四日目 ハイカロリーな土曜日(1)
いつか目を覚ますと色が見えるようになっているんじゃないか、そんなことを考えるときがある。色が見えないんじゃなくて、今まで白黒の世界に迷い込んだだけで、ふと気づくと、色が見えて、母親はふつうで、学校もふつうで、そんな一般的な世界に戻って、ありふれた幸せを感じられるようになるんじゃないか。そんなことを考えるときがある。
目を覚ますと、世界はモノクロームだった。
そんなモノクロームな世界の中、目の前に夢崎の寝顔があった。
夢崎の寝顔は猫のようだった。目を細めて、少し眉間に皺を寄せて、細い髪の毛が顔にかかっている。
「よく、こんな場所で寝られるなあ」
そんなことをつぶやくと、「んー?」と夢崎が眉を動かした。
最寄りの駅から電車に乗って二回電車を乗り換えた先。俺たちは最寄りの街まで出ていた。
街はあまり治安がよくないと聞く。海の匂いがしなくて、その代わり、排気ガスのにおいがした。二三時を超えていても明るくて、しょっちゅうクラクションの音がしていた。
こんな夜にうろついていると補導されるか、へんな輩に絡まれるか、そんなリスクがある。
せっかく双六でスタート地点から進んだのに、振り出しに戻るか、地獄に落ちるかの二択が突きつけられた気がした。ここは安全にどこかに泊まろうと夢崎に話した。
ファミレスやハンバーガーチェーンで夜を明かすっていう方法もあったけど、きっと補導されると夢崎が反対したのだ。
『じゃあ、ホテル泊まろうよ』
夜の駅前で夢崎がそんなことを言ったとき、俺の心臓は破裂するかと思った。
『え、夢崎ってそういう経験あるの?』
とっさに聞いてしまったイタい俺。
『そういう経験って?』
『……いや、そういうって、そういうことっていうか』
『え? あっ』
気づいた夢崎に、『バカじゃん』って軽く肩を小突かれた。
『そういう経験もないし、そういうことする気もないし、いっしょに家出しただけなんだから、へんなこと絶対禁止!』
目を見開きながら怒られた。色が見えていたら紅潮していたんじゃないかと思う。
その後、どこかいいビジネスホテルはないかスマホで検索して、値段に愕然とした。ネットカフェかカラオケ店に泊まろうという話になった。夢崎が持ってきた兄の健康保健証を使って、年齢を偽りネットカフェに侵入した。ネットカフェがダメだったら、カラオケ店にする気だったけど、店員をうまく誤魔化せて胸をなで下ろした。
ふたりで個室を借りた。それぞれで部屋を借りるより、ふたりでひとつの個室を借りる方が安かったのだ。これからどれだけ金がかかるかわからないから、なるべく節制しようということになった。
個室にふたりで入るとき、自意識過剰だと思いつつも、俺は心臓バクバクで緊張しまくっていた。つるつるしたクッションで覆われたフルフラットの部屋。二畳あるかないかの密室で一二時間をふたりきり……。意識しすぎてあたまがおかしくなりそうだった。
すると、
『中本くんって、一九に見えるんだね』
そんなことを笑いながら言う夢崎である。きっと、夢崎の兄の健康保健証で受付を突破できたことだろう。お兄さんは一九だからだ。
笑い続ける夢崎を見て、なんだか意識するのもバカバカしいというか、俺だけというか、体がもたないというか、そんな思考があたまをめぐって、俺はマイペースに過ごすことを決めた。手始めに食べ放題のソフトクリームを食った。
夢崎が勧めてきた漫画を読んでいると、夢崎は先に寝てしまっていた。
壁に顔を向けてくれたらいいものの、俺に向かってすやすや寝ているものだから、なんとなく気恥ずかしくなって、夢崎に背を向け漫画を読んだ。どうやら第一部の本敵の石仮面を壊したころで寝落ちしてしまったようだった。
そして現在に至る。
目の前には夢崎の寝顔があって、夢崎はパチクリと目を開けた。
目が合った。
夢崎の瞳は色素が薄い。少し灰色っぽくて、そういえば髪も明るい。何色かまではわからないけど、白黒の強弱はわかる。
「じろじろ見過ぎじゃない?」
ツッコまれた。正直なところ、至近距離で目が合って固まってしまったのだ。
「すまん。どうしていいかわからなくて」
「逸らせばいいじゃん」
「目を逸らしたら襲われるって聞くけど」
「私、野生動物かなんかなの?」
「野生の夢崎が現れた」
「がおー」
「ちょ、ちょっと!」
夢崎がネットカフェのブランケットで俺に覆い被さってきた。天幕の張られた空間で、至近距離に夢崎の顔がある。ブランケットの中でふたりの湿気がこもって、夢崎から花のような匂いがした。
「こういうの、恥ずかしくない?」
吐息がかかるほど至近距離にある夢崎に聞いてみる。
「中本くんでも恥ずかしがるんだ」
「夢崎さ。自分がモテるの知らないの?」
「知ってるけど?」
「でた……あざとい女子じゃん」
「けど、中本くんにモテていないから、べつにいいかなって」
どういう意味だよ……嘆息すると、夢崎は、苦しい! とブランケットを払いのけた。
「そりゃ私も好意を向けてくる人に、こういうことしたらダメだと思うよ。気もないのにね」
髪の毛を整える夢崎である。
「けど、中本くんってさ。だれのことも好きになりそうにないし」
「え。俺ってそういう風に見える?」
「逆に聞くけど、初恋ってあった?」
「……ないな」
「ほら」
くっくと肩を揺らす夢崎である。
「夢崎とこうやってふたりで泊まるってなって、個室でふたりきりで、今まで感じたことないくらい気まずいぞ」
「気まずいんだ!」
あはは、と夢崎は大笑いする。
「私は少しドキドキしたのに! なんだよ。ドキドキ損じゃんかよ」
しまった。ドキドキって表現が適切なのか。
そう思っても遅かった。
夢崎はバシバシと俺の背中を叩く。そしてふわあっとあくびをした。
「寝たのに寝たりないね」
「熟睡していたように見えたけど」
「私の寝顔見たの?」
「見たけど?」
「…………」
「…………」
沈黙の末、夢崎は「ふにゅう」と謎の奇声とともに手をグーにして顔を隠した。寝顔がそんなに恥ずかしいのだろうか。コンプレックスでもあるのだろうか。
「いや、べつにへんな寝顔じゃなかったよ。ちょっと眉間に皺寄ってたけど」
「そういうこと言うんじゃないよ!」
写真撮ってないよね! とスマホを見せろとうるさかった。
いろいろ確認して落ちついた夢崎は、
「支度しよっか」
交代でシャワーを浴びようと微笑んだ。
寝顔、撮ってたらよかったな。
なんとなく、そんなことを考えた。
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