六日目 チョークの匂いと月曜日(1)

 目が覚めると、水の中にいるんじゃないかってくらい、からだが重かった。


 よく考えると日曜日はスポーツではしゃぎ、事故に巻き込まれ、鬼婆とバトルと、壮絶な一日だった。からだの疲れが抜けているわけがない。寒気もして風邪でも引きそうだった。


『和也、おはよう』

「おはよう、姉さん……何しているの?」


 姉さんが横で寝ていた。正確には俺の布団に潜り込んで布団の中をキンキンに冷やしていた。湯たんぽの冷やすバージョンみたいになっている。


『へ?』


 もともと素っ頓狂な表情のスライムなのに、姉さんはさらに素っ頓狂な声を出す。


「なんでキョトンとするのさ」

『だって、昔はよくいっしょに寝たじゃん。温め合うようにして』

「今、姉さんのせいでめっちゃ寒いんだけど」

『さわれない女の子にやさしくないね、和也は』

「クズ男みたいに言わないでよ。今、姉さんスライムじゃん」

『結局、私はからだだけの姉……それも今やスライム呼ばわり』

「からだだけの姉ってパワーワードすぎる」


 クスクスと姉さんは布団の中で笑っていた。俺もおかしくなって顔がゆるむ。


「どうしたの。なんだか、肩の荷が下りたみたいじゃん」

『ごめんね』

「またそれか」


 姉さんの縛り――「言えない」に辟易しながらも、母親の様子でも見ようと立ち上がる。


「ちょっと母さん見てくる」

『うん』

「ふつう、気をつけて、とか言わない?」


 きのうあれだけ暴れていた人間と対峙しに行くという人間に、簡単に「うん」って……。


『ううん』


 姉さんはにこやかに微笑んで、俺のうしろにひっついた。




 母親はまだ寝ていた。


「母さん?」と声をかけると、いつもは、「ああ」とか「うう」とか現実離れしたようなうなり声しか返ってこないけど、きょうはしっかりと「うるさい」と返ってきた。日本語をしゃべっている。調子がいいのだろか。


 肩に乗った姉さんが耳元で『大丈夫だよ』と言う。俺は夢崎との待ち合わせに急いだ。




  ✄




 夢崎に赤い糸が見えたことを話すと、朝いつもの海岸で会おうという話になった。


 海岸に向かう途中、ふと薫子さんのことが気になった。スマホでニュースを検索してみても、人身事故とだけ報じるのみで詳しい情報は得られなかった。


 それくらい世の中にはありふれた事故なんだ。


〝能力〟が使えるようになった人間は七日で死ぬ。


 それが変えられないさだめなのであれば薫子さんはきっと……。


 そして俺もあすには死ぬ運命が待っているということだ。


「どうしよ」


 薫子さんは、自殺をやめることで七日目以降を生き延びられると言っていた。が、それはきっと違うのだろう。薫子さんは事故にあった。〝能力〟の隠された力に目覚めた薫子さんでも事故にあった。


「つまり、どうやったら生き残られるのか……わからないんだな」


 海はまるで水墨画のように見えた。墨を薄めたような黒い海を、朝日が照らしている。


 その白と黒の海の上、夢崎がパワーサーフに乗って水面を巡回していた。


 ときどき波に足元を取られながらも、バランスを立て直す夢崎。


 水しぶきが舞い、きらきらした水滴がオーブのように夢崎のまわりを照らしている。




 流木に腰掛けて待っていると、ボードを抱えた夢崎がやってきた。


 ボディスーツ姿の夢崎は水を滴らせながら、軽く手を上げる。


「もう二日も波に乗ってなかったら楽しい。やっぱ波乗りはいいね」

「いつも夢崎、なにしているの?」


 違和感があった。


 夢崎は波に乗って楽しむというよりは海面を巡回している、という方が近いだろう。


 俺の肩からあたまに移動した姉さんからも『何か探しものかな』と声がする。


「なにって、波乗りだよ」


 夢崎が一瞬見開いて、それから満面の笑みに切り替えた。


 そう、切り替えたといった反応だった。


「波に向かってジャンプとか技を決めたりさ」

「それはたまにするよー。けどサーフボードでジャンプって、それはそれは難しいんだよ」


 なにかをごまかそうとする夢崎に、「ふーん」と反応すると、夢崎は話題を変えた。


「それより中本くんだよ! なんだっけ、糸が見えたんだっけ」


 夢崎をじっと見ても目をそらさない。きっとこれ以上深入りしてほしくないんだろう。


「そう」


 そういうことならと、俺は話を糸の話をした。


 母親を殺そうとまで追い込まれたとき、糸が見えたこと。


 その糸を断ち切って、その窮地を脱したこと。


「赤い糸で連想されることって……運命の赤い糸だよね」


 夢崎はなにやら考え込んでいる。


 そしておおよそ続きが予想される中で最悪なことを言いだした。


「中本くん、おかあさんと運命の赤い糸で結ばれて」

「ストップ! それ以上は言うなよ」

「なんで」

「なんで、じゃないよ。ふつうに嫌だよ。想像もしたくない」

「反抗期なんだから」

「反抗期じゃなくても嫌だろ」


 ごめんごめんと、ぺちぺちと叩いてくる夢崎。


「今朝、おかあさん、どんな感じだったの?」

「それが……」


 どこか変だった。いつもはうめき声しか上げられないのに、きょうはしっかりと受け答えが返ってきた。それがどこか引っかかる。


「なんというか、いままでの病んでる感じから、そっけない態度って感じで」

「謎が多いね。その糸ってやつには」

「いろいろ試してみたいんだけど、今は見えないんだよ。感情が高ぶったときにしか見えないってことなんだろうか」


 考え込んでいると、夢崎がすっと小指を上げた。


「私と中本くんにも、その赤い糸っていうのが伸びているのかな」


 急にそんなことを言うもんだから、う、ってなってしまう。


 夢崎も夢崎で、きっと顔が赤いのだろう。頬のあたりが濃くなっていく。


 俺も顔が熱くなっていく。夢崎が近くに座っていることを意識してしまい、距離を取ってしまった。


 そのときだ。


「隠れて」


 夢崎が急に道路から見えない位置に身を隠した。道路から海岸に降りるところの崖になっているところだ。夢崎が密着してきてからだの柔らかさが伝わる。へんになりそうだった。


「なんでお兄様が散歩しているの?」


 道路には無精髭にくたくたのTシャツ姿の夢崎の兄がいた。ひきこもりをやめて運動を始めたようには見えない。


「どうやら、私と中本くんで土日に遊びに出てたことにキレてるんだよねえ……」

「妹ラブなキャラだったのか?」

「それこそやめてよ」


 兄から隠れている状況で、夢崎は俺を叩いてくる。俺と母親とが運命の赤い糸で、とか言っていた人間にされる仕打ちじゃないだろう。


 物陰から兄の様子を見ると、必死で夢崎を探しているように見えた。


「俺、殺される?」


 あのお兄様のことだったらやりかねないと思って聞くと、夢崎は「そこまでは」と言って笑っていた。

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