五日目 長い日曜日(4)
「あぶない!」
さきほどの中年が千鳥足で駅のホームから転落しそうになっていた。
「だれか支えてあげてください!」
薫子さんの叫び声と同時、「列車が参ります」とアナウンスと笛の音が駅を満たした。
俺も夢崎も、その他電車を待つ人も、固まって動けない。
薫子さんは中年に駆け寄る。
腕から人を操る糸を出して、その中年をホーム側に倒そうとする。
が、間に合わない。
中年はバランスを崩す。
間一髪、薫子さんが中年の腕を取った。
が、薫子さんまでバランスを崩している。
ピー、と電車が到来を告げる笛の音がする。
やばい。やばい!
夢崎が俺の肩を叩くように突き出して、走れと命じてくれた。
俺は無我夢中で走った。
だれかが駅の緊急停止ボタンを押したのだろう。アラーム音と電車のブレーキ音が聴覚を満たす。
「薫子さん!」
間一髪、中年は薫子さんに振り回されるようにしてホームに戻される。
そして今まで落下しそうになっていた中年の位置に薫子さんが入れ替わる。薫子さんはホームに身を乗り出す形になっていた。
――〝能力〟が使えるようになった人間は、七日で死んじゃうんだって。
――あしたがその〝七日目〟なんだよね。
凝縮された一瞬があるとしたら、それは今だった。
薫子さんが俺に向かって必死に腕を伸ばしている。
すべてがスローモーションのように見えた。
俺は薫子さんへ自分の腕を伸ばす。
パシン、と聞こえた気がした。
俺の手に、薫子さんの体温が伝わった瞬間――
列車が連れてきた生温い突風が顔の前で吹き抜けていった。
急ブレーキもむなしく止まりきれなかった列車は薫子さんを連れ去ったのだ。
パシンと聞こえた音は、列車と薫子さんが接触した、音。
薫子さんは数メートル先に転がっている。薫子さんはあたまから血を流し、その場から動かなくなっていた。
夢崎の金切り声/ブザー音/駆け寄る夢崎/駅員のアナウンス/スマホのカメラを向ける人。
目の前の光景の現実味がなくなっていく。
まるで写真を切り貼りしたスクラップブックのように視界が断片的になっていく。
駆ける駅員/動かない薫子さん/電話するサラリーマン/泣く夢崎/立ちすくむ人/人/人。
次第に周囲から音が消えていき、破裂しそうな心臓の脈音だけが耳に響いていた。
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初めて乗るパトカーは座り心地がよく革の匂いがした。シートは革張りなのにふかふかしていて、きっと服役前のさいごの瞬間くらいは快適に過ごしてもらいたいと警察の配慮かと思った。違うか。
となりには夢崎がいた。窓にあたまをもたれたまま、ひと言もしゃべらずに外を見ている。
外は、島を出た日と同じ、あまたの星を海が鏡のように映していた。島を出た日とは違って、夢崎は景色を見てもはしゃがなかった。
薫子さんは救急隊員の
悪夢みたいだった。
夢なら醒めてくれとベンチに座って何度も自分のあたまを叩いた。
ごん、ごん、ごん、と叩いていると「やめなよ」と蚊の鳴くような声で、夢崎は腕を掴んで俺を止めてくれた。
夢崎とベンチでへたりこんでいると警察がやってきた。
それから警察は俺たちから供述を取った。現場はどうだったとか、薫子さんとの関係性はどうだったとか。全部どうでもよかった。
あらかた警察の用事が終わる頃には夜も更けていて、俺たちの身分証明書を確認していた警察は俺たちが終電を逃していることに気づき、送ってくれることになった。
そして俺たちはパトカーに揺られ島に向かっている。
「頭蓋骨が陥没しているって言ってたから可能性は低いやろうね」
薫子さんは無事ですか? そう聞いてみると警察官はそう答えた。
重い事実に、エンジン音と、走行音と、時々入る無線連絡以外、音のしない沈黙に満ちた車内になる。ときどき夢崎が鼻をすすった。
「兄ちゃん、夢はなんね」
「はい?」
「やけん、夢よ。夢。俺にも兄ちゃんくらいの息子がおるけん、兄ちゃんくらいの子がどんなこと考えとるんか知りたいんよ」
きっと警察官は無理にでも明るい話を振りたいのだろう。そんなの息子に聞いてくれよ……と思いつつ、「……夢ですか」と答える。
「さっきから、そげん顔して、若いんやけ夢くらい持たんと」
警察官はバックミラーでちらちら俺をみてくる。
「まあ、そうですね。強いて言うなら、ふつうの家庭を築いて、慎ましく生きていきたいです」
俺にとってそれは、勇者になるとか、世界最強になるとか、そういうレベルで叶うはずもないことだと思っている。俺は投げやりに夢物語を口にしていたのだ。
すると警察官は、
「なんね! 夢がないねー」
と大声で笑った。まるで俺が冗談を言ったような反応だった。
ふと、薫子さんのシニカルな笑顔を思い出した。
「ふつうの家庭」を奇跡と言ってくれた薫子さん。
そのふつうの家庭を体現することを「復讐」と言って笑った薫子さん。
――それがなんというか、「復讐」だと思わん?
この世でたったひとりの理解者が、きょういなくなった。
そう思えば思うほど感情がこみあげてきて、目あたまが熱くなっていく。
「そうですね。そうですよね」
なにがそうなのか自分でもよくわからないまま、嗚咽をこらえていた。
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