉まったままだ。
「エルメさん?」
恐る恐る、その名を呼んでみたが、誰かがそれに応える気配はない。
ふと、微かな違和感を覚えて足元を見る。
違和感の正体はビーズの付いたミサンガだった。俺の足首にミサンガが結んである。俺はこんなものを付けた覚えはない。けど、このミサンガは確かに俺のものだ、それは間違いない。
でもきっと、これにはもうTPS機能もGPS機能も付いていないんだろうな。
エルメちゃん、あんなふうに言ってたけど、やっぱり御守りとかを粗末にできないタイプなんじゃないか?
だとしたら、俺も実はそうなの。これも地面にポイするのが憚られたから木に巻いたんだ。バリのお土産のお面とかおまじないの人形とか、なんか捨てにくいよね。
そんな話を、もっとしたかったなぁ、きみと。
きみのことをずっと覚えていたら、幽霊みたいにどこかをうろうろしているっていうきみを、俺は見つけられるだろうか。
そういえば俺と話しているとき、彼女はあまり笑ってくれなかった。
「俺たち馬と鹿の仲じゃん!」って言ったら、少しは笑ってくれるかな。あとであの流行曲DLしておこうかな、いつかきみに聞かせたいから。なんて、ね。
【1.7万】異世界で日本人少女と運命の恋!? と思ったのにジャンルがカルトホラーだった【凱歌のロッテ お試し版】 平蕾知初雪 @tsulalakilikili
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ガチ日記2023/平蕾知初雪
★18 エッセイ・ノンフィクション 完結済 120話
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます