七日目 雨ふる火曜日(5)

  ✄




 朝の一件以降、その日一日は何事もなかった。


 クラスはしんとしていて、昼休みも各自がひとりで食事を取っていた。


 会話なし、笑い声なし、人によっては時間を持て余して予習しだす人間もいたくらいだ。


 人と人のつながりが消失した教室で、俺と夢崎だけがつながっていた。


 夕方、学校からの帰路についた俺たちはふたりで帰っていた。


 まだ雨はふっている。ふたりで傘を差して歩く。白黒の視覚に夢崎の持つ傘の色味は映らない。黒い傘を差しているように見える。ちなみに俺はビニール傘だ。


「そういえば、もう七日目も終わるね。このまま生き延びるのかな」

「わからないけど、もうこのまま生かしてほしい気分だね」


 ね? 姉さん? と自分の肩口に乗る姉さんに目配せすると、にこっと姉さんは微笑み返してくれた。


 そういえば、七日目を超えると〝能力〟はどうなるのだろうか。


 このまま使えるのか、それとも使えなくなるのか。


 使えなくなる場合、姉さんは見えるのか?


 帰ったらそんな話を姉さんとしようと思っていた。


「よっ、サバイバー中本くん」

「茶化すなよ」

「どうやって中本くんは生き延びたの?」

「俺の〝能力〟は人のつながりを断つ力だったみたい。これで、クラスのつながりを全部切ってやった」


 あの静かな教室を見て、なにか大変なことをしてしまったんじゃないかって思ってしまう。たとえば夢崎とのつながりが切れたらどうだ。絶望しかないだろう。


 そういう〝能力〟なのだ。俺の力は。


「クラス?」


 夢崎がきょとんとする。どうも夢崎の様子が変だった。


「あ、うん。中本くん、さっき、マジでキレていた、ような気がするけど、なんだっけ」


 どうもあいまいに答える夢崎。もしかすると、クラスメイトたちと夢崎をつなぐ糸を切ったから、記憶とか関心とか、そういうのがあいまいになっているのかもしれない。


 だとすると俺はなぜはっきり記憶があるのだろうか。これも〝能力〟の力なのだろうか。


 わからない。まだ謎の多い力だと思う。


 ともあれ思うことがある。


「薫子さんが隠された力について教えてくれなかったらやばかった。たぶん、殺人鬼になっていたと思う」


 事故にあった薫子さんを思い出す。あの日も、何もなかったと気を抜いているときに、あの事故が起こった。


 そのときだ。


 ドン、と家の物陰からだれかが飛び出してきて俺にぶつかった。


 俺は飛ばされ尻餅をついた。尻が水浸しになった感覚と、腹に燃えるような激痛が走った。


 きゃあ、と夢崎のつんざく叫び声が聞こえる。


 血の匂いがする。錆びた鉄が腐ったような匂い。


 腹を見ると、黒い血が制服に沁みてきた。


 どくどくと俺の命が漏れていく感覚がした。


 あれ? 痛い、立てない、血が、なんで。


 血が出ないように強く止血しようとするが手に力が入らない。


 なんで? うそ。なんで?


 目の前には俺の血がべっとりとついた包丁を持つ男が息を荒くしていた。


「何してるの! お兄ちゃん!」


 お兄ちゃん? ああ、夢崎の兄か。


 座っていることも難しくなって倒れてしまった。耳に水が入った。


 まじかよ。七日目……乗り切ったと思ったのに。


「中本くん! 中本くん!」


 夢崎が止血してくれるが助かる気がしない。よく激痛に苛まれると脳内麻薬が出て痛みがやわらぐと言うが、あれはうそだ。しゃべれないほど痛い。


「もう中本と関わるなよ!」

「なんでこんなことするのお兄ちゃん!」

「お前が中本と関わるからだよ!」

「そんなことより救急車呼んでよ!」


 夢崎は自分のスマホを操作するがガタガタと震えてスマホを落としてしまう。


「なんで……俺、刺されんの?」


 自分の死ぬ理由くらいは知りたい。


 問うと、雨の中、傘も差さない兄は言った。


「俺たちがお前の姉ちゃんを殺したからだよ」

「は?」


 心臓が止まったかと思った。


 俺たち……この兄と夢崎が姉さんを殺した?


「どうせ妹もおまえに言ってないだろうから」


 そう言って兄は姉さんの死の真相を口にした。


 親戚の集まりでこの島にきたとき、足を滑らせて海に落ちたこと。そこに俺の姉さんが助けてくれたこと。自分は助かったが姉さんは岸まで泳いで上がるから先に帰ってと言われたこと。


「おまえの姉さんが〝能力〟で溺れていた俺と場所を変わってくれたんだよ。たぶんテレポーテーションみたいなやつ。岸にいた自分と、溺れていた俺の位置を交代させたんだよ。自分は泳いで浜辺から上がるから先に帰ってて、って言われて俺たちは先に帰ったんだけどよ」


 もうあたまが処理できる情報量を超えていた。


 姉さんが〝能力〟が使えて、それで夢崎の兄を助けて……。


「東京に帰ったあと中本の姉さんがあれから溺れたって知るしよ。それに今度は島に引っ越すって、人を殺したところでのうのうと暮らすとか最悪だろ」

「だからってなんでこんなことするの!」


 夢崎は泣きながら叫ぶ。俺の血を必死に押さえてくれている。


「お前が中本に関わるからだよ! もう関わるんじゃねえよ。俺たちのせいでこいつんちぐちゃぐちゃだっただろ? もう何しても無駄なんだよ」

「だからって」

「パワーサーフが壊れたとき、お前、『よかった』って思わなかったか?」


 夢崎がびくんと反応した。


「あれ、お兄ちゃんがやったの?」


 夢崎が唖然として聞くと、兄はニタアと笑った。


「中本」

「やめて!」

「こいつ、毎日パワーサーフに乗って、お前の姉ちゃんの遺留品がないか探していたんだぜ」

「やめてってば!」

「毎日、毎日、罪悪感に苛まれながら。パワーサーフが壊れてほっとしただろ。もう探さなくていいやって。俺が壊してやったのにまだ中本と絡むとかドMかよ」

「やめてよ……」


 図星か、と兄は笑う。


 ごめんね、ごめんね、中本くん、ごめんね、と夢崎は泣きじゃくりながら俺に涙を落としてくる。


「俺たち中本が生きていたらどうせ辛いんだよ。もうダメなんだよ。だから殺して、忘れるんだよ」

「めちゃくちゃだよ、お兄ちゃん! 意味わかんない、意味わかんない」


 そうか。そういうことか。


 夢崎が俺に手を差し伸べてくれたのも、そういうことだったのか。


「言ってくれたら、よかったのに」


 罪悪感を抱きながら人のそばにいるって、辛かっただろう。


 けどこれだけは伝えたい。


 きっと姉さんは恨んでいない。


 人助けしたことを後悔するような人間じゃない。


「だから夢崎……」


 気にするな。


 そう言おうとしたけど、もう言葉を発する力は残っていなかった。


 ああ、やべえ。


 このまま俺まで死んだら、夢崎は悲しむだろうなあ。


 そのときだった。


「一夏……さん?」


 夢崎が姉さんの名を呼んだ。


 後ろを見ると、スライム型の姉さんは、光りながら人型に戻っていた。


 そして姉さんは夢崎の目線が合っている。




 ――つまり、〝能力〟が使える人間に姉さんは見えるってこと?


 ――まあ、そう言った方が近いかも。




 姉さんとの会話を思い出す。


 つまり、夢崎が姉さんを見えているということは――


『夢崎さん、自分を責めないで。あれはあなたのせいじゃない』

「うそ。お兄ちゃんが溺れなかったら」


 姉さんは夢崎に腕を回す。


『ほんとうにあれは夢崎さんのせいじゃないの。助かってよかったって思ってる。だから自分を悪く思わないで』


 夢崎は姉さんの腕の中でわんわんと泣き出した。ずっとこらえていたものがあふれ出るように。


「お前、何ひとりでしゃべってんだよ」


 兄が夢崎の肩を掴みそうになって、俺は念じた。


『切れろ』


 夢崎と兄のつながりを切ってやる。


 これから俺が死んで正式に人殺しとなる兄とのつながりを持つことは、夢崎にとってきっとマイナスだ。


 こんな兄なんか忘れて悠々と暮らして欲しい。


 兄はなんで包丁を持ってんだ、って顔して包丁を投げ捨てた。


 ああ、もう、そろそろか。


 視界が次第に白くなっていく。あたまが痺れて、全身の感覚がなくなっていく。


 これが死ぬって感覚か。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る