七日目 雨ふる火曜日(4)
「なんだよ同情って」
気づけば青木に対してすごんでいる俺がいた。〝能力〟を手にするまで、こんなことをするとは思ってもみなかった。もう止めることができない。
「は?」
青木が俺を睨む。
「同情ってなんだよって言ってんだよ」
「お前調子乗ってんじゃねえよ」
青木が俺の胸ぐらを掴んで頭突きをしていた。一瞬のことで対処できず、目の前がチカチカした。遅れてくる鈍痛。キャア、とかクラスのやつが声を上げてる。
「痛ってえな!」
「ちょっと青木くん、やめてって」
夢崎が青木の腕を抱えるように掴んで止めさせる。「うっせえ!」と青木が乱暴に腕をはらうと、夢崎がうしろに倒されて机にあたまをぶつけていた。
だれかの金切り声が聞こえる。同時、自分の心臓の音がうるさいくらいに響いていた。
どくどくどく。
どくどくどく。
どくどくどく。
自分の心臓の音を聞きながら、すぐそこにある青木の首に指を添えた。
『切れ』
殺す。殺そう。
強い殺意に支配されたとき、
「中本くんやめて!」
夢崎の声が聞こえた。
「ってか、なにやってんだよ」
触んな、と青木は俺を振り払った。
「だいじょうぶ?」
夢崎がとなりに来てくれた。俺は首肯する。のどが糊づけされたみたいに声が出なかった。
「っていうかなんなのそれ。マジで付き合ってんじゃん」と青木。
「付き合っていないし。友達だよ」
「中本と友達とか笑う」
「しゃべったら案外おもしろいよ、中本くん」
「陰キャな時点で無理だし」
「なにがそんなに気に食わないの」
青木がさも自分は正しいといった表情をしてクラスの中心で主張する。
「輪を乱すんだよ。みんなクラスで楽しくやってるのに輪が乱れる」
「それってそんなにだいじなの?」
「そりゃだいじだろ」
「それはだれかをいじめてまでだいじにするもの? べつに各々気が合う人と仲良くすればいいんじゃん?」
夢崎の言葉は正しかった。その正しさは青木には伝わらない。
青木は鼻で笑い、自分の配下に目配せする。こいつ何か言ってるよ。そんなことでも言いたいのだろうか。
そのときだ。
担任が朝礼にやってきて、クラスの惨状に目を丸くした。
夢崎の机はびちゃびちゃで、ほかの机や椅子が散乱している。
「ど、どうしたんですか?」
「夢崎さんが朝から暴れて、でも大丈夫でーす」
青木が言う。クラスのボスである青木が言うことに、担任もそうですかと納得することしかできない。そして青木は追加でこんなことを言った。
「けどなんか謝る代わりに窓から飛ぶって言ってまーす」
は?
「僕たち止めたんですけど、クラスの雰囲気を盛り上げたいからどうしてもって言うんでー」
意味がわからなくて固まってしまった。それは夢崎も同じようで、言われたことが理解できないといった顔だった。
「ちょっと、君たちどういう意味」
担任が止めようとすると、青木が「がーんばれ、がーんばれ」と声を上げだした。
「がーんばれ、がーんばれ」「がーんばれ、がーんばれ」
青木が言うと、ひとりが声を重ねだした。
「がーんばれ、がーんばれ」「がーんばれ、がーんばれ」「がーんばれ、がーんばれ」
またひとり、またひとりと声が重なっていく。
「がーんばれ、がーんばれ」「がーんばれ、がーんばれ」「がーんばれ、がーんばれ」
「がーんばれ、がーんばれ」「がーんばれ、がーんばれ」「がーんばれ、がーんばれ」
「がーんばれ、がーんばれ」「がーんばれ、がーんばれ」「がーんばれ、がーんばれ」
夢崎が窓から飛ぶ。三階から飛んでも死なないだろう。死ぬ心配、殺す心配がないからこそ、人の怪我よりクラスの輪を優先する。
クラスは異様な雰囲気に包まれていく。
最初は慌てふためいていた担任も、止めるどころか、みんなが楽しんでいるなら、みたいな顔してコールの調子に合わせて手を叩く始末。
「止めろよ。馬鹿!」
叫ぶと、クラスメイトたちから肩を羽交い締めにされた。「空気を読もうか」とか、「大丈夫だって」と耳打ちされる。
夢崎はさすがに泣きそうな顔をしていた。
三十人から飛び降りろと命じられて、平静を保てる人間なんていない。
本当に飛んでどう責任を取るつもりなんだろう。
狂ってる。
こいつら全員狂ってる。
公開処刑が大好きで、自分が対象になることは絶対イヤで、人の傷には鈍感で。
もう我慢できなかった。
担任含めて死んでくれ。
殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。
自分の中からマグマのような熱い憎悪が滾々と湧いてくる。
全員首を切って殺そう。青木は最後にゆっくり四肢を落として激痛を与えたあとに殺そう。
もうどうでもいい。
こんなやつらどうでもいい。
こんな世界どうでもいい。
ひとり目は、そうだ、大森から殺そう。
こいつが言い出しっぺだった気がするから。
首に指を添えて念じながら滑らせるだけ。
三十秒あったら全員殺せるかな。逃げるやつがいたらやっかいだな。
「がーんばれ、がーんばれ」と異様なコールは続いている。
夢崎が俺のうしろに隠れた瞬間……薫子さんの言葉を思い出した。
『中本っちさ、夢崎ちゃんをだいじにしなよ』
全員殺して、俺も死んで、夢崎はどうなる?
ひとり残される世界で、抱えなくていいトラウマを抱えて生きる。
そんなの俺と同じじゃないか。
そんなのダメだ。
ダメなんだ。
「うるせえええええええええええええええええええええええええええええ!」
俺はクラスに向かって叫んだ。
「人を貶めることがそんなに楽しいか! お前ら人の気持ちがわからないなら、マジでひとりで生きろよ! そんなやつらが人の輪とか言ってんじゃねえよ!」
さっきから見えていた、糸。
モノクロームの世界で、冷たい目線を送ってくるクラスメイトたちを繋ぐ――赤い糸。
その糸の正体は、つながりだ。
人と人とのつながり。
つながりが強いと太く、弱いと細い。
強弱はあれど人は人とつながりを持つ。それを俺の〝能力〟は切れるのだ。
だから姉さんと俺とのつながりを断たれた母親は、姉さんのことがふっきれて、俺への興味を失った。
だからクラスとのつながりを断たれた清村は今も無関係そうに机に座って頬杖をついている。
こんなやつらつながる必要なんてない。
お前らが一生懸命築き上げたつながり。
そんなもの切ってやる。すべてリセットしてやる。
全員、孤立して生きろよ。
だれかに迷惑をかけず生きろ。
『切れろ』
『切れろ』
俺は全員が全員の赤い糸を切っていく。
クラス全員のつながりを。
残すつながりは俺と夢崎のつながりだけでいい。
全員が全員、他人になるために。
『切れろ』
『切れろ』
『切れろ』
『切れろ』
『切れろ』
『切れろ』
『切れろ』
『切れろ』
『切れろ』
『切れろ』
『切れろ』
『切れろ』
『切れろ』
『切れろ』
『切れろ』
『切れろ』
『切れろ』
『切れろ』
『切れろ』
『切れろ』
『切れろ』
『切れろ』
『切れろ』
『切れろ』
『切れろ』
騒然としたコールはやみクラスは静寂が包まれる。担任は「座ってください」と事務的に言う。だれも雑談なんかしない。黙々と席に座り、静かなホームルームが始まる。
夢崎は驚いているようだった。
俺が微笑むと夢崎は安心したように笑顔になってくれた。
クラスはまるでふたりの世界のようだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます