(4)フツメン・ミーツ・フツメン
待って待って待って。逃げなきゃ、逃げないと食われる。調理師は人を捌いてもいいってなんだよ、おれの命より国家資格のほうが強いの!? 異世界のコンプライアンスはどうなってんだ! 助けて日本国憲法!
しかし逃げるってどこに……逃走は北へと相場が決まってるらしいが、北はどっちだ。なんで太陽がないのに東西南北の概念があるんだ。やっぱり異世界怖い。
不安が不安を煽り、俺は逃げるどころか動けなくなってしまった。エルメさんに絶対失くすなと念を押されたキッズスマホ……じゃない、御守りも、このまま持っていたら危険だ。どこに隠れても見つかって捕らえられてしまう。エルメさんが巻いてくれたものだから本当は名残惜しいが、おれは頭から紐を外し、その辺の木の幹にくくりつけることにした。
「あれ? かくれんぼか?」
背後から人の声がして、思わず俺は飛び上がる。泣きそうになりながら振り返ると、見たことないお兄さんが大きな籠を背負って立っていた。
「さっき子どもたちがきみのことを探してた。ここにいるとすぐ見つかるぞー」
「ヤダ! うそ! 食べられちゃう!」
よほど俺のうろたえっぷりが酷かったのか、お兄さんは心配そうに背中を撫でてくれた。これから俺のこと食べるくせに、あんまり優しくしないでよ。しかし俺や子どもたちの言葉の端々から事情を察したのか、お兄さんは声を上げて笑った。
「そういえば最初の頃はエルメたちも、神様を食べていいのかって驚いてたっけ。まあ、神様と言ってもおれたちが食べるのはただの鹿だから。さすがに人の形をしてたら、たとえ神様でも狩って食べるのは遠慮するよ。人殺しみたいで気分が悪いだろ」
んンンンッだよねえぇ~ッ……!?
よかった……異世界の倫理観ヤバヤバのヤバなのかと思ったけど、思ったより普通、というか日本国憲法に近い。助かった。
聞けばこちらのお兄さんは本日非番の教師、名前はロッカさん。用事から帰ってきて早々、ワクワクしている物騒な子どもたちから俺の話を聞いたらしい。この人も異世界人への適応が激早だ。
ロッカさんは身長や体格が俺と同じくらいで、これまで出会った男性陣に比べると小柄なほう。
ロン毛ではあるが、金髪でも青い瞳でもないし、俺から見て特別目立つ点はない。聞けば歳は二十歳。工業系の高専とかに行ってそうな年齢だ。そんな彼の至って素朴なフツメン感に、俺はシンパシーを感じまくって好感を抱いた。
暇ならついてきてほしい、とロッカさんに言われ、北だか南だか知らないが、俺は寮館とやらのほうへ向かうことになった。
「まだ何もわからなくて不安だろうけど、あの子たちがしてるのはただの『ごっこ遊び』だから、気にしなくていいよ」
優しい。俺がこんど異世界の悪役令嬢に転生してしまったら、身分違いの幼馴染みたいなポジションでそばにいてほしい。チュートリアルの説明役もお願したい。ねえねえ、彼女いるの? 好きな人は?
「いないけど……なんで?」
「いや、思ったことがうっかり口から出ただけです」
俺、シンパシーを感じまくっているせいでだいぶ気が緩んでるな。
「なんというか……おれはどちらかというと女の子のほうが好きなんだ。少なくとも今はそう自覚してる。もしそういう意味だったらごめんな」
な、なんて? そういう意味とは……?
ロッカさんの話を噛みしめるように聞いて、おれはゆっくりと理解した。なるほど、異世界ではBLも百合も普通に入り乱れてるということか。
ロッカさんの話す感じだと、特に最近になって多様性に寛容化したわけでなさそうだ。
そういえば理天に来たばっかりのとき、おじさん二人がキャッキャ言いながらハグしているのを見た。
てっきり「カープが勝ったときの広島県民みたいなもんかな?」と思ってスルーしていたが、あれはBLだったのか。BLというか、爺Lだったけど。
「トモユキは冥裏郷育ちで困りごとが多いだろうから、こっちで暮らすなら
「ニイニイ?」
この異世界ではお年頃になると、信頼できる年上の人に
そして好きな子ができると、その子の吾兄あるいは
吾兄システムがうまく働けば、頭の中ワーッてなっちゃってる思春期男子と非力な女の子、そのどちらも年長者二人で守ることができるというわけだ。
ちなみに吾兄制度が生きているのは田舎が多く、都会では廃れてることもあるという。うん、確かに兄貴と舎弟な感じが田舎臭い。
もっと話を聞きたかったが、話している間に目的の場所に着いてしまった。寮の一部らしいが、一見すれば広い倉庫のようだ。ロッカさんは背負っていた籠から色々なものを取り出し、てきぱきと収納していく。
「はぁ、参ったよ。今日は出かけるつもりだったんだけど、近所のお葬式に急に呼ばれちゃって。明日も休みにしてもらったけど、少し仕事しておかないと」
「それは、えっと、ご愁傷さまです」
ロッカさんはでっかい鍋みたいなものをドンと台に置いた。よく見ると、向かいの壁には大きな肉切り包丁が何本も掛けてある。他にも野菜や果物のようなものをボンボン台の上に置きながら、ロッカさんは「いやぁ」と間伸びした声で答えた。
「おれはちょっと手伝いに行っただけで。近所の人って言っても、亡くなった人とはあまり面識もなかったし。ただ、その人の妹さんとかには昔から世話になってるから、断るのも悪いと思ってな」
どうもお葬式でてんやわんやになるのは異世界でも同じらしい。結婚式と違って日取りが決まってないのだから当然か。
親戚がわんさか集まって、おばさんたちが沢山料理を作ってお酒をふるまい、楽しみながらもみんなで故人の思い出話をする……不謹慎ながら、俺はそんな宴会状態の家の中でこき使われ、たまに酔ったオッサンに絡まれ、慌ただしく配膳したりお酌をするロッカさんを想像して、微笑ましい気持ちになった。
と、思ったのだが、話を聞いてみると、どうやら俺の想像より大切に扱われたようで、ロッカさんはお手伝いの報酬まで貰って帰ってきたらしい。
「今日は調理師として仕事をしに行ったから、そりゃ謝礼も出る」
「調理師?」
正直それ、今日の俺には自分で言うのも嫌な言葉ランキング一位なのだが……。
しかしロッカさんは教師なのだと思っていた。兼業なんだろうか。それとも料理の先生?
ロッカさんは俺に包丁を渡し、ピンク色のお肉をミンチにするよう指示した。正確にはお肉ではなく、お葬式に来ていた漁師さんから頂いた魚肉らしい。あまり包丁を握った経験はないが、魚なら柔らかいだろうし、俺でもペーストにできるだろう。
チタタプ!と一回だけ言って、俺はトントンしながらロッカさんとお喋りを続けた。たまにしかしないけど、コロッケ丸めたり餃子包んだりさ、料理してる時のお喋りってなんか楽しくなっちゃうんだよね。
「理天学院は昔から常駐の先生が少なくて、おれが小さい頃は飯支度を交代でやってたんだ。朝は先生じゃなくて、年長の子が早起きして作ってくれた。ずっとそんな状態だったから、自分が飯係をやろうと思って。調理師や教師になったのは最近だけど、ここにいる期間で言ったらおれはだいぶ古株だよ」
「良い話……最初は調理師って物騒なイメージだったけど」
「物騒か?」
「いや、子どもたちの『ごっこ遊び』なんですけど。あの子たち、なんか俺を捌かせようとしてたでしょ、ロッカさんに」
俺の説明にロッカさんは合点し、穏やかな声で笑った。
「今日はもう一人捌いてきたからなぁ。明日は休みだし、明後日なら捌いてやってもいいかな」
「そっか~」
あははは、と笑いながら、俺は包丁をトントンし続けた。
待て。
捌いてきた? 何を。葬式の手伝い? 何への謝礼だ。
調理師は人を捌いてもいいって? いや、あれは子どもの『ごっこ遊び』なんかじゃない、それは「先生が言ってた」と聞いた。
人殺しは気分が悪い? なら、最初から死んでる人間はどうなる。
なあ、俺がミンチにしているこれは、本当に魚肉か?
頭がおかしくなる前に、俺は考えるのをやめようとした。額からは汗が流れてきて止まらず、手が震える。もはや包丁を握っていられないほどだった。
この人は、人が死んだ家で何をしてきたんだ――?
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