三日目 星降る夜と金曜日(5)

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『会えないかな』


 それが夢崎の第一声だった。夢崎の声は震えていた。


 夢崎と公園で待ち合わせた。


 街灯が照らすベンチでスライム型の姉さんを膝に乗っけて座っていた。森からは蝉の音がする。夜風は気持ちよく、少し涼しいくらいだった。


 きょうは新月だろうか。月は浮かんでおらず、星がよく見えた。白黒の夜空を見ると、少し違和感があった。


「ああ、そうか」

『どうしたの?』


 姉さんが聞いてくる。


「いや、何気なく見ていた星にも色があったんだなって。こうやって色がついていない夜空を見上げると、はっきりわかる」

『何気なく見ていたら気づかないものだよ』


 白黒の星々はどこか寒々しい景色に見えた。


「ねえ、姉さん」

『なに?』

「この前、姉さんは自分の意思で俺のところに来たって言っていたじゃん」


 ふと気になったことがあった。『輪廻に戻れない』とか言っていたような気がする。


「それってすごくリスクがあることなんじゃないの?」


 聞くと、姉さんは答えなかった。つまり、YESってことなんだろう。


「じゃあなんて俺のところに来たのさ」


 姉さんはやっぱり答えない。だんまりを決め込んだまま俺の膝に載っている。姉さんはひんやりとしている。


「ごめんね。待たせた?」


 夢崎がようやくやってきた。


 遅いよ、そう口が滑りそうになった。しかし街灯に照らされた夢崎を見て、背筋が凍った。


「夢崎、その頬」


 色味はわからないが、夢崎の頬にはぶたれたような痣がある。


「いやあ。お兄ちゃんと思いっきりケンカしてしまいまして……」


 夢崎は笑いながらあたまを掻いた。


「せっかく、外に出せたのにな……」


 夢崎は泣きそうだった。進展したと思ったことが裏目に出た。そういうことだろう。それが悔しくて、悲しくて、苦しいのだ。あきらめたら楽になる。それは知っているだろう。あきらめた俺とあきらめていない夢崎。どちらが正しいかは俺にもわからない。


 言葉をかけそこねていると夢崎は俺の顔をまじまじと見た。


「ってか、中本くんも頬に痣があるけど。だれかに叩かれた?」


 自分も同じところをぶたれているはずなのに、夢崎は心配そうな表情をして、俺の頬を撫でてくる。なぜ自分のことは、えへへと誤魔化すのに、俺のことだとそんな泣きそうな表情ができるのだろうか。


『私が手を当てるから、和也は私の上から手を重ねて』


 姉さんがそう言って、スライム型のからだを伸ばし、夢崎の頬に触覚のような手を当てた。姉さんが触ると触ったところだけ冷たくなるから、不自然にならないように手を重ねろという意味らしい。なんて無茶ぶりをしてくるんだ! と文句を言いたくなったが、へんなひとり言と思われたくもない。仕方なく夢崎の頬に手を当てる。


「俺のことはいいよ。それより」


 夢崎の頬に手を当てると、夢崎は目を見開いた。


「へっ」


 そんな声出さないでくれ。恥ずかしいから。


「えっと……ごめん。なんだか痛そうだったから」

「い、いや……べつにいいけど」


 髪の毛が逆立つほど驚いた様子だった夢崎はだんだんと俺の手(正確にはスライム姉さんのからだの一部)の感触に気持ちよさそうな表情をした。


「中本くんの手、つめた~い」

「人の手をコールドドリンクみたいに言うなよ」

「ぷっ」

「吹き出すな」


 ごめんごめん、あはは、と声を出して笑う夢崎。俺の手を頬に添えて大きな口で笑っている。


「本当に中本くんの手って冷たいね。ちゃんと生きてる?」


 じつは死んだ人間が手を添えてるとは言えまい。


「残念ながらぴんぴんしているよ」

「何が残念なのさ」


 もう笑わさないで、と夢崎は俺の手を氷嚢みたいにして頬に添えたまま、ひとしきり笑う。


 そして、「ありがとう。だいぶ収まった」と俺の手を離して、ベンチに腰掛けた。


「ごめんね。急に呼び出しちゃって」


 長いまつげが街灯の光で影を落としている。こんな人形のような整った顔立ちの夢崎に見上げられるとドキッとした。


「いや、べつにいいけど。どうした?」

「それがさあ、あれから家族会議したんだけど、全然ダメでさあ。お兄ちゃんガチギレ。ちょっとどうしていいかわからなくなって、電話しちゃった」

「その頬、兄貴にやられたのか」

「まあ、手が、当たっちゃったんだよ」


 〝当たっちゃった〟で済まそうとする夢崎は、兄貴を庇いたいのか、それとも、諦めているのか、どちらかわからなかった。


「中本くんのその頬は?」

「ああ、これは、母親の手が……俺も当たっちゃったんだよ」


 俺は明確な諦めをもって、そう答える。


「そっかあ」


 夢崎は空を見る。


「ねえ」

「ん?」

「どこかに行っちゃいたいね」


 温泉でも行くか?


 そうやって茶化そうとしたけれど、夢崎の表情を見て、冗談じゃないってことはわかった。


「どこかって、どこさ」

「んー……どこでもいいよ」

「どこでもって」

「中本くんはない? しがらみのない、自由になれる場所に行きたいときって」

「そんなの」


 考えないわけがない。母親もいない。青木もいない。そんな場所で、ひとりで暮らす。そんなことができたらどんなに楽か。幸せか。何度考えただろう。


 けど。


「そんなの、できる歳じゃない。高校生がひとりで生きていくって難しいだろ」


 だから、殺そうとした。


 だから、リセットしたかった。


 それでリセットできるって勘違いした。


 かろうじて、止めることができた。


「だから、お誘いしているんだよ」


 そう言って、夢崎は微笑む。


「ひとりだと難しいから、私と」

「つまり駆け落ちするって意味?」

「うん。その前に、私たち付き合っていないよね」


 盛大に口が滑った結果、妙な自爆をしてしまったようだ。


「適当な言葉が浮かばなかっただけで、恋仲という意味は含んでいない。むしろ付き合っていないなら、ふたりでどこか行くって、それはいいのかって話で」


 なんとか誤魔化そうとするが話がまとまらなくなってしまう。


 すると夢崎は腹を抱えて笑い出した。


「ごめん。からかうつもりじゃなかったんだよ。中本くんが駆け落ちとか言い出すから」

「だから言い間違えただけだって」

「だからごめんって。怒んないでよ」

「怒ってないけどさ」

「ぷっ」

「だから吹き出すなって」


 あー中本くん本当おもしろい、と涙を拭く夢崎。冗談っぽい夢崎は、どこから本気で、どこから冗談なのかすごく曖昧だ。だからどこか行こうっていうのも冗談なのだろう。


 そんなことを考えていると夢崎は「あのね」と続けた。


「ふたりでどこか行こうっていうのは本当だよ」


 すっと見透かしたような言葉を口にする夢崎。


 そして、上を見ながらボソッと言った。


「ちょっと、疲れちゃったんだよね」


 ちょっと疲れる。


 わからないわけでもない感情だった。


 首をくくろうと思ったことは何度かあった。というより、何度もあったが正しいのか。


 ハズレを引いたこの世界におさらばすれば、きっと次の人生は今よりマシな人生が引けるんじゃないかって思うことがある。


 ちょうど三日前、夏休みが明けて、学校に行くことが嫌になって、その日に限って母親が暴れて、ああ疲れたなんて思いながら、ネクタイを首にきつく巻いた。けどすぐネクタイを緩めてしまった。苦しかったし、俺が死んだあと母親がどうなるか不安だった。もうどうしたらいいのかわからずむせび泣いた。


 そんなことを思い出すと、なんだか夢崎をひとりにすると、死んでしまうんじゃないかって、不安になった。

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