五日目 長い日曜日(3)

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 十時間の運動はさすがにへとへとになった。からだが鉛のように重い。


 存分に遊んだ分もう外は夜になっていた。


「いや~。楽しかったね」


 駅に向かう途中、薫子さんが満足そうに言った。


「薫子さんのスパイダーマンは、やっぱ反則ですよね」

「スパイダーマン言うなし」


 薫子さんは勝負の途中から手首から糸を出してボールを捕縛しようとしたきた。バッティングセンターでもそうだったし、テニスとかでもズルをしようとしてきたわけだ。


「結局、私が優勝だったけどね」


 ほくほくとした表情をする夢崎である。夢崎は運動神経がよかった。そりゃもう素晴らしく。まあサーフィンするくらいだから当然か? と思いつつ、なんだかんだ一番勝ちにこだわっていたのは夢崎だったと思い返す。


「あ、今笑った?」

「いや、だって夢崎が負けたときの顔が」

「だって悔しかったんだもん」


 夢崎がぷんと怒って詰め寄ってくる。気恥ずかしくなってしまい夢崎を直視できなかった。


「あ、また笑った?」

「笑ってないし」

「いや笑っているでしょ!」


 夢崎が俺の顔を追いかけるように表情をのぞき込んでくる。


「はいはい。外でいちゃつかないないよー」

「やだなーオルコさんってば違いますよー」


 薫子さんは俺たちをニヤニヤしながら茶化してきて、夢崎はきっぱりそれを否定した。


 俺たちは駅のベンチに腰をかけ、電車を待っていた。俺たちは帰路につくため、これから島に向かう終電に乗るつもりだ。


「薫子さん、ありがとうございました。俺も〝能力〟の隠された力というやつを探そうと思います」

「よかよー。困ったことがあればいつでもLINEして」

「ありがとうございます」


 駅は人がまばらで〝能力〟というワードを出しても大丈夫と思った。


「そういえば、オルコさんって何学科なんですか?」

「人間関係学科っていう、家庭問題とか、社会問題とか、そういうことを学ぶ学科」

「……重いですね」


 あらゆる学問で、一番、どうしようもならない学問だと思った。


 大学の人たちがあたまをひねったところで何か解決できるのだろうか。


 ぶつける先のない怒りのようなものが、ふつふつと湧いた。


 解決策があるなら教えて欲しいと思う。


 方程式がないから、なにもできないんじゃないか。


「重いよ~。そしていろんな家庭があるってわかる。お父さんお母さんが仲良くて、平日の夜は食卓を囲んで、土日は家族で出かけて、そんな絵に描いたような『ふつうの家庭』って、本当に奇跡だと思う」

「……俺はそんな家庭、実在しないと思っていますよ。まるでフィクションの世界です」

「ウチが世の中の家庭を変えられるとか、社会問題を解決できるとか、そんなん全然思っていないんよ。けど、せめて自分は、その奇跡を体現してやるって思うっちゃね」


 ――それがなんというか、「復讐」だと思わん?


 そう、シニカルに俺たちに向けて問うてきた。


「……薫子さんは、強いんですね」


 復讐という強い言葉を使って、成し遂げようとする薫子さんに目がくらみそうになった。


 そうか。これが……薫子さんの根底にある〝強さ〟なんだろう。


 色がなくなった世界で、ひとり色づこうとしているような、そんな気がした。


 俺は無理だ。毎日、命をつなぐだけで精一杯。まるで綱渡りのような日々を、落ちないようにバランスを取ることでいっぱいいっぱいで、将来のこととかまるで実感が持てない。


 そんな暗い気持ちになっているときに、


「かっこいいですね! 復讐!」


 夢崎は違った。


 夢崎は薫子さんの話を聞いて、目を輝かせていた。


 それは、ホント、なんというか、強いっていうか、単純っていうか、単純バカっていうか。


「え、中本くん、笑った?」

「いや、ごめん、なんだか笑えてきて」


 こみあげてしかたなかった。逆にすごいな、って涙ぐんできて鼻の奥まで熱い。けれども笑いがこみあげてくる。


「なんで笑うのさ」

「ごめんごめん、逆に尊敬する」

「逆って何? 逆って何!?」


 薫子さんはそんな俺たちをやさしく見て、「中本っちさ、夢崎ちゃんをだいじにしなよ」と俺に告げた。


 それは何を言いたかったのかは、はっきりとはわからなかったけど、なんとなく伝わった。


 夢崎との縁を離しちゃダメだって、なんとなく、わかった。


 そのときだ。


 薫子さんはすっと立ち上がって、ひとりの中年男性に声をかける。


「座ります?」


 その中年は酔っているようで、足元がおぼつかないように見えた。


 中年は「だいじょうぶ、だいじょうぶ」と薫子さんを適当にあしらって奥に歩いて行った。


 堂々とベンチを俺たちが占拠してしまって、そんな酔っ払いが近くにいたことすら気づかなかった。薫子さんの視野の広さに驚くばかりだ。「断られちまったぜ」と戯けながらも震えている薫子さんを見て、やっぱり怖いんだ、という気づきを得る。


 それなのにこういうことができる薫子さんは、すごい。


 いつか俺も、こんな人になれるだろうか。


 あれ。


 夢崎の単純さに思いっきり笑ってから、不思議と前を向いている自分がいた。


 なんだろう。この感じ。


 そんな感慨は、薫子さんのつんざく叫び声にかき消されてしまった。

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