四日目 ハイカロリーな土曜日(3)

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「集合場所ってどこなの?」

「えーっとね。ここから歩いて少しだね」


 スイーツショップを出て夢崎はスマホで地図アプリを起動した。六枚重ねのパンケーキを平らげた夢崎は満足そうな顔をしている。


「あれ、中本くんのスマホは?」

「電池切れ」

「充電器貸そうか?」

「いいよ。俺、Androidだし」


 本当は昨晩充電したが、電源を落としていた。母親からの着信があるからだ。


「夢崎は親から電話掛かってこないの?」

「私は遊びに行ってくるって言ったから」

「……それで許されるんだ」

「お兄ちゃんがアレだからね。私だけ厳しくされても困るよ」


 スマホを見ながら乾いた声を出す夢崎。あえて感情を殺したような態度に見えた。俺も感情を殺し、「それはいいね」と答える。


「こういうこと、中本くんになら気軽に言えるの、なんだろうね」


 夢崎が満面に笑みで俺を見た。その笑顔にどきりとする俺がいる。


 どきりとしたことを悟られたくなくて、おどける俺がいた。


「へいへい。ありがたいお言葉ありがとうございます」


 すると、急にだ。夢崎が立ち止まった。


「もし、自分の環境がさ、だれかのせいでハードモードにされていたらさ、やっぱり許せないって思うのかな?」


 不安そうな、それとも怒っているのか、強い目線で俺を見る夢崎。


 ……兄のことだろうか。


 家庭環境はガチャだ。つくづくそう思う。生まれる先は選べないし、こどものうちは変える力もない。逃げ出せもしない。生まれてくる先を間違ったら、何もできない。その認識で正しいのだ。だから、あきらめるしかない。ただただ、あきらめて、あきらめて、あきらめるしかない。そういうことを何千、何万回も考えた。


 だけど。


「やっぱり、許せないな」


 何千回あきらめても、何万回あきらめても、この感情は消せない。生まれてきたことを幸せだとは思わない。なにもしていないのに罰を背負う。これからも死なずに生きていくのなら、きっと強い感情が必要なんだろう。だから、許さない。


 許さない、と口にした瞬間、夢崎は見開いたような気がした。


 そして、「……そうだよね」と哀しそうに下を向く。


 どうした、急にこんな話。


 そう聞こうとしたときだった。


「ねーねー、道に迷ってるの?」


 白黒しか見えないから何色かはわからないが髪を明るくした長身の男が夢崎に声をかけてきた。タンクトップからはタトゥーがちらちら見えている。イカツイ……。


「あ、いえ、べつに」


 さすがに夢崎は警戒していた。


「俺たち大丈夫です」


 俺も警戒する。


「違う違う。ここらへん物騒だから、歩かない方がいいよって言いたいだけ」


 見渡すと、……たしかに、ラブホテルらしき看板だったり、いかがわしそうなお店だったり、そういうところっぽくは見える。


 物騒なことをしようとする人間が、ここは物騒だとわざわざ忠告してこないだろう。


 ふつうに注意してくれただけのようだ。


 よくよく見るとこのタトゥーのお兄さん、笑うと爽やかボーイって感じだ。


 夢崎もそう思ったそうで、自分のスマホをタトゥーのお兄さんに見せている。


「じつは、ここに行きたくて」

「あ、だからここ通ったんだ。こっち迂回した方がいいね」


 ついてきて、と笑顔で俺たちを先導してくれた。


 あ、なんだ。


 と、警戒を解いてしまった。


 なぜかはわからない。


 きっと、夢崎とふたりでいて、ネットカフェに止まって、パンケーキを食べて、気が……緩んでいたのかもしれない。浮かれていたのかもしれない。


 どんどん人影の少なくなる路地裏を案内されて、警戒を解く自分の馬鹿さ加減を――このあと激しく後悔することになる。




 路地の角を曲がったときだった。


 タトゥーのお兄さんのお仲間が三人ほどいらっしゃって、夢崎をうしろから羽交い締めにした。同時、俺の腹に思い切りのよいグーパンが飛び込んできた。


 腹に激痛が走って、殴られた箇所が燃えるように熱くなる。火でも吸ってるような感覚だった。のどが熱くて息が吸えない。腹を抱えたまま、その場で倒れてしまった。


 夢崎の金切り声が聞こえる。


 離してよ! 必死で叫ぶ声がする。


「すげえかわいいじゃん」

「胸もけっこうある」


 ゲスに満ちた男たちの声がして、それから、


「うるせえな。もうクスリ飲ませようぜ」


 ……クスリ?


 夢崎は泣いていた。タトゥーの男が錠剤を夢崎の口にねじ込もうとしている。


「抵抗すんなよ。キマったらすげえから。激イキすっからコレ」


 タトゥーの男は錠剤を自分の唇で咥えて、夢崎の顔を両手で乱暴に押さえつける。


「くっち移し~」


 バチッと、視界に火花が散ったような気がした。


 殺すとか、そういったことは考えなかった。ただ自然とからだが動いた。




『切れろ』

『切れろ』

『切れろ』

『切れろ』

『切れろ』

『切れろ』

『切れろ』

『切れろ』

『切れろ』

『切れろ』

『切れろ』

『切れろ』

『切れろ』

『切れろ』

『切れろ』

『切れろ』

『切れろ』

『切れろ』

『切れろ』

『切れろ』

『切れろ』

『切れろ』




 ぎりぎりで自制心が持てた。


 相手の四肢を落とすまではせず、薄皮を裂くイメージで相手たちを切り刻んでやった。


 それでもやはり痛いみたいで、男たちは勝手につくられていく切り傷に恐怖し、叫び、悶絶し、その場で倒れ込んだ。


 相手が倒れ込み、自由になった夢崎は俺の肩を掴んで、「やめて」と叫んだ。


 倒れたタトゥーの男が俺を見た。どこか怖いものを見ているような表情に征服感が湧いた。


 立ち上がって、そのまま走った。


 このままサッカーの要領で男のあたまを蹴ったら、どれだけ気分がいいんだろう。


 あいつはぶっ飛ぶかな。


 そう思って振りかぶって、「サッカーボールキーク!」と心でつぶやいたときだった。


 あ、これ、本気で蹴ったら、殺すな。


 寸前で気がついて、ペチャンと力のないキックが男の側頭部に当たる。それでも男の意識を飛ばすには十分な威力だった。


 男の仲間たちは、蜘蛛の子を散らすように、足を引きずりながら逃げていく。


「殺人鬼になりたいわけじゃないけど、これくらいはしてもいいよな」


 だれかひとりくらいのアキレス腱は切ってやろうかと、一番足の遅い男の足首に指を添えた。


『切れ……』

「もういいよ!」


 夢崎が俺の腕に飛びついて制止させた。


 いや、止めてくれたと言うべきか。


「中本くん、キレすぎだって」

「いやだって、夢崎、おまえが……」

「大丈夫だって。最初に止めてくれたので十分。ありがとう。助かったよ。私は無事だよ」


 夢崎が俺のあたまを両手でつかんで、おでこを合わせてきた。じっと目を見つめられ、「私は無事、私は無事、私は無事」と繰り返す。


 危機が去ったことをようやく理解してきて、同時、腰が抜けた。


「よかった。……まじよかった」

「助けてくれてありがとう」


 夢崎は俺の首元に腕を回し、鎖骨の辺りにあたまを埋めてきた。どんどんTシャツが濡れていくことを感じる。「ありがとう」を繰り返す夢崎の背中をさすった。


「俺、捕まるかな」

「私が庇ってあげるよ」

「そもそも、〝能力〟って捕まるのかな」

「私が庇ってあげる」


 捕まる捕まらないはどうでもよかった。ただただ夢崎が助かったことがうれしかった。


「ホント、世の中、ハードモードだ」


 こんな人生を引き当てた自分が恨めしい。


 まさか人が良さそうって思った人が襲ってくるとは思わないじゃん。


「ごめんね。次から気をつける」

「夢崎が謝ることじゃないだろ。俺も油断しまくってたし」

「もう離さないで」

「ああ、もう離さない」


 夢崎も冗談を言えるくらいには回復してきたようだ。


 そこで冷静になって気づく。この体勢、めちゃめちゃ恥ずかしくないかって。同時、夢崎の首元から甘い匂いがして、密接していることを嫌でも意識させられた。


「ごめん。やっぱ離れて。暑い」

「だめ! 今メイク落ちてるから、このまま!」

「メイクしてもしなくてもいっしょじゃん。離れろって」

「あー、それ女の子のがんばり全否定って意味だからね! 嫌われるよ!」


 ばっと顔を上げて抗議の表情をする夢崎。たしかに目がちいさく見える。けど、それはメイクというより、泣いて腫れぼったくなっているからだろう。


「メイクなんてしなくてもいいのに」


 そういうと夢崎は驚いたような顔をして、ばっと俺から距離を取った。


「どこかお店に入って、メイク直してもいい?」


 謎にもじもじする夢崎である。「トイレ?」って聞くと、足をふまれた。


 ぷんとそっぽを向いた夢崎は歩き出した。


「悪かったって」

「あ、そうやって何が悪いかわらかないのに謝るのってすごいサイテーなんだよ」

「だから悪かったって」


 ずかずかと歩く夢崎の前に、ちいさな女の子が立ちはだかった。


「もしかして、『ユメユメ』さんですか?」


 小動物のような顔をしていて、背は夢崎の胸ほどしかない。


「はじめまして。『オルコ』こと、初瀬薫子はつせかおるこっていいます」


 その人は、俺たちが待ち合わせした人間だった。


 俺たちが初めて遭遇する、俺以外に〝能力〟が使える人。


 そして、七日目以降を生き延びたとされる人。

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